◆第31話◆
朝の喧騒の最中、僕は練馬駅で聡史の姿を見かけた。
「聡史、朝っぱらのこんな所で何やってんだよ」
「おう、ちょっとな」
「ちょっとって、学校だろ?」
「ああ、行くよ」
聡史はそう言って、豊島園のある方角を見つめた。
「誰か待ってるのか?」
聡史は少しの間沈黙を続けたが
「恭子だよ」
「恭子?」
「あいつ、まだ来てねぇ」
聡史はそう言って、ホームの端まで歩き出した。
僕も、思わず一緒に歩いて、到着したばかりの池袋行きに乗りそびれた。
「ずっと待ってたのか?」
「ああ、あいつヤッパリ今日も来ないのかな」
恭子は退院してから学校では完全に孤立している。
誰かが、彼女の入院の理由に関する噂を流したのだ。
それは、僕以外に知る者はいないと思っていたのに、いったい何処から出たのか。日常の中には不可解な事が何気なく転がっている。
彼女は次第に飛び飛びでしか登校して来なくなった。
「期末テストには出ると思ったんだけどなぁ」
聡史はそう言って、ホームの端でしゃがみこんだ。
今日から期末考査が始まるのだ。
聡史はどうしてわざわざこんな所まで恭子を迎えに来るような事をするのか。
「俺さぁ、一年の時からアイツに気があったんだ」
聡史はぼそりと呟いた。
僕は、その小さな声に反応して、一瞬頭の中が真っ白になった。
「嘘だろ?」
聡史は小さく首を横に振った。
「でもアイツ、お前に気があるみたいだったからさ」
聡史は恭子の気持ちに気づいていたのか。それは、客観的に見る者の強みなのだろうか。
「じゃあ、何で他に女作ったりしてたんだよ」
「恭子みたいな女は一途だろ。それに、相手がお前じゃあな」
「だって、俺は榛菜と……」
「お前がハルちゃんとくっ着けば、恭子も諦めが着くと思った」
聡史は立ち上がると
「でも、無理だよな。二年以上も同じ奴に片思いの奴が、そう簡単に諦めるわけ無いんだよな。俺自身がそうなんだから」
そう言って空を仰いだ。
聡史がこんな一途な奴だったなんて、知らなかった。
もっと適当で、見かけだけで女を選んで、ちゃらちゃらしてる奴だと思った。
そうだ、今まで付き合った女は、初めから本命では無かったのだ。だから長続きしなかったんだ。
陽差を仰ぐ聡史が、少しだけ眩しく見えた。
その時到着した電車から、恭子の姿が現れた。
真ん中の車両から現れた彼女を、聡史は見つけられないでいたので、僕は彼を促して池袋行きの電車に飛び乗った。
聡史は恭子が乗り込んだ車両に向かおうと、混み合った車内でもがいていたので
「池袋に着くまで無理だって」
そう言って彼の逸る気持ちを宥めた。
池袋の駅で聡史は恭子に駆け寄った。
彼女は僕たちの気配に振り返ると、怪訝な顔で彼を見つめていた。
「待ってたんだぜ」
「何で?」
恭子の応えは素っ気なかった。
「何でって、お前があんまり学校来ないからだろ。聡史は心配して……」
僕は、耐え切れずに後ろから会話に割り込んだ。
「あんたには関係ないでしょ」
恭子はそう言って無表情のまま、僕をチラリと見た。
その時の冷たい視線……僕は、恭子に「あんた」と初めて言われた気がした。もちろんそれは錯覚で、以前にもそう呼ばれた事は何度もあるはずだった。
それなのに、今は何て他人様な呼び方だろう。
彼女の姿だけがぽっかりとズームアウトして、急激に遠くに感じた。
「学校行くんだろ?」
聡史はめげずに会話を続けていた。
「当たり前でしょ、テストなんだから」
期末考査が、僅かに恭子の義務感を繋ぎとめて、学校へ足を運ばせているに違いない。
大通りを渡っている時に、チャイムの音が学校から聞こえていた。ホームルームには間に合わなかったが、何とか一時間目からテストには間に合いそうだった。
恭子が一向に走らないから、僕たちまでそれに付き合って大遅刻だった。
「お前らなぁ……」
一時間目のチャイムが鳴って直ぐに教室のドアを開けたが、担当の教師は既にテスト用紙を配り始めていた。
僕は苦笑いを浮かべながら、ペコリと頭を下げて自分の席に着いた。
朝のバタバタした出来事で、一夜漬けしたテストの知識の半分は飛んでしまった。
問題用紙をみて溜息を漏らしながら、ふと横を見ると、何時ものように解答用紙にすらすらと記入している恭子の姿が映った。
この瞬間だけは、昔の橘恭子を見ている気がした。