牧場防衛線、異常あり
「しまっ――――――」
コボルトの体から光があふれ出すことを誰も止めることはできない。閃光の中で魔法陣が浮かび上がっていることを誰も知りえない。
俺たちの背中に濃い影がうつしだされていることを誰もが気付いている。
だから、俺たちの目の前に陰の魔物が作られることを防ぐことはできなかったのだ。
それは異形、そのものだった。
暴力という言葉をそのまま形にしたようなおぞましい形状をしていた。
武器や拷問道具が手足となり、口は開いたままで牙をのぞかせていた。
そいつは、俺たちの前に立ち、口角をニヤリと上げる。
「これはこれはセーラお嬢様、こんなことろにおいででしたか」
「……その声、アラブットね」
影の魔物にはヒト型の頭がついていた。
それは眉や髪はなく、まるで人形のように無機質であったが、口はきちんと動き、何もついていない目でセーラや俺たちを見渡してみせる。
「ドラゴンを探しにやってきたのですが、他の目的も達成できそうで一石二鳥です」
影――――――アラブットはおぞましい形状の腕をセーラへと差し出した。
そのしぐさに警戒した俺は剣を抜きつつ、彼女を後ろに下がらせる。
アラブットはその人形の顔だけをにっこりと笑わせる。
「さぁ、このアラブットとともに行きましょう」
「どうしてエリザベスのことを探していたの」
セーラが俺の後ろから、そんなことを尋ねた。
それでも、人形の表情は変わらない。しかし、言葉は少し詰まりを見せる。
嘘をつくつもりだと、誰もが確信を見せる沈黙であった。
「……もちろん、あの方は前魔王様の旧友ですから、現魔王の私としてはさらなるお付き合いをですね」
「傷を負わす必要はないですわよね!」
「それは――――――、そう、傷ついて私の前に現れたのですよ。それで、助けを求められてですね。 ですがそこにもエリザベス様への追手が! そこで私たちは命からがら足止めをし、逃げていただいた、というわけなのですよ」
明らかに口から出まかせを吐いている。
俺は警戒を解かないまま、アラブットを睨みつけ、剣をその顔へと向ける。
「そうか、じゃあ俺たちが彼女を治療して守っているから帰っていいぞ」
「何ですか、貴方は」
「俺はウォレン、セーラの婿だ」
「うぉ、ウォレン!?」
その発言には、セーラを狙うアラブットの眼を俺に向ける意味合いがあった。
それは効果覿面だったみたいで、その人形の顔は崩れを見せる。
セーラの顔も何故か真っ赤に染まっていた。
「あぁ、あぁあああぁぁぁあぁあ!!!」
大きく口が開かれ、そして牙から黒いしずくがポタポタと地面に落ちる。
激昂、であった。
「なんと嘆かわしいことでしょうか!? 魔王様の忘れ形見がこんなところで洗脳され、卑しい男の手の内になっていただなんて!」
いい感じだ。
アラブットの視線は俺にくぎ付けである。
「兄さんのことを、侮辱するなっ!」
怒りに目を染めたラビーニャが魔物の背後から現れ、その首へと剣を振るう。
危険な行為であったが、隙をつくタイミングとしては絶好である。
しかし、その軌道は首を素通りするだけで、それを地面に落とすことはなかった。
確かに剣はアラブットにあたっていた。しかし、まるで影そのものであるかのように、斬れるということを全く起こさなかったのである。
「効きませんよ、影ですから」
「なにっ!?」
「……斥候は囮だったか」
すぐに撃退した。というゴブたろうの報告を俺は思い出す。
今、目の前で見たように攻撃を無効化する術を使えるなら、その時にも使っているだろう。
おそらく、攪乱のためにすぐにやられたふりをして魔物を消したのだ。
「察しがいいですね、ですがここまで侵入させてしまった時点で私の勝ちです」
アラブットはニヤリと笑って見せる。
彼の言葉の通りで、ここに入れてしまった時点で防衛戦は破られている。
ここからどうするか、俺はすぐに考え出さないといけない。
しかし、敵はいつも待ってくれるわけではない。
「さて、塵殺しましょう」
「距離をとれっ!」
俺は叫び、警戒心を味方へと伝染させる。
ここにいるのはセーラ、俺、ラビーニャ、そしてゴブたろうの四人だけである。
それだけでこいつを相手できるだろうか。
「ゴブたろうっ!」
「もう呼んでおります、主様」
応援はすぐにはこないか。だけれども、彼の準備が早くて助かる。
どっちにしても逃げるにはポチ太や狼系の魔物の力が必要になる。
それまで耐え忍ばなけれなならない。
「セーラ、準備ができ次第、最大火力を打ち込んでくれ。 周りの損害は気にしないでいい」
「わかりましたわ」
物理攻撃が無効なら、魔法で対抗するしかない。
セーラは赤髪を振り、頷いていた。
そして、魔力を練り始める。
暴発でもいい、ダメージを与えることが重要である。
アラブットはくくっと笑い、ギロチンのついた右腕と、先が棘のついた鉄球になった左腕を上空へと上げた。
「無駄なことを、次期魔王のアラブット様にたてつこうなど」
「……悪いな、俺が次期魔王の予定なのでね」
「戯言をっ!」
襲い来る腕を避けて、俺は即座に離脱する。
セーラがこちらへと掌を向けてるのがわかっていたからだ。
「水龍の激昂!」
「五式、千花雷奏っ!」
「ゆけっ! ゴブリンゴーレムたち!」
各々の攻撃が、アラブットの影へと向かっていく。
爆音、地面を震わすほどの振動が起き、視界を覆いつくすほどの土埃が立ち込める。
「や、やりましたかっ?」
セーラがそう叫ぶも、俺はそうではないことに気づいていた。
煙の中に陰が現れ、その塊は俺へと向かってその腕を振りかぶる。
だから、俺はその脇をすり抜けて、無駄だとわかっていながらも剣で切りつける。
「勘の鋭いゴミですね……」
俺がいた場所の地面は深く抉れ、土の色が変わっていた。
あそこから動かず、下手にカウンターなど狙っていたら死んでいたことだろう。
背中に冷たい汗が流れる。
影は切りつけたところから煙を上げ、その傷跡をどんどんと小さくしていった。
そして最後にはまるで傷なかったかのように黒々とした体表へと元通りになる。
やはり、物理攻撃は効果がない。
影はまたその歪な足でこちらへと駆け出し始める。
その間に、セーラやラビーニャが攻撃を放つが、それは体をすり抜けてしまうのだった。
「その体、便利そうだな」
「ふふっ、そうでしょう。それにこれを倒せたとしても本体の私は傷一つ付きませんよ?」
……こいつが本体じゃないのか。
確かに、敵陣かもしれないところにみすみす対象が現れるわけもないか。
「さてと、そろそろおしまいにいたしましょうか」
跳躍、その陰の体は視界から姿を消す。
そして次の瞬間には俺の背後に立っており、その鋭いギロチンのような腕が迫っていた。
こんなにあっけなく、終わってしまうものか。
俺は固く目を閉じる。
しかし、いつまでたっても体に傷がつくことはなく、痛みを感じることもなかった。
「あーるーじ! レズバが助けに来ましたよ」
そんな声がして、俺は瞼を開ける。
するとそこには、糸でがんじがらめになっていた影の姿があったのだった。
そして、首根っこが捕まれ、急速に俺の体は敵から離れていく。
「ポチ太、お前も間に合ったのか」
そう、俺は巨大な狼に優しく咥えられていたのだ。
「くそ、ごみどもがわらわらと。鬱陶しいことこの上ないですね」
影が吠え、糸をすり抜けて昆虫系の魔物と争い始める。
ほどなくして魔法も飛び交い始め、サムトたちも戦闘に加わり始めた。
俺はポチ太に連れられ、離れたところに降ろされる。
そこにはセーラとラビ―ニャが泣きそうな姿で立っていた。
「ウォレンっ!」
「兄さん!」
二人はすぐにこちらへと駆け寄り、俺が生きていることを確かめようと、腕を広げて抱きしめてきた。
「心配をかけたな」
「危なくなったらすぐに逃げ出すっていってましたのにっ! ウォレンはうそつきですわ」
「私、兄さんにまだ恩返しできてないんですからっ! 危ない目にあってほしくないです!」
「す、すまない」
胸のなかで潤んだ瞳をする二人に、俺は謝罪の言葉しか出てこなかった。
二人とも、俺と一緒に戦ってくれた。
もしかしたらその立場は違っていたことを考えると、なにも言い訳する子はできなかった。
もしセーラかラビーニャが狙われていたのだったら俺も同じことを言う。
セーラはルビーの瞳を潤ませて、俺の肩を掴む。
「逃げますわよ。わたくしの想像以上にアラブットは力をつけておりますわ。今のままでは敵いません」
「そうですよ、兄さん。 魔物や牧場はまた集めて育てられます!」
二人の真剣な眼差しが、俺を貫く。
それでも俺は首を横に振った。
「いや、叩くなら今しかない。あいつの影の攻略法がわかったかもしれない」




