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◆第51話◆

榛菜が片脚を無くした頃の話が3話分あります◆◆◆左脚と一緒に無くした笑顔を、彼女はどうやって取り戻したのか……

 …………

 …………………


「ハル、亜貴ちゃんがお見舞いに来てくれたわよ」

「帰ってもらって」

 七倉榛菜は閉め切ったカーテンでぐるりと囲われたベッドの中で言った。

「せっかく来てくれたのよ」

 母親は榛菜の身体に布団の上から優しく触れた。

「会いたくない……」

 彼女は脚のない自分の姿を、親友にさえも見せたくは無かった。

 亜貴は病室の入り口から、カーテンに閉ざされた向こうにいる親友の気配を見つめていた。

 窓から差し込む陽の光がリノリウムの床に白く跳ね返り、室内のあらゆる物が溶け込んだように影の模様を作っている。

「ごめんね亜貴ちゃん。ハルはまだ具合がよくなくて……」

「ううん。いいんです。また来てみていいですか?」

「えっ? ええ……ありがとう。帰りは気をつけてね」

 亜貴は榛菜の母親に笑顔を返すと、通路を去っていった。一二〇センチちょっとのその後ろ姿は切ないほどに可憐で、廊下を照らす白い明かりに吸い込まれていった。



 榛菜は車椅子の上で陽の光を浴びながら、病院の庭に植えられた並木を眺めていた。

 脚を切断して二ヵ月が経とうとしていた。

 膝を曲げるリハビリは何とかこなした。しかし、その先を動かす努力は必要ないし、何の為に膝を曲げる必要があるのかも榛菜には判らなかった。

 頭の中は何時も空虚で、何かを考える事が苦痛だった。

 自分の無くなってしまった左脚を嘆く事が、自分のした行為に対して後悔する事が怖かった。

 それを後悔すると言う事がどういう事なのか彼女には判っていた。

 自分の脚を無くした行為。

 あの時道路に飛び出しさえしなければ……しかしそれは、弟の秋夫を助けなければよかったという考えと直結してしまう。

 そう思うことが怖かった。

 だから、何時も頭の中を空っぽにして過ごした。それは同時に、彼女の前向きな性格を奪ってしまう事でもあった。

「ハルちゃん。暑くない? 少し日陰にいこうか」

 車椅子を押す看護師の言葉に、榛菜は小さく頷くだけだった。

 木陰に入ると木漏れ日が白く注いで、さざ波のように地面に模様を作っていた。榛菜は密集した木の葉の影が作り出す模様を、ただじっと見つめていた。

 笑顔を作ろうとしても、顔に表情が出ない。何かを考えたくないと思う気持ちは、彼女の表情を人形のように固定してしまった。

「こんにちは」

 近づいてきた気配に声をかけられて、榛菜は振り向いた。

「こんにちは」

 先に挨拶を返したのは、榛菜の車椅子に手をかけていた看護師だった。

「こ、こんにちは」

 榛菜の潜在意識が無意識に、かろうじで挨拶を返していた。

 車椅子に乗って榛菜に近づいて来たのは、同い年くらいの少女だった。

 榛菜は無意識に彼女の足元に視線がいった。フッとレストに乗っている脚は一本だけ……

 パジャマの脚の部分。左側のそれは、根元からペタリと潰れている。それがどういう事なのか、彼女は直ぐに気付いて慌てて視線を上げた。

 そこには笑顔があった。陽の光と並木の緑が同時に彼女を照らしていた。

「あたし、工藤エリ」

 榛菜は彼女の笑顔を見つめていた。

「あたしは……榛菜。七倉榛菜」

「天気よくて、気持ちいいよね」

 エリはそう言って空を仰いだ。

 彼女の後ろには看護師はいなかった。一人で車椅子を押して散歩に歩いているのだ。

 脚が無くてもこんなに笑える彼女を、榛菜は不思議な気持ちで見つめた。



「こんにちは」

 翌日、榛菜の病室に静かに入って来た人影は、彼女のベッドの横で声を発した。

 彼女はほとんどの時間を読書に費やしていた。母親や看護師が外へ連れ出す時だけ、事務的に病室から出る。それは検査も散歩もその頃の榛菜にとっては同じだった。

 その時も上体だけをベッドの上に起こして、枕に背をあてて本を読んでいた榛菜は、声に気付いて視線を上げた。

 昨日庭で会ったエリだった。

「退屈だから遊びに来ちゃった」

 彼女は笑顔のまま「じゃまなら帰るけど」

 榛菜は無言のまま首を横に振った。

「ハルちゃんは、二年生?」

 エリの明るい声に、榛菜はコクリと頷いた。

「あたしは三年生。もうずいぶん学校休んじゃったけど」

「入院、長いの?」

「うん。ここって、あんまり同い年の子供がいなくて退屈だよね」

 彼女は手にしていた白いポリ袋からジュースを取り出すと、一つを榛菜に手渡した。

「ありがとう……」

 ありがとうの言葉には笑顔。でも、そう思う自分の考えに反して、今の榛菜には自然な笑顔が出てこない。ボンドで固めたように表情が固着して、気持ちが表情に直結しないのだ。

「リハビリやらないの?」

 エリは自分の缶ジュースのプルタブを開けて、口に着けた。

「やったよ」

「そう」

「やっても、結局歩けないし」

 榛菜はぼそりと言った。

 エリはスッと車椅子の向きを変えると窓際へ行った。

「ねぇ、一緒に外に出て散歩しない?」

「えっ? でも……」

 この頃の榛菜は、尽く消極的だった。

 エリは病室の出入り口まで行くと、通路の横に置かれている車椅子を一台手に取り、それを引きずって再び榛菜の元へやって来た。

 榛菜の病室は六人部屋。それなりに広い病室で、榛菜は窓際に位置している。入り口からの距離を、 エリはあっという間に滑り込んできた。

 慣れた手つきで折り畳まれた車椅子を広げると

「さ、行こうよ」

 そう言って、彼女は車椅子のシートを手でポンポンと叩いた。

 エリの笑顔に引きずられるように、榛菜はベッドから身を乗り出した。

「違うよ、先に右脚をここにかけて。ブレーキ掛けてるから、少しぐらい体重かけても大丈夫だよ」

 車椅子にブレーキが付いている事さえ知らなかった。

 まだ一人では車椅子に乗った事がない榛菜は、悪戦苦闘しながらようやくシートに腰をおろした。




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