◆第19話◆
「ねえ、ここ階段で下りられるんだね」
第二展望台に戻って、ウロウロしていると、榛菜が指を指して言った。
「階段かあ」
僕は、もっと二人の時間を、二人の空間を堪能したくて彼女を階段へ誘った。
「無理だよ。あたしと歩いたら陽がくれちゃうよ」
「別にいいよ。バイトの時間にさえ間に合えば」
僕はそう言いながら榛菜の手を引いて、階段の扉を開けた。
そこは静まり返った空間が、下に向かって果てしなく続いていた。
ゴーッと吹く風の音だけが聞こえた。
階段を一歩ずつゆっくりと歩く。
「下まで行けるかな」
榛菜は四角いらせん状に何処までも続く階段を見下ろして呟いた。
「疲れたら、俺がおぶってやるよ」
僕は、彼女の左脚を重荷に思っていない事を証明したかったのかもしれない。
榛菜の脚が、僕には何の負担にもなっていない事、それを感じていない事を彼女に伝えたかったのかも……
いや、きっとそれは、自分自身に伝えたかったのだ。
ゴールデンウイークが終わって学校へ行くと、教室には久しぶりに恭子の姿があった。
しかし、何だか様子がおかしい。
連休明けで誰もがダルい授業を、嫌々ながら何となく時が過ぎていくのを待っている。
そんな連中でも、休み時間は元気がいい。
しかし、恭子は自分の席から全く動こうとはしなかった。何だか酷く痩せこけて疲れたような表情をしている。
「恭子、まだ風邪良くなってないんじゃないの?」
他の女子がそんな声を掛けているが、彼女は何となく薄っすらと笑うだけだった。
翌日、恭子はかなり元気を取り戻したように見えて、他の娘とも普通にお喋りなどをしているが、何だかやつれた顔は相変わらずだった。
「なあ、恭子おかしくないか?」
昼飯を食べる屋上で、聡史が言った。
「身体の具合が悪いのかな」
「なんか、ヤバそうなやつれ方してない?」
聡史は何気に僕よりも恭子を観察していたりする。
ただ、単に洞察力に優れているのだろうか。
「ヤバそうって?」
「なんか、薬でもやってんじゃねえの」
「まさか。恭子だぞ」
「そうだよな……」
聡史はそう言って笑うと、売店で買ったカレーパンを頬張った。
放課後、僕は帰りの駅で恭子を見つけたので、声を掛けた。
聡史の言った言葉が何処か引っかかっていたのかもしれない。
「お前、何処か身体でも悪いのか?」
「何で?」
「いや…… 何か、前より痩せたような」
「そう? 調子いいよ」
「ならいいんだけど」
「ねえ、またしようよ」
恭子は、眼鏡の奥の窪んだ瞳で虚ろに僕を見つめた。
「いや…… ごめん」
僕はどう言っていいのか判らずに、俯いた。
「彼女いるんだもんね」
「えっ?」
「知ってるよ。上野学園の娘でしょ」
「どうして、そんな事」
「前に、池袋で見かけた。あたしと違ってめちゃくちゃカワイイ娘」
恭子は、それだけ言うと、到着した電車に乗り込んだ。
池袋に到着すると、彼女は何時も通り塾に向かって駅の構内を出ていった。
その後姿は、何だか風に吹かれたら飛んでいきそうなほど頼りないものだった。
カワイイ娘。榛菜は確かにカワイイ。
だから僕は、彼女の片脚が義足でも許せるのだろうか。
もし、恭子の脚が片方無かったら。同じように接する事が出来るだろうか。
いや、そんな事を考えても意味が無い。
二人は全く別の人間なのだから、同じ症状であっても感じ方は違うはずだ。
僕は、恭子が嫌いではなかった。現に一時期心を引かれて優しくしてしまった。
彼女は知ってしまったのだろうか。
僕が、もしかして女を抱きたいだけで彼女の無垢な身体に手を出してしまった事を。
僕はそこまで考えた時、ふと気がついた。
いままで榛菜の脚の事に気をとられて、それを自分の中でどう処理するかばかりを考えていた。
そして今気づいた。
彼女とはセックスできるのだろうか。
いや、身体は健康なのだから出来ないわけは無い。しかし、彼女は他人に裸を見せるだろうか。
脚はどうする? あの脚は重いのだろうか……
その行為の時には、やっぱり義足は取り外すのだろうか。
片脚のない女性を前に、性的興奮を感じる事が出来るのだろうか。
僕は途端に頭の中が暗雲に包まれて不安でいっぱいになった。
彼女と付き合う問題は、歩き回るだけではない。彼氏彼女としての関係。その先にあるものが、果てしなく遠い気がするのは何故だろう。