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◆第32話◆

 聡史とは小学校の時からのダチだった。中学一年の時に、僕は引越しによって転校したが、高校に入って再び彼と出会ったのだ。

 何だかずいぶんカッコ着けになったものだと思ったが、聡史も僕を見てそう感じたらしい。

 彼が恭子を思っていた事を打ち明けてきた事によって、そんな長い歴史のある僕たちの関係は急にギクシャクし始めた。

 聡史は知っている。僕が、恭子の処女を奪った事を。

 この前屋上で瑞穂が口にした言葉を、傍で聞いていたから。

 それでも聡史は僕に何も言わない。

 彼がどう感じているのか僕には判らなくて、それが余計に聡史に対して引け目を感じる要因になるのだ。

 もしかしたら、ギクシャク感じているのは、僕の方だけなのかも知れないが……

 僕は、恭子が入院した経緯を彼に話そうか迷った。

 聡史には知る権利があるような気がしたから。

 しかし、結局僕は話さなかった。

 橘恭子のあられもない姿は、僕の心の金庫にしまって、大きな鍵をかけた。




 期末考査最終日は、強い雨が降り荒れていた。まるで台風のような風が、傘を役に立たなくする。

 下板橋の駅を降りて、学校までの道のりが一番大変だ。殆どの生徒は傘を差しているが、軒並み風に煽られて今にも飛ばされそうだし、横殴りに叩きつける雨と飛沫のように舞った水滴は、誰も逃れる事は出来なかった。

 少し先に恭子の姿があった。

 テスト期間は、やはり彼女も一日も休まずに登校してくる。

 聡史は、さすがに練馬で待つ事はもうしなかったが、何時も彼女の事を気にしている様子だった。

 教室に入ると、みんなの髪の毛は濡れそぼって、各々にタオルやハンカチで拭いていた。

 僕も自分の席に座って、ホッと息をつく。

「スゲェ雨だよな」

 前の席に座る佐伯克さえきまさるが声をかけてきた。既に髪の毛が乾いている彼は、だいぶ前に教室に着いているのだろう。

「あ、ああ。マジやべぇよ」

 僕は、バンダナで頭をクシャクシャと拭きながら、何時もと変わりない口調で返す。

 窓に叩きつける雨音は、テストが終わるまで続いていた。

 聡史は教室内で困惑していた。

 誰も話しかけない恭子に、一人で話しかける勇気が無いのだ。

 その気持ちは僕にも判る。一緒にハブられたらシャレにならないし、大体どうしてあんな噂ごときで彼女がハブられるのか。僕たち男子には正直わからないのだ。

 それでも、結局は多勢に無勢。他の女子からシカトされる事を恐れて、誰も恭子に声をかけられない。

 それに、今の彼女自身が他人との接触を拒んでいるように見えるのも事実だ。

 放課後は、部活に向かう者、帰る者それぞれがバラバラに校舎の中を行き交う。

 明日から試験休みに入るというのに、僕の心は一向に晴れず、どんよりと厚い雲に覆われていた。

 学校が休みになれば、当分の間恭子とも顔を会わせる事は無くなる。

 ホッとしている自分とは別に、何だかこのままでは気が治まらない僕がいて、何だか指先に刺さった小さな棘が取れないまま、気にしないようにしても気にかかるような、そんな思いだった。




 僕はクラスの仲間数人と池袋でボーリングをしていた。

 聡史は、恭子を追いかけて行ったみたいだし、心のモヤモヤを何とか忘れたかった。

 バイトが休みの今日、榛菜とは約束が無い。

 僕は、自分が思っていた以上に不器用な性格なのか、恭子の事を気に掛けながら榛菜と楽しく過ごす事が出来ないようだ。

 聡史がうまく恭子を捕まえてくれれば丸く収まるのに。そんな勝手な構想の中で、僕は何時の間にか成り行きを聡史一人に押し付けているのかもしれない。

 ボーリングの帰り道、ゲーセンに入った仲間と別れて駅へ向かった。

 雨上がりの地面はすっかり乾いて、厚い雲の隙間からは陽が照り付けて蒸し暑い空気だけが風に漂っていた。

 交差点の向こうで車椅子を押す女性の姿が目に留まった。

 人混みの中で、そこだけがぽっかりとライトが当たったように僕の目に飛び込んできたのだ。

 障害者の乗る車椅子に手を掛けているのは榛菜だった。

 彼を見下ろしながら話す榛菜の仕草が、何だかとても親しげに映った。

 横断歩道の信号が青になった時、榛菜は初めて正面に立つ僕に気が付いた。

 彼女はゆっくりと車椅子を押しながら、笑顔で僕に手を振った。

 何故、どうして自分がそんな態度を取ったのか僕にも判らない。

 僕は、素知らぬ顔をして彼女とすれ違い、横断歩道を渡りきった。

「どうしたの? 知り合い?」

「えっ? うん。似てたけど違ってた」

 車椅子の男と会話をする榛菜の声が、周りの喧騒を掻き分けて僕の耳に届いていた。

 彼女が誰か他の男と親しげに話す姿は、バイトの時以外で初めて見た。

 僕は嫉妬したのか……

 片脚の無い彼女と親しく付き合っているのは自分だけだと勝手に思い込んでいた。

 僕だけが、彼女にとって特別な男だと。僕しかいないのだと。

 彼女の障害を優しく包み込んで、労わり、笑顔を交し合うのは僕だけだと思うことで、僕は彼女に対して優位に立った気になっていたのかもしれない。

 しかし、車椅子の男と話していた彼女は、何時もの明るい笑顔だった。

 あの笑顔は僕だけの特別ではなかった。

 しかも、車椅子の男は何だか爽やかで、優しい眼差しで榛菜を見ていた。

 車椅子のくせに……

 僕は思わず歩道の真ん中で立ち止まった。

 行き交う人波の雑踏が、目の前でグルグル回る気がした。

 何だか急に自分が恥ずかしくなった。

 僕は偽善を装って榛菜と付き合っているのだろうか。

 僕は、片脚の無い彼女をいたる場面で庇いながら、本当はそんな自分に酔っていただけなのか。

 いや、違う。そんなんじゃない。

 彼女が好きだから、単純に今見た光景に嫉妬しただけだ。

 あの車椅子の男は、榛菜とどういう関係なのだろう。

 振り返ると、榛菜の押した車椅子は区役所の方へゆっくりと進んで行くのが、小さく見えた。

 何だか見えるその姿以上に、彼女が遠くに感じた。




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