◆第63話◆
ヒカリが画材店へ行きたいと言うので、暇を持て余していた僕はすんなりと彼女に付き合って、カフェを出ると路地を渡った。
サンシャイン通りから中池袋公園に向かって路地を入って少し行くと、輸入雑貨と一緒に輸入画材を取り扱う専門店が在った。絵心の無い僕は、その小さな店の存在すら知らなかった。
なるほど、店内には僕にも見覚えのある人気画家の作品をリトグラフにした物も多数販売されていた。
ヒカリは外国製のパステルペンシルのばら売りを物色している。いわゆる色鉛筆だ。
駅ビルにも似たような店がテナントで入っているが、何か彼女にこだわりがあるのだろう。僕は店内の狭い通路をうろついて時間を潰す。
その店を出た頃には、もう西陽も暮れかけて街路灯に灯が入りだしていた。
公園側に向けた僕の目に、どうにもアヤシイ二人組みの男が映った。
……あんな所に立って何をしているのだろう。ナンパには見えない。
しかし、直ぐにその理由が判った。
ドレッドを巻いた男がその二人組みに近づくと、素早く何かを渡した。
二人組みの片方が素早くそれを確認して数えている。札だ。
そして、もう一人が素早く小さな袋をドレッドの男に手渡した。
僕は視線を固定しないように辺りを眺めるふりをしながら、ゆっくりとした動作でそれを盗み見る。
ドレッドの男が足早に立ち去り、二人組みは再びその場に立って辺りを覗う。彼らの顔がこちらを向いたので、僕は携帯を取り出す動作と共に視線を反対側の建物に移した。
その時、会計を終えたヒカリが店の外に出てきた。
「お待たせ」
「おう」
「里見くん、どっか寄りたい所ないの?」
「えっ、あ、俺は別に」
僕たちは駅前通りに向かって歩き出した。
……あれがそうだ。こういう奥ばった路地で売買してるのか。僕は確信にも似た思いだった。
あれは明らかに違法な物品の売買現場だった。そして、真っ先に考えられるのはドラッグ。今更違法テレカも無いだろう。
僕が一度だけ振り返った遠くに霞むような暗闇には、あの二人組みに再び近づく誰かの姿が映っていた。
「どうしたの? きれいな人でもいた?」
「えっ、いや」
ヒカリは笑って「それとも売人でもいた?」
「知ってるの?」
「えっ?」
彼女は自分の些細な冗談に対する僕の反応に、一瞬困惑した。
「売人って」
「ああ、何処にでもいるじゃん。池袋でも公園の近くの路地は有名だよ」
「エスかな?」
「さあ、トルエンかもね」
ヒカリはそう言って僕に笑いかけた後、不安げに表情を曇らせて
「まさか里見くん、あんなの買ってないよね」
「まさか」
「学校でもさ、手を出してる人いるから。最近は身近な人でも興味本位で手を出してたりして怖いよね」
僕は「そうだね」とだけ相づちをうち
「腹減らない? 何か食べようよ」
話題を直ぐに変えた。
身近な人。そう、僕の身近な人もドラッグに溺れてしまった。そして、それに関わった聡史は命を失ったのだ。
「あれ? 新しい彼女?」
サンシャイン通りに出た所で秋夫にバッタリ出くわした。
「ははあん、姉貴のいない間に浮気だ」
「違うよ、バイト仲間の娘さ」
僕は秋夫に言い訳をしなければならなかった。
「そうやって、職場で手ぇ出しまくってたりして」
秋夫はポケットから出したタバコを咥えてそう言った。
「馬鹿なこと言うな」
僕は彼の咥えたタバコをパッと口から引き抜いた。
「年上だぞ。彼女に失礼だろ」
「年なんて関係ないじゃん」
秋夫にしてみれば、その通りだろう。
「私服なんか着て、学校行かなかったのか?」
僕は少々苦し紛れにそう言ったが、どう見ても彼が学校帰りには見えないのは確かだった。
「今日は創立記念日で休みさ」
秋夫はそう言いながら、周囲の人波を視線で追った。
「姉貴に頼まれて、あんたを尾行してたんだよ。今まで気付かなかった?」
「はあ? ウソだろう」
僕は、僅かながらたじろいだ。
「ウソに決まってるだろ。誰がそんな暇な事」
秋夫は微かな笑みを浮かべると、通りの向こうへ渡り路地へ入って消えた。
「あれ、もしかして榛菜さんの弟さん?」
ヒカリが言った。
「あ、ああ。よく判ったね」
「秋とハルで解り易いジャン。それに、職場で手ぇ出しまくりって」
「いや、手ぇ出しまくりってわけじゃないよ」
「判ってるよ。彼女は特別なんでしょ」
「いや、特別っていうか……あれ?」
僕はふと気付いてヒカリに訊き返した。
「俺とハルが付き合ってるの、知ってた?」
「判るよ。何となくね。あたしもハルくんって呼んじゃおうかな」
ヒカリはそう言って笑うと「何食べて行こうか? ハルくん」