砦の中へ
当時二十代の研究職勤務の朝凪凛であった私は車の自損事故で右足を失ったことを自覚しながら気を失った。そして目覚めるとこの世界にいたのだ。自分の体が小さいことはすぐに分かったし、声も違うから別人の中に私が入ったという感覚だ。そして律儀なことにこの世界での体も右足を失っており、この体の両親も死亡していたようだ。
なんだかんだあってガギに拾われ、なぜかゴブリンの集落であるジュシュリの最高権力者に祭り上げられ、元の名前からリン姫様と呼ばれることになった。
元の体の記憶は一切なく、しかし額飾りのおかげで私が話す言葉は相手に伝わるようになっているっぽい。ゴブリン相手ならゴブリン語を人間が相手なら共通語を私は日本語を喋ってるつもりでも話せているのだ。もちろん聞こえる言葉も全て日本語として聞こえる。
ちなみにガギは私が異世界の知識を持っていて見た目とは違う人格が入っていることは知らない。けど、少し前までジュシュリ的には私は色素欠乏症のハイゴブリンだということになっていた。たまたま少し前に同じ色素欠乏症のゴブリンが生まれていたようだ。残念ながら彼は成長できずすでに亡くなっているが、そういう病気もあるのだとジュシュリ全体が知っていたのが大きかった。
最高権力者だったガギがその地位を譲ってまで担ぐのだからゴブリンなのだろうと皆疑いもしていなかったようだ。
だから騙していたような感じがして気がとがめていたのだけど、ガギ曰く、そうまでしないと私を守れなかったとのこと。どうやら私の父親と知り合いでうっすらと頼まれていたようだ。そのへんあまり詳しくガギは語ってくれない。時期がきたら教えてくれるだろうと思って飲み込んでいる。だって私の存在はガギにとっても危険なはずだから。
そしてだからこそ私はジュシュリの長としてジュシュリのゴブリンたちに責任がある、彼らをより良い方向へ導かなかればならないのだ。
そうこうしているうちに砦からも帝国軍兵士が出てきて【最果て】よりやってきたとされるモンスターのことごとくを討ち果たすことに成功した。私達は最初は明らかに警戒されていたものの、少しだけ寝て元気になったハームルさんが砦側に説明してくれたので何事もなく、スムーズに待機していたジュシュリのゴブリン全員が砦に入ることが出来た。
どうもハームルさんは砦の長よりも地位が高いらしく、ジュシュリに大きな権限も与えてくれた。砦の出入りは基本自由、【最果て】側の土地にあるものは自由にしてよい、砦は元々廃棄された城塞都市だったので砦内部には街が残っていて、そのうち北東部と北西部を使って良いとされた。現在砦の兵士たちは南東しか使っていないらしい。北西部には鍛冶屋や木工屋みたいな生産施設が多数残されていたのでたいへんありがたい。ジュシュリの食料も補給してくれるそうだ。その代わりに牛型ゴーレムを要求されたけど。
牛型ゴーレムはジュシュリでさんざん改良を重ねて生産性も上げている種類なので増産にあまり問題はない。けど制御棒と牛型ゴーレムをつなぐ魔導線や関節部に使う素材の補充が難しいため、それの供給を条件に受けることにした。ジュシュリでも珍しい材料だったけど広い帝国なら安定して補充できるはず、だといいなぁ。
ジュシュリでは牛型ゴーレムの操作を普通のゴブリンが行うことはできなかった。生来持っている魔力では足りないのだ。しかし人間はゴブリンに比べると豊富な魔力を持っているので、多少の訓練を行えれば魔法使いでなくても操ることができるはずだ。ジュシュリでも戦士のハイゴブリンが術者になってること多いしね。だから牛型ゴーレムの価値は帝国にこそ高いと思う。
私達が【最果て】のモンスター退治に協力したことはたいへんいい方向に転がっているようで、砦の兵士にゴブリンを、ゴブリンだからと嫌うものは表面上おらず、友好関係を築くことが出来た。もちろんこちらもハイゴブリンはもちろんゴブリンたちも強く制御はしている。人間とともに暮らすことなんかなかったのでトラブルはあるようだけど、双方諍いを発生させてはならないという感じでひいてくれるので助かっている。五神官による統治がジュシュリでは大きかったのが幸いした。砦の兵士側はハームルさんの言が大きいみたいだ。元から兵士たちに人気があったようだしね、ハームルさん。
そうやって砦の立て直しのために一週間ほど砦にとどまったハームルさんが私と五神官の数名を連れて本国に帰還することになった。その前に私と五神官たちをパーティーへ招待してくれた。
私は村では普段、着ていなかった五神官とおそろいの服で行くことにした。こちら側の者であると分かりやすいし、民族衣装はフォーマルだってイメージが私にはあったので。
その前日にハームルさんから贈られてきたという箱を受け取った。中身を見てみると私のサイズにあった肩掛けのようだった。前日ということは私にそれを着けてこいって意味だよねぇ。今までのハームルさんの言動からこれが嫌がらせとは思えないし。着けてみるとそれなりに合うようで良かった。
五神官の一人、【言語】のゴガによると帝国の意匠なのではということだったので、急遽女性である【魔術】のゲゴと【言語】のゴガに自分用の肩掛けを急いで用意するように言った。もしかすると帝国では肩を出す衣装はダメなのかもしれない、と思ったから。
五神官が来ている服は簡単に言えば男女問わずタンクトップな神官服だったから。ハイゴブリンやゴブリンたちも袖が付いている服を来ているのは見たことがないし。まあそもそも男性は上半身裸なのがほとんどだしね、ゴブリン。
当日、正直わくわくしてパーティ会場へ赴いた。昔のジュシュリは基本狩猟で肉ばかりだったらしいけど、さすがに人口を保てなくなってきたから穀類の農業をしていたらしい。実際ジュシュリには畑もあった。しかし基本肉食なのであまり穀物は好まれず、食べれればいいという感じで料理という概念自体ほぼ死にかけていた。ハイゴブリンは人間と同じ感じだけど、ゴブリンは明らかに焼いた肉より生肉の方が好きらしいからなおさらだ。
けれども、こんな感じでは私がもたないので偶然私の【実家】で見つかった根菜も農作物として加えたぐらいだ。最初はろくな食器すら無く、調味料も塩だけという有様だったけど、食器や食事用テーブルの文化、香草などを探して食べ物に加える文化、鍋で根菜を煮込んで料理する文化などを押し付けた。
せっかく鍋があるのにゴブリンたちは穀物を煮る以外に使っていなかったのだ。幸い【口伝】のガギが、神話の時代の料理という文化を知っていたし、ハイゴブリンは人間と同じ感じなので最低限の文化は残っていたから普及には苦労しなかった。ゴブリン達も肉食動物というわけではなく植物を食べるという文化が消失していただけだったようだ。私が来る前から穀物は食べていたしね。
すなわち、グダグダ言ってきたけど、私はおいしい料理に飢えていたのだ。パーティーなのだから当然いい料理も出てくれることだろう。最前線ということで少し心配だけど。




