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◆第64話◆

 僕は池袋で見かけた売人の姿が頭から離れなかった。

 接触する方法はあるか? 何かを訊きたい。聡史の事、ケンイチの事。

 僕は翌日、バイトの時間ギリギリまで池袋の公園近くをうろついたが、その日は彼らに出くわす事は無かった。



 ギリギリに店に入った僕は慌ててタイムカードを押して着替える。

 ヒカリは、もうテーブルのセッティングを済ませていた。

「ギリギリセーフね」

 フロアーに出た僕に、ヒカリはそう言って笑った。

「珍しいじゃない」

「あ、ああ。ちょっと急用があってさ」

 何時もと変わらない時間が何時もと変わりなく流れていく。

 僕は時々主のいないアップライトピアノを知らず知らずのうちに眺めてしまう。日曜日まではこの眺めが続くと思うと、少しだけ淋しい気持ちになる。それは、榛菜に会ったばかりの頃、彼女が指を怪我して数日間来なかった時の比ではなかった。

 しかも、今はどう頑張っても自分から会にはいけない。

「なに、元気ないなぁ」

 ヒカリは僕の背中をパンッと叩いて笑った。

 お客が引いた隙に休憩を貰って裏でまかないを食べていると、ヒカリが入ってきた。

「あたしも、今のうちに休めってさ」

 彼女はそう言いながら僕の前に腰掛けた。

「ねぇ、今晩また呑みに行かない?」

「ええっ?」

「なによ、せっかく彼女のいない寂しさを紛らせてあげようかと思ったのに」

「別に淋しくなんか……」

「はいはい。いいじゃん、付き合ってよ」

「わかった、行くよ」

 僕はそう言って笑いながら席を立つと

「でも、ほどほどにしてよ」と彼女の小さな背中を突いた。



 その晩はお客の引きが少し早かったので、僕とヒカリは十一時頃一緒に上がりとなった。

「あれ? 里見くんバイクは? て言うか、制服じゃ飲み屋いけないじゃん」

「あ、そうだ……」

 僕は思わず自分の身形みなりを見回した。今日は時間がギリギリだった為、家に帰っていない。

「はぁ……」

 ヒカリは思わず溜息を漏らした。

「じゃあさ、ウチで呑もうか」

「えっ?」

「帰りはあたしの自転車で帰りなよ」

 彼女はそう言うと

「さ、行こう」

 そう言って、自転車の荷台に先に座った。

 どうしても、誰かと呑みたい気分なのだろうか……

 途中、酒を置いているコンビニで買い物をする間、僕は外で待っていたりして何だか少し面倒だけど、それはそれでちょっとだけ楽しかったりする。

 何だかイケナイ事をしているみたいで……もちろん僕の飲酒は違法だが、そんな表面的な事じゃなくて、そう、不倫カップルってこんな心情なのだろうかと、少しだけ共感してしまった。

 ひと通り買い物を済ませると、彼女を後ろに乗せて自転車のペダルをこいだ。ヒカリがさり気なく僕の腰に添える手が、少しだけこそばゆかった。

 彼女の部屋は二度目だ。

 エレベータに乗った時、既にあの時の彼女の部屋の匂いを思い出していた。

 ヒカリに促されて部屋に入ると、僕の記憶と一致するその匂いは、ちょっぴり懐かしいものに思えた。

 彼女はグラスを出して、おつまみを広げる。練馬の駅前の屋台で焼き鳥も買ってきた。

 僕はグラス一杯で直ぐにメインをコーラに切り替え、彼女はチュウハイとビールの空き缶が増えるたびに、次第に陽気になってゆく。

 ヒカリの机の上には、見たことも無いような定規が沢山置いてあった。

「これ、何に使うの?」

 僕は立ち上がると、雲のような多彩なカーブで模られたモノを手に取った。

「それ、雲形定規よ」

「雲形? 見たまんまの名前だ」

 僕は思わず笑った。

 彼女も立ち上がって僕の傍に来ると

「色んな曲線をこうやって、定規を組み合わせて引くの」

 彼女はそう言って、数枚の雲形定規を並べて見せた。

 ヒカリは肩が触れ合うどころか、髪の毛が触れ合うほど僕に近かった。彼女の火照った体温が微かに感じ取れた。

 僕は、意識しないように心がけるが、微かに鼓動は高鳴っていた。

 そして彼女は突如、僕にキスをした。

 僕は不意をつかれて一瞬唖然として立ちすくんだ。そのまま僕の手を強く引いたヒカリは、ベッドに転がった。

 僕はバランスを崩して彼女に覆いかぶさったが、両手を着いてヒカリにもたれ掛かるのを防いだ。

「な、なんで? 俺、榛菜と付き合ってるよ。ヒカリさん酔ってる?」

 僕は前回以上に動揺していた。今のヒカリの意識ははっきりしている。

 彼女は陽気に声を弾ませて

「言ったでしょ。他人のものは欲しくなるって」

「彼氏の事、忘れられないんじゃないの?」

 彼女は真顔になって「だから、忘れさせて」

 酔い痴れたように潤んだ瞳には、天井に吊るされた照明がゆらゆらと映りこんでいた。




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