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◆第52話◆

 榛菜とエリは、二人で通路を歩いた。もちろん車椅子で。広い場所では並んで通る事ができた。お互いの目線が一緒だから、何だか気持ちが落ち着いた。

 エリは慣れた動作でエレベーターに滑り込むと、くるりと一八〇度向きを変える。榛菜もそれに続いたが、定位置での転回は出来なかった。

 それでも自分の意思で車椅子を走らせて、そのままエレベーターに乗り込むと、榛菜は何だか少しだけワクワクした。

 エレベーターが一階に到着すると、両脚で立っている他の人たちはみな、彼女たちを優先的に降ろしてくれた。

 榛菜は、いそいそと後ろ向きでエレベーターを降りるのがちょっとだけ恥ずかしかったけど、エリが一緒だったので心強かった。

 二人は一緒に売店へ入った。榛菜は自分で売店に来たのも初めてだった。そこは車椅子のままでも充分に買い物が出来る広さがあった。

 この夏新しく出たらしい炭酸飲料に期間限定味のポテトチップ。榛菜は思わずあれもこれも手に取る。

「これから外に行くのにそんなに買うの?」

 エリに言われて、榛菜はハッとして頬っぺたを紅くした。

「帰りにまた来よう」

 エリの笑顔に頷いた榛菜は、彼女と一緒にジュースだけ買って、売店を出る。

 裏の通用口から外に出ると、直射日光の陽差に榛菜は目を細めた。

 建物の周りをぐるりとまわる。病院の裏庭を見るのも榛菜は初めてで、自分の視野の狭さを痛感した。

 昨日までは、時々看護師や母親に押されるまま車椅子で庭の散歩に出ていた。その景色は何処かおざなりで、簡素なものに思えた。

 でも今は違う。

 自分の意思で右に曲がり左に曲がり、ほんの少しの傾斜に負荷を感じて、それでも息を切らして車輪を回す。

 八月の暑さも手伝って、榛菜の額には汗が流れていたが、同時に笑顔が零れていた。それは意識しないまま湧き出る笑顔だった。

 並木の木陰まで来て二人は止まった。

「自分の意思で歩き回るのって、楽しくない?」

「うん。気持ちいい」

 榛菜は汗を拭いながら笑った。

 昨日まで感じたうっとおしいほどの陽差が、やたらと清々しく感じた。

「車椅子ならベンチを捜す手間も要らないしさ」

 エリはそう言って笑いながら、売店で買ったジュースを口にした。



 * * * *



 榛菜は自分から車椅子に乗るようになった。もう一人でもスムーズに乗りこめるし定位置転回も自由に出来るようになった。

 母親が彼女の病室を訪れると、しばしば不在の時があって、そんな時はたいてい庭を散歩している事が多い。

 エリが検査などでいない時は、一人で庭へ出て木陰で読書などをするようになった。



 程なくして、エリが退院する事になった。

「エリちゃんがいなくなったら淋しいな」

「時々は遊びに来てあげる」

「ほんと?」

「うん。ていうか、ハルちゃんも、もうじき退院できるよ」

「そうかな」

「そうだよ」

「あたしが退院したら会えなくなる?」

「会えるよ。そしたら、一緒に買い物行こう」

 工藤エリが退院の日、二人はそう言って笑顔で別れた。

 しかし、エリが再び榛菜の病室を訪れる事はなかった。

 どうして彼女は来ないのか。外の生活が楽しくて、自分の事なんて忘れてしまったんだろうか。

 榛菜は僅かながらそう思っていた。

 それでも、エリのお陰で榛菜は明るさを取り戻していた。

 見舞いに来た亜貴を、笑顔で迎える事も出来た。

 亜貴は榛菜が入院して直ぐに、一度見舞いに来た。しかし、その時は一人部屋だった榛菜の病室の前で引き返している。片脚を無くした親友の姿を見るのが辛かったから。

 そう、身体の一部を失った榛菜に会う事は、亜貴にとっても勇気が必要だった事は確かだ。

 その後も何度か病院へ来ているが、内にこもり出した榛菜が会おうとはしなかった。母親が病室にいない時など、声をかけられないまま病院を後にした回数はもう本人も覚えていない。

「ごめんね、心配かけて」

「そうだよ。めちゃくちゃ心配した」

 亜貴は榛菜に真顔でそう言うと

「あたし友達少ないんだからさ」と笑った。

 そんな事はない。亜貴は、気は強いが明るくて本当は優しい娘だ。だから、男子にも女子にも人気がある。

 彼女の冗談に、榛菜も思わず笑った。

「退院したら、学校来れる?」

「判んない。片脚が無くても行けるのかな」

「関係無いんじゃない?」

「でも、体育はできないなぁ」

「その代わり、学芸会のダサいお遊戯しなくていいじゃん」

 亜貴のちょっぴりお気楽な言葉に、何故だか榛菜も気が楽になった。

 夏休みも終わる頃には、榛菜は松葉杖だけで歩く練習を始めた。もう直ぐ退院して自宅療養に切り替えた方が良いだろうと医師から提案があったのだ。

 この頃、母親は学校への復帰を申し出て、その条件の難しさに密かに頭を抱えていた。





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