◆第45話◆
セミの声に混じって、山の何処からか野鳥の鳴き声が聞こえていた。
目を閉じると、心地よい自然の喧騒に呑み込まれていく。
瞼を貫きそうな陽差を浴び、真っ赤な暗闇の中で、僕は急に小さい頃の記憶が蘇えった。
ハッとして起き上がる。
「どうしたの?」
榛菜は寝そべったまま、ビックリした顔で僕を見上げた。
「ハルって、前は何処に住んでた?」
「ひばりヶ丘だけど」
「ひばりって、西武沿線の?」
「そうだけど……」
彼女は少し怪訝な表情で応えた。
「そっか。そうだよな」
僕は再び寝転がるが、また起き上がる。
「どうしたの? 落ち着きないなぁ。もう」
今度は榛菜も起き上がる。
「ねぇ、日暮里に行った事ある?」
「日暮里? どうして?」
「いや、何となく……」
「おばあちゃんの家があるから、小さい頃はよく行ったよ」
彼女は起き上がったついでに、鞄からお弁当を取り出して
「お腹減らない? 暑いから、もう食べちゃおうか」
「近くに神社無かった?」
「神社?」
彼女は話しながら昼食を広げて、麦茶の入った水筒を取り出した。
「あ、この保冷の水筒スゴイね。まだめちゃくちゃ冷たい」
彼女はそう言って笑うと「あれ? 何だっけ」
「お婆ちゃん家の近くに神社無かった?」
「ああ、神社ね……」
榛菜は少し考えながら、眩しそうに空を仰いだ。
「そんなに近くじゃないけど……亜貴も一緒に来た時に、一度神社まで散歩に行った事あるかな」
「亜貴ちゃんも?」
「うん。おばあちゃん家には何度か一緒に行ったよ」
榛菜は僕におにぎりの入ったタッパーを差し出しながら
「どうしたの? そんな事訊いて」
僕は彼女が差し出したおにぎりを手にした。
「その神社で、転ばなかった?」
榛菜は自分もおにぎりを手にすると、ポカンと僕を見つめた。
「そう言えば、そんな事あった」
彼女は思い出したようにそう言うと
「亜貴がしきりにぶつかってきた男の子を睨んじゃって。大変だったよ」
榛菜はおにぎりを齧りながら明るく話した。
「あれ? なんでハルくんそんなこと知ってるの?」
「その時、その男の子は、キミに謝ったかい?」
「えっ?」
「彼は、ちゃんと謝った?」
「うぅぅん……確か、亜貴が睨んで、それで男の子はあたしの脚に気づいたみたいでしきりに見てた」
彼女は冷たい麦茶を口にして息をつくと
「その後、立ち上がったあたしに『ごめんな』って言って、ズボンに着いた土をほろってくれたよ」
「そう……」
僕はちゃんと彼女に謝っていた。謝っていたんだ。
僕は、心の奥底から、深く息をついた。
潜在意識の中に取り込まれたような記憶の中で、ずっと何かが引っかかっていたのはこれだったのか。
……あの時、あの場所にいたのは榛菜だったんだ。
榛菜は一つ目のおにぎりを口に押し込んで、ハッと僕を見つめた。
「ねえ、もしかして」
榛菜は僕を見つめたまま口の中のモノを飲み込んだ。
「まさか、あの男の子って……」
僕らはあの時出逢っていた。
子供の時に逢っていたんだ。
最初に榛菜に会った時感じたものは、懐かしさなのか。
「なあんだ」
榛菜はそう言って笑った。
「なぁんか、ハルくんと初めて会った時、初めてのような気がしなかったのよね」
彼女はそう言いながら、紙コップの麦茶を飲み干した。
そうか、彼女も感じていたんだ。
僕たちが顔を合わせるのは初めてではなかった事を。
「亜貴は、覚えてないかもね」
「何で?」
「だって、彼女いろんな人に睨み効かせて来たから、誰を睨んだかなんて覚えてなんじゃないかな」
榛菜は笑ってそう言いながら立ち上がると
「ねえ、向こうの川も見たい」
彼女はしぶきを上げる流れを指差した。
「えっ、危ないよ」
「大丈夫だよ」
そう言いながら、榛菜は携帯用のステッキをシュッと、伸ばした。