◆第8話◆
「あたし、乗れるかな」
「乗れるよ。誰でも」
僕は榛菜が右側から乗り易いように、バイクを立てた。
「やっぱり駄目。パンツ見えちゃうよ」
「先に、ステップに右足をかけるんだ」
僕の肩を借りて、彼女はタンデム用のステップに右足をかけると「よいしょ」と言いながら、そのまま左足を振り上げてシートに跨った。
「うわあ、結構高いね」
榛菜にヘルメットを被せて、僕もバイクに跨る。
エンジンをかけてスタートすると、下校中の女子高生たちの横を通り抜けて大通りまで出る。
「あ、ハル」
僕は思わず振り向いたが、声をかけられたのは榛菜だった。彼女は歩道にいた友達に笑顔で手を振っている。ていうか、松葉杖を振っていた。
バイクの後ろに乗る彼女の姿に、キャーキャーと冷やかしの声が飛んで、僕はちょっぴりヒーロー気分だったが、気持ちの大半は恥ずかしさに埋め尽くされていた。
信号で一端減速したバイクを、再び加速させた。
「松葉杖落すなよ」
「うわあぁ、気持ちイイ」
僕の腰に回された彼女の手に、キュッと力が入った。
広葉樹の並木の葉が舞い散る中を、まるで陽射しに追い立てられるように僕たちは乾いた風を切った。
「ねぇ、バイトまで時間ある?」
「少しなら。なんで?」
「ううん。やっぱいい。バイト遅れると大変だもんね」
彼女はそう言ったまま黙って僕の身体にしがみついていた。
彼女の家は西落合の、新目白通りからほんの少しだけ入った場所だった。
榛菜は器用に松葉杖を使って体重を支えながらバイクを降りた。
「ありがとう。バイクの方が電車より早いんだね」
「ああ」
僕は彼女の手に視線を落して
「どのくらいで指は良くなるって?」
「うん。腫れ引いた後も痛みは当分残るから、鍵盤が弾けるようになるのは少し先かも……」
「そう……」
「でも、そしたらさ、お客さんで行くよ」
彼女はそう言って、笑顔で応えたが、何だか陰りが見えたのは気のせいだろうか。
「何処か寄りたい所、あったんじゃないの?」
「うん。また今度、乗せてくれる?」
「バイク?」
「ウン」
「こんなのでよかったら何時でも」
僕はそう言って、手のひらで燃料タンクを叩いた。
「じゃあ、今度でいい」
彼女は大きな目を細めて笑うと
「バイト、頑張ってね」
「ああ、じゃあ、また」
「うん。またね」
榛菜は自分の顔の前で小さく手を振った。
バイトが終わって店を出ると、僕のバイクの所に人影があった。
一瞬榛菜だと思った。彼女が、僕に会いにここまで来たのかと思った。
「陽彦」
恭子は、僕のバイクに寄りかかったまま声を出した。
「なんだよ、恭子か」
「何よ、誰だと思ったの?」
「いや、別に」
恭子は僕のバイクから身体を離すと、指先でシートを突きながら
「バイクは乗り回すし、授業はサボるし。ほんっとに…何処に惹かれるんだろ」
「はあ?」
「ハイ」
恭子はそう言って、ノートを差し出した。
「今日の古文のテストで出た問題。全部じゃないけど、記憶の限り書いておいたから」
「何で?」
「おそらく、明日は職員室に呼ばれて、放課後は補習でテストだよ」
「いや、そうじゃなくて。どうして……」
「じゃあ、あたし行くから」
恭子は僕に差し出したノートをバイクのシートに乗せると、自分の自転車に乗って去って行った。
僕は、何だか訳が判らず、とりあえず彼女のノートをディパックにしまいこんだ。




