◆第26話◆
ほの暗いロビーに自分の薄い影が微かに映っていた。
しばらくすると、恭子はストレッチャーに乗せられたまま、治療室へ運ばれていった。
僕はその光景を、何処か非現実的な、まるでテレビのワンシーンのように感じながら見つめていた。
「あの……」
最後に通り過ぎた看護婦を呼び止めた。
「お連れの方ですか?」
「あ、はい……」
「いま治療室で処置いたしますので、しばらくここでお待ちください」
看護婦はそう言って、足早に去っていった。
「ここで……?」
僕は、使っていないドラマのセットのような空間を見渡しながら、思わず呟いた。
やはり彼女の両親に連絡するべきなのだろうが、僕は恭子の携帯番号しか知らない。
聡史に連絡して名簿を調べてもらおう。
僕が聡史の携帯に電話すると、彼はいささか僕がいた時よりも酔いが回っている様子だった。
「恭子の家の番号調べてくれないか」
「何だよ、何で恭子なんだ」
「いや、とにかく頼むよ」
「俺、知らねぇぞ」
「名簿があるだろう」
「あ、ああ、そんなもんあったな」
聡史は電話を片手に部屋の中をゴソゴソと探し回っているようだった。
「おう、あったぞ。……で、何だっけ」
「恭子の家の番号だよ」
「ああ、そうか」
しきりにページをめくる音が聞こえた。
「所で、お前何処からかけてんだ?」
「ちょっと、出先でな」
「ふうん……」
「番号頼むよ」
「おお、そうか」
その後聡史から教えられた番号で、恭子の家に電話した。
母親も、以前から何かを感じ取っていたらしい。
静かで落ち着いた受け答えが、僕にそう感じさせた。
僕に今出来る事は、全てやり遂げた。
もう、彼女の為に今してあげられる事は何も無い。
僕は、ロビーを出て一端外へ出ると、ようやくタバコに火をつけた。
吐き出した煙は、何も見えない夜空に浮かんで、水銀灯の光の中に吸い込まれていった。
翌日、当然のように恭子は学校へは来ない。
学校には何と言ったのか、先生は何も言っていなかった。
「おい、ハル。昨日、どうして恭子の家の番号が必要だったんだ」
聡史が怪訝そうに僕を見て言った。
「お前、何か知ってるだろう」
僕は何も言わなかった。
「おい、ハル」
その場から立ち去る僕の背中を、聡史は視線だけで追いかけた。
恭子はスピードど呼ばれるクスリ……つまり覚せい剤に手を出して、昨晩は急性の中毒症状に陥っていたのだ。
どんな経緯でそうなったのかは判らない。
ただ、彼女は下着を履いていなかったそうだ。
何処かに連れ込まれて乱暴された末に、あそこに棄てられたのかもしれない。
乱暴される前に、大量のエスを飲まされたのだろうか。
しかし、彼女は以前からクスリに手を出していたらしい。混ぜ物を増やして錠剤に加工されたものなら意外と手軽に入手が可能だと聞いたことがある。
「何時かこうなると思っていたのよ」
昨夜、恭子の眼鏡を母親に返すと、彼女はそれを握り締め、悲しい目で僕にそう言った。
父親は大事な仕事で出張中だそうだ。
「クスリの事、判っていたんですか?」
「薄々は……何かイケナイ事に手を出してしまった事はね」
「どうして止めなかったんですか」
「恭子は最近、家で暴れるようになって……父親がいるときはいいんだけど、最近出張が多くて」
母親は、ほの暗いロビーの椅子に腰掛けたまま
「もう、私の手には負えなくなってたのよ」と、弱々しく言って顔を両手で覆った。
そして、彼女を偶然見つけた僕に、何度も何度も頭を下げた。
大人に、しかも同級生の親にこんなに頭を下げられて僕は、いったいどんな態度でいればい いのか見当もつかずに、ただ時間が過ぎるのを待っているだけだった。