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◆第41話◆

「姉貴とは、どうしてるの?」

 秋夫は不意に言った。

「はあ? 何を」

「あの脚、どうしてるの? 外すの、そのまま持ち上げるの?」

 僕は彼の質問の意味が判った途端、頭に血が上って自分では抑えられなかった。

 彼女の苦悩、彼女の憂いな微笑み、彼女の熱い涙。

 そのどれもが、秋夫には判らないのか……

 一瞬の出来事だった。

 その行動を考える暇など無かった。

 僕は彼を、秋夫を殴っていた。

 ちょうど頬骨にあたって、僕の拳にも鈍い痛みが走った。

 秋夫は勢いよく通路に転がった。

「ちょっと、乱暴しないでよ」

 恭子が僕の腕を強く掴んだ。その時だけは、昔の恭子の顔だった。

「何しに来たんだよ」

 僕は恭子の真意がまるで判らなかった。そして、彼女が怖かった。

「ちょっとお見舞いに来ただけよ」

「秋夫はまだ中学生だぞ」

「だから何?」

「秋夫をどうするつもりだ」

「別にどうもしないよ。あんたの変わりに、一緒に気持ちいい事してるだけじゃん」

 僕は起き上がった秋夫に向かって息をつくと

「お前の姉さんが何で脚を無くしたのか、お前は考えた事無いのか?」

 秋夫は薄っすらと嗤った。

「俺がいくら後悔したって、俺がいくら優等生になったって、ネェちゃんの脚が戻る訳じゃないだろ」

 秋夫はそう言って、僕が殴った頬に手を当てた。

「お前、知ってたのか?」

「前に、リビングでオヤジと母さんが話してるのを聞いた」

 秋夫は知っていた。

 自分を守る為に、榛菜が片脚を無くした事を。

 それを知った時、秋夫はどう思ったのだろうか。彼なりに苦悩していたのだろうか。

 今の僕には、彼の身になって考える事など出来なかった。

「もう。行こうよ」

 秋夫はそう言って、恭子を促した。

「こんだけ人を殴れんだから、だいぶ怪我はよくなったんだね」

 秋夫はそう言い残すと、恭子と共に廊下を歩いていった。

 僕は、右手の拳がまだ痛むのを思い出して、左手でそっと摩った。

 厚い雲の波間から、ほんの少しだけ覗いた夕日が、西の空を僅かにあんず色に染めていた。



 僕は自分の病室へ戻ると、ベッドの上で天井を見上げていた。

 パネルボードの穴がやたらと気になって、一枚のボードにいったい幾つの穴が開いているのか数えてみた。

 端から数えるも、途中で目が錯覚を起こして何処まで数えたのか解らなくなってしまい、僕は何度も同じ事を繰り返した。

 そのうちイライラして止めてしまった為、結局あの天井のパネル一枚に、幾つの穴が開いているのかは解らなかった。

 秋夫は、榛菜の怪我が自分にも責任があると知った時、どう思ったのだろう。

 自分を責めただろうか。それとも、既にグレていた彼は、そんな事どうでもいいと思っただろうか。

 いや、あいつはあの時「いくら後悔したって」そう言った。

 きっと、自分の記憶にすら無い行動を、悔いたに違いない。

 恭子が秋夫と出会ったのは本当に偶然なのだろうか。

 彼女は化粧をすることによってキレイになるどころか、まるで魔性の女に変貌してしまった気がして、僕は先行きの判らない不安に囚われた。



 僕はなんだか異常に榛菜の声が聞きたくて、廊下の突き当たりに在る公衆電話からベルリネッタに電話をした。


「お電話有難う御座います。ベルリネッタです」

 電話に出たのは祐介だった。

 僕が出られない分、彼に無理して出てもらっている。

「あ、あの……陽彦です」

「ああ、里見かぁ」

「あ、すみません、無理に入ってもらって」

「いやぁ、そんな無理はしてないよ」

 榛菜のピアノの音が、彼の後ろから聞こえていた。

「どっから?」と、電話の向こうで声が聞こえた。マスターの声だ。

「あ、里見です」

 カチャカチャと忙しく食器が鳴っている。盛り付け中か。

「何だ、急用か?」

「いや、わかんないっす」

 送話口を塞がないので、向こうの会話がこちらに筒抜けだった。

「もしもし、マスターが急用か? って」

「いや、忙しいなら別にいいよ」

「ちょっと待ってろ」

 ほんの少しの間があった。

 僕は受話器の向こうへ耳を澄ました。

 榛菜のピアノが聞きたかったから。

 しかし、音色は聞こえなかった。食器の擦れる音と、何かを鉄板で焼いている音が聞こえたから、送話口を塞いでいるわけではない。

「もしもし」

 榛菜が電話口に出た。

 電話を通した彼女の声は、今日会った彼女とは別の人物のような気がした。

「ああ、悪いな。みんな忙しいのに」

「ハルくん? どうしたの? マスターがちょっと繋いでおけって」

「いや、マスターはいいんだ。何だかハルの声が聞きたかった」

「昼間会ったばっかじゃん」

「ああ、そうだよな」

 彼女の怪訝に思う雰囲気が、電話からも伝わってきた。

「大丈夫?」

「あ、ああ。全然まったく大丈夫」

 僕はそう言って、わざと声を出して笑って見せた。

「ま、マスターに、明後日退院だって伝えといて」

「うん。判った。明日また行くね」

「おう。明日は晴れるといいな」

 僕は、何だか自分でもよく判らないまま言葉を発した。

「何か変だよ、ハルくん」

「そんな事無いさ。じゃあ、また」

「う、うん。じゃあね」

 僕は公衆電話の受話器を置いて、深い溜息をついた。



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