彼が言い出せなかったこと2
「失礼。ルーチェ嬢はお帰りだろうか」
「え、ええ、先ほど…あの」
「約束をしていないから断られても仕方がないとは思うが…取り次いでくれないか。リュシオンのアレクサンドロだ」
「リュシオン…ドラコニア侯爵家の?しょ、少々お待ちくださいっ!」
竜を文字通り飛ばして現れたアレクサンドロを迎えたメイドが、慌てた様子で邸内に駆け戻っていった。
それを新入りかな、と呟きで見送って、多少不機嫌そうな自分の竜を厩まで連れていく。
馴染みの厩番はおやと眉を上げて彼を迎えた。
「こりゃあ閣下、急なお越しですな」
本来、竜を馬の近くに繋ぐと馬が怯えて暴れることがあるためすべきではない。
けれどそもそも竜の数が少なく、持ち主となるとさらに減るため普通竜専用の厩はないものだ。
ジェノーラ公爵家にももちろんないのだけれど、アレクサンドロが頻繁に訪れるために厩番も手慣れていた。
「悪いな。ちょっと…怒らせてしまって」
「ははあお嬢様を。花のひとつでも用意した方がいいんじゃないですかい」
「そんなもの買ってくる余裕はなかったんだよ。…あったほうがよかったかな」
困り果てた顔で赤毛を掻く彼の服装はほとんど部屋着で、防寒着とブーツ、手袋こそ騎乗用でもいかに慌てて出てきたのかがわかる。
それを認めた厩番は、無意味に取り繕わないのはこの若い騎士様の良いところだと心中で点をつけた。
不遜なことだとはわかっているが、小さい頃から見てきたお嬢様が馬鹿な貴族に傷つけられるようなことがあったらと思うとつい観察してしまう。
今のところ彼はお嬢様に乱暴な素振りは見せないし、使用人に対しても傍若無人な態度を取ったりしない。
その上身分は3男とはいえドラコニア侯爵家、さらに言えば数少ない竜騎士と申し分なく、これで醜男だと言うならともかく見た目も爽やかだ。
非の打ち所がなくて逆につまらんなぁと勝手なことを思っているのはちらとも見せずに手綱を受け取る。
苦悩する主人をよそに彼の竜はのんびりと首を掻いていた。
「…会ってもらえるかな」
「そりゃあどうでしょうなぁ。会わないと言われたらどうするんで」
「説明しないととは思ってたし、妹に追い出されてきてるから。会ってもらえるまで粘るさ」
「そうすると根比べですな」
「そんなとこだね。…っと」
ふいにアレクサンドロが屋敷の方へと視線を向けた。
小走りで出てきたのは先ほどとは違うメイドで、こちらは彼とも顔見知りだ。
「アレクサンドロ様!」
「やあノーマ。…なんて?」
「その…お会いしたくないと」
少し肩をすくめて、困ったような苦笑いでメイドが伝言する。
途端に目元を覆って深いため息を吐き出したアレクサンドロに、お嬢様はちょっと拗ねてるだけだと思いますけど、という言葉は飲み込んだ。
この青年はばれないようにからかうと面白いのだ。
「どうなさいますか?」
「……直接伺っていいかな」
「わたくしにはなんとも。奥様や旦那様は…許可なさると思いますけれど」
「公爵はご在宅なのか?」
「ええ」
「では聞いてくれ。話がしたいと」
「かしこまりました」
すっと一礼して彼女が去ると、静観していた厩番が迂遠ですなぁと呟いた。
アレクサンドロは約束がなければこんなものさと返す。
「門前払いされてもおかしくない。知り合いで良くしてもらっているとは言え私の方が目下だしね」
「そんなもんですかい」
「そんなもんだよ」
そっと笑ったアレクサンドロの髪を風が揺らす。
鮮やかな赤毛はリュシオン家のいちばん目立つ特徴で、『ドラコニア侯爵家』と聞くとまずほとんどが『ああ、あの赤毛の』と反応を返すくらいだ。
彼の兄弟も例に漏れず派手な赤毛。
ドラコニア侯爵夫人は美しいブルネットの女性なのだが、彼女の髪色は子供たちに受け継がれずにグリーンの瞳が次男と長女にその面影を残している。
生真面目なところはアレクサンドロが受け継いだようだった。
「さて、交渉するか…」
「粘り勝ちをできるといいですな」
「努力するよ」
彼は苦笑して、お仕着せの裾を微かに揺らすメイドに屋敷の中へ迎えられていった。
もうちょっと続く。






