◆第37話◆
榛菜も当然学校は試験休みに入っているわけで、彼女は毎日午前中か午後の早い時間に見舞いに来た。
「どっか、遊びに行かないのか?」
「え? あたし?」
ベッドサイドの小さなテレビを見ていた榛菜は、ポカンとして振り向いた。
「そう言えば、亜貴ちゃんは元気?」
「うん。元気だよ。最近彼氏が出来たみたい」
榛菜はそう言って笑うと
「だから、ハル君が早く退院してくれないと、榛菜はどっこも行けないんだよ」
彼女は、丸椅子に座って、足をブラブラさせた。
「あの……」
「ん?」
「あの……車椅子の人は?」
榛菜は一瞬誰のことだか判らない様子だった。
「池袋で会った」
「ああ、飯塚さん」
彼女はそう言って、僕の腕を軽く掴んだ。
そして、ふと思い出したように顔を膨らませると
「そう言えば、池袋でハルくんあたしの事シカトしたよね。あれ、超ショックだったよ」
「いや、あれは……ほら、声かけるのも悪いかと思って」
「あたしが手を振ったのに?」
僕はすっかり言葉に詰まってしまった。
「ねぇ、妬いた?」
彼女は再び僕の腕を掴んだ。
「べ、べつにぃ」
「ふうん」
榛菜はイタズラっぽい笑顔を見せると
「あたし、飯塚さんに付き合ってくれって言われたんだ」
僕は、急に鼓動が高鳴るのを感じた、
頭に血流が注ぎ込まれて、顔全体が熱くなった。
「それで?」
「どうしたらいいかな?」
「俺に訊くなよ」
榛菜は僕の目を真っ直ぐに見つめた。
窓から注ぐ陽光を吸い込んで、キラキラしていた。僕はその目を長くは見ていられなかった。
僕らの付き合いには、告白などの明確な境界線がない……
「榛菜のいいようにすればいいよ」
僕は窓に視線を移しながら、心にも無い事を言った。
「そんなのウソに決まってるジャン」
榛菜はそう言って立ち上がると、花瓶を持って
「お水替えてくる」
「ウソって、何が?」
僕は彼女の背中に問いかけた。
「あの人は、ボランティアを手伝った時に知り合ったの。あの日駅で偶然会って、区役所に用事があるって言うから、案内してあげただけだよ」
そう言ってから、榛菜は病室を出て行った。
夕方になって、聡史が来た。
一階にある、何時もの非常口のコンクリートに腰掛けて一緒にタバコを吸った。
僕は恭子と彼がどうなっているか、密かに気にしていた。
「お前、恭子とどうなった?」
僕は出来るだけさりげなく、中庭の木々に視線を注いだまま言った。
「それがさあ、全然判んないんだよ」
「判んないって?」
「携帯にも出ないし、塾でも掴まらないんだ」
聡史はそう言って、後ろに手を着きながら空を見上げた。
僕は、フッと笑って
「お前、まるでストーカーだな」
「どうせなら、もっと優秀なストーカーになりてぇよ」
「家には行ってみた?」
「ああ、何度か行ってみたけど、留守なのか居留守なのか音沙汰無し」
聡史はそう言いながら、溜息と一緒に青空に向かって煙を吐き出した。
僕は、恭子がドラッグに手を出していた事実を聡史に話した。彼女が路上で放置されていた時の状況は話さなかったが……
「ああ、こんなとこで、タバコ吸って。不良少年ね」
僕は、また榛菜かと一瞬思った。
しかし、振り返るとそこには僕の病室の担当看護師が立っていた。
「いっちょ前に、携帯灰皿なんて持って」
「いちお、マナーは守るほうなんで」
聡史が笑って返した。
特に咎めるつもりは無いらしい彼女は、僕たちに笑顔を返すとそのまま通路を歩いていった。