◆第49話◆
聡史の携帯には繋がらなかった。
僕は少し間を置こうと思い、バイクを置いた駐輪場まで歩いていた。
すると、携帯のコールが鳴った。
聡史からだ。着信モニターにはそう表示された。
しかし、電話に出ると向こうから聞こえたのは彼の声ではない。
「陽彦君?」
「はい、そうです……」
何となく聞き覚えのある女性の声。それは、聡史の母親だ。
「あの……」
「聡史の母です。久しぶりね」
「ああ、こんにちは。お久しぶりです」
僕は、妙な緊張感に追い立てられてペコペコと頭を下げながら言った。
「あの、聡史君は?」
少しの間、返事は無かった。
「ニュース、見てない?」
「はあ? ニュースですか?」
「昨日、池袋で殺人事件があったのよ」
「はあ……そうなんですか」
僕には関係ない事だと思った。
どうして、聡史の母親がそんな事を僕に言うのか判らなかった。
だって、殺人なんて身近に起こるものだなんて思った事は無い。
四六時中東京のあちらこちらで起こる事件や犯罪も、僕から見れば遠い出来事で、身近に感じる犯罪なんて、せいぜい万引きとカツアゲくらいだ。
「あの……それで、聡史君は?」
再び沈黙があった。
「殺されたのは、聡史なのよ」
彼の母親は、妙に事務的なアクセントでそう言った。
僕にはその言葉が直ぐには理解出来なかった。
『殺された』と言う言葉が何か違う意味を持っているのだと必死に詮索した。
それとも、僕の聞き違いかもしれない。似た言葉を捜す。
しかし聞き違いなどではなく、その意味はタダ一つ。『殺された』以外には無い。
「ナンデですか?」
僕は、自分でも驚くほどに普通に訊いた。
おそらく、母親が今さっき言った言葉が何を意味しているのか、まだきちんと理解できなかったのかもしれない。
「聡史は、何か悪いことに関わっていたのかしら……」
「えっ? どうしてですか?」
「警察がそんな事を私に訊いて来たから」
母親の声は、何時の間にか涙声になっていた。
「陽彦君、何か知らない?」
「いや……僕は何も」
僕は嘘を言った。
一瞬で、あの時聡史が見せたドラッグの錠剤が僕の頭を過ったからだ。
アイツは、行動に移してしまった。
恭子の為に?
彼女の為に出来る事は他にいくらでもあったのではないだろうか。
なのに、聡史はそれを選んだ。
密売組織に一人で立ち向かったのだろうか。それとも、彼女に直接クスリを売り渡していたヤツを見つけて詰め寄ったかもしれない。
とにかく彼は、素人が入ってはいけない場所に足を踏み入れたのだ。
「陽彦君?」
「あ、すみません……」
僕は葬儀の日程などを詳しく訊いたが、漠然とした空白が支配する頭には、それは半分しか入らなかった。
小学校からの友人が死んだ。
しかも、殺人事件。
数日前には普通に話して、バカな冗談を言い合って笑っていたのに。
僕の頭は今にもパニックを起こしそうだった。
いろんな思考が断片的に頭の中を駆け巡る。その中には全く関係ない自分の事故の体験などが入り混じっている。
小学校の時、よく神社の境内に隣接した公園でカン蹴りをして遊んだ。聡史はやたらとジャンケンが弱くて、何時も最初の鬼はアイツだった。
みんなで草野球をすると、ショートバウンドの処理が異常にうまくて、何時もショートかサードを守っていた。どうして少年野球チームに入らないのかと僕が訊くと
「だって、面倒じゃん。朝とか早いし」そう言って笑いながらコーラを飲んでいた。
昔の仲間も、半分は名前すら忘れている。
もちろん、未だに付き合いのある連中など聡史以外にはいない。そして、それも終止符を打った。
小学校の思い出に浸る事なんて、もっとずっと先だと思っていた。本当の大人になってから時々思い出しては懐かしむものだと思っていたから。
でも僕は今、あの頃をとても懐かしく感じ、今まで忘れていた事も一気に蘇えり、頭の中に溢れ出るのを押さえられなかった。
病院内の敷地に佇んだまま、僕は不意に空を見上げた。夏空は白い太陽の輝きと共に、やけに清々しく広がっていた。
そらぞらしいほどの眩しい光に目を細めると、目尻から零れた涙が耳に触れた。
嗚咽と共に吐息がこみ上げて肩を震わせた。
そんな事は、何時振りなのかさえ判らない。