◆第57話◆
日中はチクチクと肌を刺すような陽差が身体に照り付けて、キャミソール姿の女子大生もまだまだ目にするが、夜風は乾いて何時の間にか心地よい季節に変わろうとしていた。
バイクで走る風は尚の事、羽織った長袖シャツも苦にならなくなる。
その日、夕方バイトに入ると祐介が既に入っていた。彼が僕より早く入るなんて、今までにもほとんど無かった事だ。
「あれ、珍しく早いね」
祐介は何食わぬ顔で笑うと
「ああ、俺、今日で終わりだからさ」
「えっ?」
僕は、一瞬呆気に取られた。
「俺、聞いてないよ」
「マスターの事だから忘れてたんじゃないか」
「忘れてたわけじゃないぞ」
厨房からマスターが言った「今夜は送別会だ」
僕たちは声をそろえて
「それも聞いてないっす……」
「おはよう御座います」
女性の声が聞こえた。
その声の主は裏から入って来たが、榛菜ではない。聞き覚えの無い声に反応して振り返る。
僕と祐介は少し離れた位置にいたにも関わらず、思わず顔を見合わせた。
お互いに「誰?」という顔をしている。いや、もちろん自分の表情は判らないが……
「今日から入る、相原ヒカリさんだ」
マスターはそう言って当たり前のように彼女を紹介した。
「えっ、フロアーですか?」
「ああ、祐介の代わりだからな」
いつの間に募集していつの間に面接したのか知らないが、おそらくマスターは、ここに欠員が出ない為、祐介が辞める事も特に言わなかったのだろう。
「祐介、今日だけ一緒だけど、お前の代わりだから、いろいろ教えてやってくれ」
マスターはそう言って厨房の中に戻ると
「とりあえず、休憩室に案内してやってくれ」
フロアーに女性がいると言うのはいいものだ。何だか自然に張りがでる。
それとも、自分に後輩が出来た事が心地よいのだろうか。榛菜は僕より後にここへ入ったが、役割が全く違う為、その立場は最初から対等だった。
ヒカリは祐介に仕事を教わりながら、あちこちを足早に歩き回る。お客の後片付けでテーブルを拭く姿も、何だか初々しくて可愛らしい。
ただ、ここの制服である白いシャツと黒いボトムは女性も同じだった。つまり、ここでスカート姿なのは結局榛菜だけなのだ。
「おはようございます」
榛菜が裏口から入って来た。
「おはよう」
僕に声をかけながら店内に目を止めた彼女は
「あの人は?」
「新人だって」
「へぇ、人増やしたんだ」
榛菜の視線を感じたヒカリは、こちらを見て頭を下げた。榛菜も慌てて会釈を返す。
僕はヒカリを呼んで、榛菜を紹介してあげた。
女性同士の少々ぎこちない笑顔の交わし合いが、何だかちょっとおかしかった。
「祐介さんが、今日で終わりだって」
「うそ……」
マスターは、やはり誰にも言っていなかったようだ。
十時になると店を閉めて祐介の送別会をした。いきなり閉めて大丈夫なのかと思ったが、何気にドアの外には張り紙がしてあった。いつの間に貼ったのかは判らないが……
相原ヒカリは二十歳。アート系の専門学校に通っているらしい。
祐介の送別会と一緒に、彼女の歓迎会も行った。
「里見はいいよな、これから毎日女の子に囲まれて」
祐介はしきりにそんな事をぼやいていた。確かに、これからはマスターを除けば僕一人が男……しかし、祐介の代わりだけあって、ヒカリは毎日シフトに入るわけでは無いのだ。
祐介も、いよいよ本格的に就職活動に入るそうだが……少々遅い気がしないでもない。
「仲良くやろうねぇ」
ヒカリはビールを片手に冗談半分で、僕にそんな言葉を投げかけて笑う。
笑顔を返す僕に、何時もと違う榛菜の視線が、ちっぴり刺さって来たのは気のせいだろうか。
翌日からは早速ヒカリと二人でフロアーを行き来する。
彼女はテキパキと働き者だったが……
「すいません、いまお取替えいたします」
時々オーダーを間違えたり……
「あぁぁ、すいません」
時々皿を落として割ったりする。
「大丈夫、俺がやっておくから、ヒカリさんはオーダー取ってきて」
僕は、自然に彼女のフォローを余儀なくされる。
しかし、古株のサガと言うのか、それを苦痛には感じる事はなかった。それよりも、意外とそそっかしい彼女が、年上なのに可愛く感じたりしていた。
彼女は榛菜より少しだけ背が高いが、それほど大きい方ではない。肩にようやく着く髪の長さとかは、何となく亜貴に似ている雰囲気を持っているが、よりコミカルな印象はそそっかしいせいだろう。
今風の濃いマスカラから覗く瞳が、かろうじで年上を感じさせる。
「すみません。何だか助けてもらってばっかりで」
彼女とは休憩が一緒になることは無かったが、同じフロアーで動き回るのでよく話をした。
「あ、あのさ。年上なんだから必要以上に敬語で喋らなくていいよ。ここ、そんな堅苦しい職場でもないし」
「でも……いちおう、ここでは先輩だし」
「いや、調子狂うって言うか、なんていうか」
僕は、年上の彼女に敬語で話される事にこそばゆい気持ちを感じていた。