◆第66話◆
夕暮れの街は、喧騒と慌しさに満ちている。朧に輝く街の灯に照らされながら、昼の顔と夜の顔が複雑に絡み合って交差する。
僕は翌日も池袋をうろついていた。それまでほとんど通った事の無い細い路地を選んで歩き回った。
しかし、それらしい男たちは見つからなかった。あやしい連中と言えば、出会い系や風俗のチラシ配りくらいだ。
ケンイチがどうしてあんな事をしたのか……何故ドラッグの売人と関わっていたのか。彼も、ドラックに溺れた犠牲者なのだろうか。
小学生の頃、ちょっとした悪事は僕や聡史と行動を共にしたが、何時も宿題をしない僕らとちがって、ケンイチはしっかりと勉強もしていた。六年の時には、全学期通してクラス委員をやったほどだ。
そんなアイツがどうしてドラックに関わり、何故犯罪に足を踏み入れてしまったのか。
そんな疑問が焦燥感を煽り、僕を突き動かしていたのかもしれない。
「あれ? キミ」
誰かが声をかけてきた。
振り返った先には一瞬誰も見えない。
声をかけて来た人は車椅子に乗っていた。
「キミ、確かハルちゃんの」
以前、池袋ですれ違った車椅子の男だった。確か、飯塚っていったっけ。
「前にすれ違ったよね。彼女はあの時人違いって言ってたけど、その後彼女と歩いてるのを見かけたし」
彼の車椅子を笑顔で押す榛菜の姿に、僕は嫉妬を抱いてシカトしたのだった。
僕はほとんど初対面の彼と何を話せばいいのか判らずに困惑した。
「ハルちゃんは元気? 最近ボランティアにもあまり参加しないから会う機会も無くてね」
「今、修学旅行に行ってます」
「そう」
彼は僕が歩いていた事に気を使ったのか、そう言いながら前に進み始めた。
「駅に?」
「はい」
車椅子のスピードは思いのほか速く、向こうが僕の足取りに合わせていた。
「ボランティアって、どんな?」
「ああ、障害を持った人たちに楽しんでもらう為のイベントが多いかな。紙芝居や人形劇。七夕には屋台祭り、クリスマスにはパーティー」
彼は僕をチラリと見上げると
「ほら、俺なんかは自分でたいがいの事が出来るけど、自分ではどうにも身体の動かせない人たちも沢山いるから。そう言う人たちはストレスを抱え易いんだ」
「ハルも、紙芝居や人形劇を?」
「ああ、彼女はたいがいエレクトーン係りだね。今のところ、彼女より上手に弾ける仲間はいないから。時間があると、仲間にエレクトーンを教えたりもしてるよ」
僕には判らない世界を、彼と榛菜は共有している。しかし、けっして嫉妬を感じるような世界ではない。
「みんな、障害者だけで?」
「いや、健常者のボランティアの方が多いよ。僕らに出来る事も限られるし」
僕はバイトの時間を気にして、彼に判らないようにチラリと腕時計を覗き込んだ。まだ、時間は大丈夫だ。走る必要もないだろう。
「足、怪我したって?」
「えっ?」
「夏に彼女と会った時、ハルちゃん心配してたから」
飯塚は再び僕を見上げて「もう、怪我はいいの?」
「え、ええ。もうすっかり」
榛菜は僕の事を周囲に何と言っているのだろう。彼氏と言っているのだろうか。
僕の知らない場所で榛菜の口から語られる僕の姿は、いったいどんな感じなのだろう。
バイクを乗り回すちょっと不良っぽい彼氏……それとも、彼女を支える優しい年上の彼氏……いや、まさか身体の関係をやたら迫るエロい男? 僕の中で僕の知らない榛菜が妄想となって色々な僕を描き出す。しかしそれは、全てが僕自身だ。
「あ、俺こっちだから」
飯塚は大通りの交差点まで来ると、横断歩道を渡らずに向きを変えたので、僕は軽い会釈で彼を見送った。
車椅子に乗った彼の姿は、暮色の人混みに直ぐにかき消された。
土曜日の夜、バイトから帰ると僕に小包が届いていた。
差出は七倉榛菜だった。クール便のシールが貼ってある小荷物は、長崎県から発送されていた。
修学旅行の出先からわざわざ何を送って来たのか? 僕は彼女のちょっとした悪戯か何かかと思いながら包みを開ける。
頑丈なガムテープを剥がし終えた時、携帯電話が鳴った。
「もしもし、あたし」
榛菜の声だった。
この数日間電話で何度か話しているが、何だか声まで遠くに感じていた。
「今日帰って来たよぉ」
「ああ、お帰り」
彼女の声はとても近くに感じた。
「あっ、もう昨日か」榛菜が言い換える。
ちょうど日付の変わる時間だった。
彼女の声は心なしか弾んでいて、それが修学旅行の余韻なのか、何時でも僕と会える距離に戻って来た嬉しさの現われなのかは判らない。
ただ、僕が後者と同じ喜びを隠して、無理に声を落ち着かせていたのは事実だ。
「荷物届いた?」
「えっ、ああ、今開けてる」
「ホテルから送るのけっこう恥ずかしかったんだからね」
「何送って来たんだよ?」
「ああっ、ハルくんもしかして忘れてる?」
電話で話しながら開けた小さなダンボール箱の中には、長崎ちゃんぽんと博多ラーメンの詰め合わせが入っていた。