◆第42話◆
【中間あらすじ】
榛菜と関係を深める陽彦は彼女が同情や労わりを欲しがっていない事を悟る。そんな中、恭子はドラッグに溺れ、中毒症状のまま路上に放置されていた。恭子の友人から彼女の豹変するキッカケを作ったのが自分だと聞かされ、さらに、友人の聡史が恭子に好意を持っていた事を知り陽彦は再び苦悩する。◆◆◆学校が試験休みに入ってすぐ、気を散らしたままバイクを走らせる陽彦は事故に巻き込まれ病院へ運ばれる。病院へ見舞いに来る榛菜と会う事で、陽彦は彼女の思い、そして自分の気持ちを再確認する。しかし、病院に現れた恭子の横には榛菜の弟、秋夫がいた。
入院から十日が過ぎたこの日、僕の脚を固定していた簡易ギブスが外された。
軽い痛みはあったが、膝の関節は直ぐに感覚を取り戻した。
病院内をしばらく散歩して病室へ戻ると、榛菜が来ていた。
僕の右足は元通りに戻った。これで再び健常者。そして、榛菜は相変わらず障害者だ。
「ギブス取れたんだね」
榛菜は笑いながら、僕の脚に視線を落した。
僕は、喜びを半分だけ表にだして
「ああ、これで自由だよ」
そう言って、笑顔も半分だけに留めた。
「なぁんか、あんまり嬉しくなさそう」
榛菜はそう言って、僕のベッドにストンっと腰をおろした。
「そんな事ないよ。めちゃくちゃうれしい」
遠慮してはいけない。
遠慮は彼女を傷つけてしまう。
僕はそう思いながらも、ヤッパリ半分しか笑えなかった。
この先永遠に片脚を引きずる榛菜に、僕は後ろめたさを感じてしまった。
僕は翌日の午前中に退院して、家に戻った。庭にはTW220が置いてあった。
中古で購入した僕のTW200は、新車のTW220へと替わった。
ハンドルくらいは流用できるが、マフラーやサスはまた違うモノを買わなければならない。ピカピカの新車を前に、思い入れのあった以前のTダブを思い出して、僕は複雑な心境だった。
貴重な試験休みの大半を、僕は入院に費やしてしまった。
家に帰ると、母親は今日から主婦の会の慰安旅行に出かけ、父親は京都に出張していた。
確かに、僕が怪我をする前からの予定だから何も言えないが、もしかして、もし僕の脚があの夢のように無くなったとしても、僕の両親は大して気にしないのではないか。
そんな事を考えながら、リビングテーブルに置かれたメモ書きを僕は眺めていた。
メモの最後には『冷蔵庫』と走り書きしてあった。
まるで、謎解きメッセージだ。
とりあえずキッチンへ行き冷蔵庫を開けると、中にはラップの掛けられた料理が入っていた。
から揚げにフライドチキン、それに煮物や野菜炒め。そして、お寿司。
それを見て、とりあえず僕の退院を親は喜んでいるのだと理解した。
昔からそうだった。
僕の両親は子供に対しての愛情表現が下手なのか、あまりそれを感じたことがない。
父親は仕事が忙しく、母親は自分の楽しみを犠牲にしない。
それでも、僕は彼らに依存してここまで育ったわけだから、たいして文句も無いが。
がんじがらめで育てられる事に比べれば、これはこれでいいような気もする。
オードブルを少しつまんだ時、榛菜から電話があった。
豊島園の駅にいるというので、僕は迎えに行った。
「お弁当作ってきたよ」
榛菜は僕に会うと、バックを掲げて笑顔を見せた。
退院祝いのつもりだろう。
「じゃあ、ウチ来なよ」
退院したその日にバイクに乗るわけにも行かない。一週間後の検査まで運動はご法度だ。
「親がいっぱい料理置いていってさ。食いきれそうもない」
「置いていった?」
「母さんは旅行で、オヤジは出張でさ」
僕が家の事情を少しだけ彼女に話すと、榛菜は、笑顔で納得し
「じゃあ、あたしも食べるの手伝ってあげる」
「お前の弁当が先だな」
僕たちは、住宅街に向かって歩き出そうとした。
「陽彦」
通りに出ると、歩道に恭子がいた。
「退院したんだ」
「ああ」
僕は、この前の彼女の行動を思い出すと、素っ気無い返事しか返せなかった。
「こんにちは」
恭子は榛菜に笑顔を送る。しかし、僕には彼女の笑みは不安材料でしかない。
「こ、こんにちは」
榛菜は初めて会う恭子に、笑顔を返した。
恭子が何を考えているのか、僕には判らない。ただ、不安だけが頭の中を埋め尽くす。
「行こう」
僕は、自分の不安に耐え切れず、榛菜の手を掴んだ。
「そんなに引っ張ったら彼女かわいそうじゃん」
立ち去ろうとする僕たちに恭子が言った。
そして、笑みを浮かべて
「片脚無いんだからさ」
僕は背中に冷たい汗を感じた。
恭子が憎かった。
榛菜は困惑して恭子を振り返った。
「行くぞ」
僕は榛菜の手をそっと引いた。
駆け出したかったが、そんな訳にはいかない。いっその事、榛菜を抱きかかえて走りたかった。
僕は自分の気持ちを押し殺して、榛菜の手を強く握った。
恭子は僕たちがゆっくり横断歩道を渡る姿を、ただじっと見つめていた。
アスファルトから照り返す熱が陽炎を作り出して、彼女の姿を蜃気楼のように揺らめかせていた。
それでも僕は、恭子が榛菜の弟の事を言わなかったので、心の何処かでホッとしていた。
そして僕はこの時、恭子の左手首に巻かれた包帯に気づく事が出来なかった。
「あの人、誰?」
住宅街を歩く中、榛菜が訊いて来た。
「クラスの娘さ」
「どうしてあたしの脚の事?」
僕はどう答えていいのか判らなかった。
「判んない。当てずっぽうじゃないか」
僕はそう言って笑顔を作ったが、榛菜は怪訝な表情を隠せない様子だった。
「この辺に住んでるの?」
「ああ、ひとブロック先の住宅街らしい」
彼女の家を知っているのに、僕はウソをついた。
「ふうん」
榛菜は怪訝な顔のまま頷いた。
彼女にとって、脚の無い事を指摘されたのは大した事ではないのかも知れない。
それを気にしている様子ではなかった。
寧ろ、恭子の存在その物を気に掛けている様子だった。