彼が言い出せなかったこと1
戦争(小競り合い程度で緊張感はない)に行くのを言えずに引き延ばしてたら妹経由でバレた話。
アレクサンドロ・リュシオンは先日、正式に爵位を受けフィエロ男爵となった。
もともと騎士爵は授かっていたのだが、名誉位階であるそれは実質的な力を持つものではない。
父の持つ爵位の中からひとつを受け継ぎ、そしてはっきりした爵位を持つことにより50日間の奉仕を義務付けられた。
のだが。
「……海軍属のお前が陸軍の、それも前線近くに送られるとは」
「仕方ありません、父上。馬と違って人に慣れない竜を乗りこなす騎士は少ないですから」
「相手方に竜騎士はいないと聞く。だが気を付けなさい、アレク」
「はい」
「お前が怪我をしたらルーチェ嬢も心配するだろうし」
「――っ、」
突然出てきた女性の名前にアレクサンドロが飲んでいた紅茶を吹き出しそうになって、無作法を起こすまいと堪えた結果盛大にむせる。
げほごほと咳き込む顔は耳まで赤く、単に咳だけのせいではなさそうだ。
「……ち、父上、その」
「いやなに、先日ジェノーラ公とお会いしてな」
息子のあからさまな動揺に父親であるドラコニア侯爵ミハエル・リュシオンは笑いを噛み殺す。
赤くなったままうろうろと視線を泳がせているアレクサンドロは非常にわかりやすい。
「ルーチェ嬢は可愛らしいお嬢さんだったが、最近は特に美しくなってきたな。年頃の女性と言うのは本当に目を見張るほど変わる」
素知らぬ顔で語る父親を恨めしげに一瞬見て、小さなため息を吐き出す。
自分の倍は生きている父親に口で勝てるわけがない。
更に言えば炎の槍、フィアムランチアと呼ばれた彼の腕は未だ鈍っておらず、武術でも勝てない。
「ああ、今回のことは彼女にお伝えしたのか?」
「……いえ。命を受けてからまだ、お会いできていませんから……」
ぽそぽそと言葉を濁す。
会っていないのは本当のことで、けれどしばらく留守にするとちゃんと伝えておかないと、他の人から聞いたら彼女はきっと怒るだろう。
きちんと言わないと、と思うのだけれど。
「寂しそうな顔をされると……とても困ってしまって」
「なんだ、のろけか?私に言わせればお前はもっと困ったらいいんだ」
そう言った父ににやにやと笑われてぐうと詰まる。
確実に遊ばれていると思いながらも、うまい返しが浮かばないのだ。
「……なんにせよ、きちんとお伝えするつもりです」
「伝えると言ってもお前、出発は明後日だろう。今日明日と余裕もないぞ」
「……しょ、書簡でもできますし」
「彼女は納得せんと思うがな」
なんとか捻り出した言い訳に尤もな答えを返される。
それは、確かにそうなのだけれど。
冷や汗が背中を伝ってぞわりと震える。
「アレク兄様!」
どう切り抜けたものかと必死に頭を働かせているアレクサンドロに明るい声がかかった。
華やかな赤毛を結い上げて、きついカールをかけた髪型は流行りのもの。
パフスリーブは膨らみすぎず、肘まである手袋と合わせて上品に。
淡いグリーンを基調にした普段着のドレスはパニエも少ないので控えめなカーブを描いている。
母親譲りのエメラルドの瞳を吊り上げてはいるものの、それを除けば完璧な外出着姿で立つ少女。
「シア?どうかしたのかい」
妹のオルテンシアだった。
「どうかしたのかなんて!お兄様、そんな間の抜けた質問をしていただいては困りますわ!」
「…シア、父上の前でその言い方は」
「ごきげんようお父様。で、問題はアレク兄様でしてよ」
「なんだその投げ遣りな挨拶は…」
「まぁいいさアレク、聞こうじゃないか」
これの何が問題なのかな、我が家の末娘。そう言って楽しそうに父親が促して、妹は澄ました顔でドレスの裾をつまむ。
優雅に膝を折った礼をして、憤慨も顕に兄に向き直った。
「わたくしが今日どこに行ってきたかご存知?兄様」
「シアが?…ええと…アーネスト伯爵夫人の」
「そうですわよ!」
興奮したようにバンバンと机を叩く。
父はひょいと自分のカップを持ち上げて避難させたが、それをし損ねたアレクサンドロのカップは大きく揺れた。
「メアリ夫人はとぉってもお顔の広い方ですけれど、今日はわりと小さなお茶会でしたのよ。それでどなたがいらっしゃったと思います兄様?ジェノーラのルーチェ姉様もいらっしゃったの!兄様、あなた姉様に説明してないでしょう!」
「あー…」
「失敗したな、アレク」
しまった、と顔を覆ったアレクサンドロにすこぶる楽しそうな様子で父親が口を挟む。
妹は憤ったままだ。
「んもぅ、大変だったのよ!まさか説明してないだなんて思わずに話を姉様にふってしまって、ものすごく気まずくって!姉様もさっき帰られてるはずですから兄様すぐに説明しに行って!」
「今日は無理だろう、夜はいなくちゃいけないし」
「明日はもっと無理なんですからつべこべ言うな!お行きなさい!」
「……父上」
「こちらは多少遅れてもなんとかなるが、機嫌を損ねたレディへの埋め合わせは早いほうがいいぞ」
「そうですわよ!」
父親の愉快そうな声と妹の高い声に押されて、ようやく彼は彼女のもとへと走っていった。
続く。…と思う。