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◆第28話◆

 肌寒い日が続いた。

 空は何時もどんよりと重い雲が立ち込めて、一日中雨が降ったり止んだりの繰り返し。

 そんな日が何日も続いていた。

 雨が酷い日は、学校帰りにベルリネッタへ直接立ち寄る。

 バイクを出せなければ、いちいち家に戻る必要が無いからだ。

 僕は、優秀なウエイター兼皿洗いに徹して、榛菜はピアノを引き続ける毎日が続いた。

「おい、里見」

 帰りがけにマスターに呼び止められた。

「なんすか?」

「なんすかじゃあねぇだろ」

「な、何が……」

「榛菜と喧嘩でもしたのか?」

「いや、別にそんな事ないですよ」

 僕は、わけの判らないマスターの問いにきょとんとして応えた。

「本当か?」

「本当ですよ。何ともないですよ」

 どうしてマスターはそんな事を言うのだろう。ここ何日かは確かに休憩中もあまり彼女と言葉を交わさないが、店内では元々そんなに大っぴらには親しくしていない。

「最近のピアノだよ」

 マスターは厨房の陰に置いたグラスにワインを注いだ。

「ピアノが何か?」

「ここんところ、榛菜のピアノが荒れてるんだよ」

 それを聞いてハッとした。僕は最近、仕事をしながら榛菜の奏でるピアノに耳を傾けてはいない。

「そ、そうですかね」

 マスターは、チッと舌打ちをして

「しょうがねえ奴だな」

「いや、そう言われても、俺、ピアノを聴くのが仕事じゃないですし……」

 マスターは僕の背中を、力いっぱい叩いた。

「イタッ。なんすか?」

「お前、榛菜に何かしたろう」

「いや、別に……」

 何かしたといわれると、完全否定も出来ない。キスはしたのだから。

 でも、それは関係ないし……

 彼女のピアノが荒れているのは、僕が榛菜の相手を疎かにしているからなのか。彼女はそれを不満に思い、それがピアノの音色に出るのだろうか。

 しかし、彼女は何も言わない。

 いや、僕が恭子の事を心配しているのを察して、気を使っているのか。

「何か、思い当たるのか?」

 マスターは僕の表情を覗いながら、グラスを片手に僅かに唇の端を上げて笑った。

「いや、別に」

 僕はそう言ってごまかした。

 その時、お客が一組入ってきたので、マスターはフロアーに出た。

 僕はその隙に

「お疲れさまです」

 そう言って、足早に裏口から店を出た。

 榛菜のピアノの音色が荒れている。そんな事、僕は全然気づかなかった。




 雨上がりの湿った風が荒ぶるように吹き付けて、久しぶりの太陽の光りはアスファルトを照らしていた。

 僕は再び恭子を見舞って病院へ行った。

 彼女の身体は次第に回復して、中毒症状も殆ど陰を潜めたらしい。

 顔色も良くなり、頬の膨らみも以前と変わらなくなった。

 一人部屋から六人部屋へ移り、ベッドからも起き上がって、院内を散歩したりもする。

「今日は、風が強そうね」

 一階の病棟同士を繋ぐ通路で立ち止まった彼女は、大きく揺れる中庭の草木眺めて言った。

 まだ乾いていないアスファルトには、日の光りが白く反射していた。

「バイト、これから?」

「ああ、もう行かなくちゃ」

 一階から少しだけ遠回りして彼女の病室へ戻る。

 途中、殆ど患者が通らない非常出入り口の傍で、恭子は強く僕に抱きついた。

「またしたいよ」

 僕は彼女を抱きとめる事はしなかった。

「無理だよ……」

「二股かければいいじゃん」

 彼女は僕の胸に顔を埋めたまま呟くように言った。

「どうせ、適当な付き合いなんでしょ」

「榛菜はそんなんじゃない。適当に付き合える娘じゃないし、俺もそんな気はない」

「榛菜って言うの、あの娘」

 あの娘? そうか、彼女は榛菜を知っている……何度か榛菜を見てるんだ。

「脚引きずってたね。何だか足手まといっぽいじゃん」

 僕は恭子の身体を突き放した。

「そんな事、お前が言うなんて……」

「何? あたしは優等生だから、障害者にも優しいと思った?」

 壁にもたれ掛かった恭子は、髪の毛で顔を半分隠したまま、薄笑いを浮かべて言った。

 榛菜が障害者という事も知っている。恭子は榛菜をつけ回したのだろうか。それともどうにかして調べたのだろうか。

「どうして、そんな事知ってるんだ」

「どうだっていいでしょ」

 彼女はそう言って、病棟に向かって歩き出した。

「おい、恭子」

「もう帰って」

 彼女は小さくそう言った後、立ち止まると

「もう来ないでくれる」

 振り返らなかった。

「優等生がヤク中になるわけないでしょ。もうあたしは優等生の恭子じゃないんだよ」

 再び歩き出した彼女を、僕は追えなかった。ただ立ち尽くしたまま、恭子の暗く陰った後姿を見つめていた。

 強風が建物を吹きぬける音が、ゴーッゴーッとまるで竜が唸るように響いていた。





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