夢からの目覚め
「ただいまー」
私は玄関で帰宅を告げる挨拶をした。……返事はない。今日は普段より遅いからもう寝ちゃったかな? 手に持ったケーキの入った箱は、お昼に抜け出して近所にある評判のいいケーキ屋で買ったものを職場にある冷蔵庫にしまっておいたものだ。今日は両親の結婚記念日だ。私が子供だったころは結構なお祝いをしていたので、私にとっても特別な日となっていた。
台所に向かって、ケーキを箱ごと冷蔵庫に入れる。もう寝てしまったのは仕方ない。本当は今日中に食べたほうがいいんだけどね。結構飛ばしたんだけど職場を出た時間自体遅くなってしまったからなぁ。
お祝いの日にお祝いできなかったことに罪悪感を覚える。
……あれ? これって何の記憶だ? 私はこんな体験をした覚えがない。両親の結婚記念日に帰りが遅くなった日に覚えがない。……いや、一度だけあった。しかしその日の私は、自宅にたどり着けなかった。
記憶ってなんだ? たどり着けなかったって? 寝ていないはずなのにまるでずっと寝ていて夢を見ている気分だ。もうとっととシャワーを浴びて寝てしまおう。
ふと気になって、両親の寝室にそっと静かに入る。顔をひと目でいいから見ておきたかったからだ。何故? 今朝朝食時に会っているじゃないか。けどもう両親の声も顔も忘れてしまったから。たった一年程度で忘れるわけがないと思うんだけど、妙に気になってしまったので。
真っ暗だから顔は見えない。もし起こしてしまうと悪いけど、ベッドの中で本を読むための照明をつけた。
まぶしい!
目がくらんで、気づくと私はベッドで寝ていた。誰か二人の声が聞こえる。体はまだ動かせないようだ。
「あの子だけは助けたい。呪いの類ならなんとかなるはず」
「人間に対しての呪いだと思うわ」
「なら何故君も?」
「私は貴方を愛してしまった。エルフは人間を愛すると人間になるのよ、見た目は変わらないけど」
「ならこの子も人間、なのか? だから右足が……」
「いえ、この子は半分だけ人間のハーフエルフのはず。まだ子供だから安定していなかったのかも」
「幸い私も君も今は抑え込めているが、存外効力が高く、このまま抑え込めるかどうか分からない。けど可能性があるならこの子だけでも」
「ええ、もちろん。右足は間に合わなかったけど、左足は助かったようだし、なんとかなるわ、きっと」
「そうだな。俺はこれから、もう一度あの霧を見に行ってみる。なにか手がかりがあるかもしれない」
「危険だわ」
「だろうがこのまま手をこまねいていてもダメだと思うんだ。なら可能性にかけてみる」
「わかった。私はこの子と留守番しておくわ。気をつけて」
目がなれてきたら、ベッドで寝ながら何かで覆われて暗いのだと気づいた。声はもうしない。一人が立ち去ったような物音がした。
「大丈夫、だから、ね」
不意にこの二人が、私の記憶にはない、この世界での両親なんだと気づけた。だとしたら霧に近づいてはいけない。母はもう手遅れだったが、そうなる前にこの母の、両親の子として何かをしたい。けど体は動かなかった。
いったいどうしたというのだ。私は……。確か、ミリシディアの一部を割譲して貰う代わりに、ミリシディアにばらまかれた人間を石灰の塊にしたり巨人にしてしまうデバイスを取り除くために、それを制御するラキーガと戦っていたはず。
そのラキーガもなんとか取り押さえて、私が癒やした、はず。……倒す相手を癒やした? いや、確かに私にとってはそれは癒やしの力だったはずなのだけど、不死身であるはずのラキーガには致命傷になるものだったはず。実際ラキーガは私の魔力を受けて、消滅したはず。
……そこからの記憶がない。なんかみんな集まってきていて、パサヒアス様も来ていた気がするんだけど……。いつの間にか寝ていて、先程の悪趣味な夢を見続けた? あれは夢なのかな? 前半は私が体験していないはずの、存在しなかった未来の一部だった気がするけど、後半は私となった子の確かに体験していてもおかしくはない内容だった。この体が覚えていた記憶なのか、状況証拠から私が勝手に作り出した、それこそ夢なのか……。
そもそもの話、私は今どうなっているんだ。意識ははっきりしてきたけど、相変わらず体はぴくりとも動かせない。目は閉じてるのか見えないし、匂いも感じない。体の感覚、例えば寝ていて背中に寝具を感じるとか、寝すぎて体が痛い、とかもない。痛くないという意味ではなく感覚がない、という怖い感じだ。
ただ聴覚だけは働いているようで、周辺にいると思われる声が聞こえる。
「リンが覚醒しそうだというの本当か?」
「ええ、今までも夢は見ていたようですが、頭、意識もはっきりしつつあるようです」
「ええ、今までも夢は見ていたようですが、頭、意識もはっきりしつつあるようです」
同じ内容の言葉が聞こえるけど、最初の覚醒しそうなのかと問うているのは私の伯父である帝国の皇帝の声、同じ内容の先の方は魔王パサヒアス様のお声、その後の同じ内容の声は、私が治めるゴブリン部族ジュシュリの五神官の一人、【言語】のゴガの声だった。私は両方を理解できるので二重に言っているように聞こえたけど、単にゴガが伯父のために通訳したのでしょう。
「体の中心から強い魔力が発せられています。悪い魔力ではないようですが……」
この声は伯父専属の癒し手のテオン様のお声のはず。けど声が少し違っている気がする。喉を痛めているのかな?
「まったく。死ぬ直前みたいな状態で帰ってきたと思ったら、二年も寝続けおってからに」
え? 二年? どゆこと?
「パサヒアスよ。リンの代謝を止めていると言っておったな、そのせいで覚醒できないとかじゃないだろうな?」
「ご心配なく。すでに解除しておりますよ。魔力枯渇と過多が同時に起こるという矛盾が発生したため、保存魔法、プリザーベイションと同様の魔法で矛盾が解消されるまで肉体を保存していただけです。精神、魂、心といった部分には一切問題はないはずです」
あ、体の感覚が戻ってきた。ベッドで寝ているようだ。ほぼ同時に嗅覚も戻ってきたようだ。近くに花か果物でも置いているのだろうか。甘い匂いを感じる。体の中心の魔力の存在も感じていて、そこから私の体の各部分に魔力がめぐっている。この強い魔力は私由来のものではない気がする。テオン様が近くにいることだし、テオン様の癒やしの魔力かな。
「おお、確かに顔色がよく、生気が戻ってきておるように見えるな。ほれ、はよう目覚めよ。帝国の皇帝を待たせおってからに」
目が開いた。視覚も生きている。天井が高い。ずっと手を握っていてくれたのはテオン様? だよね。前から美少女だったけど、少ではない美女になりかけといった感じかな? すぐに伯父が顔を覗かせてくる。
「この、ずっと心配かけさせおって! おかえり、リン」