◆第18話◆
「こうして見ると、やっぱり大きいね」
榛菜はそう言って、空を仰いだ。
下ろしたままの背中に着く黒髪が、風にそよいでいた。
僕は彼女をバイクに乗せて、芝浦へやってきた。
そう、ここに聳える333メートルの東京タワーへ昇るため。
「あたし、東京タワーって初めて来た」
「俺も昇った事ないよ」
「何かおかしいね。東京に住んでるのに」
「パリに住んでると、一生エッフェル塔には昇らないもんなんだって」
僕の言葉に、彼女は一瞬小首を傾げると
「ああ、なるほど」
一階部分にあるお土産売り場は、やたらと混雑していた。直通エレベーターで、大展望台まで行く。
展望台に着くと、連休中の為か、家族連れと外人の姿が多い。
「なんか、外人多いね」
榛菜が小声でいった。
彼女は窓の傍まで歩いていくと
「凄い、窓大っきいね」
窓の手前にある手すりに寄りかかりながら、身体を乗り出すようにして景色を眺めた。
「あ、ほら。大きな玉ねぎがある」
僕は武道館の屋根を指差した。
「なんで玉ねぎ?」
「ほら、あの飾り」
「あ、ほんとだ。玉ねぎだ」
彼女は手すりに身体を預けながら、右足でピョンピョン跳ねて笑った。
「爆風スランプって知らない?」
「爆風? ドクタースランプなら知ってるけど……」
僕は苦笑しながら「そりゃ漫画だろ」
「サンプラザ中野は?」
「中野はあまり行かないから……」
「いや、その中野じゃなくて…」
学年一つしか歳が違わないのに、こんなに知っている事に差があるのだろうか。いや、僕はたまたま聡史が聴いていた古い曲で爆風スランプを知っただけだ。
僕の世代でも知らない連中の方が多いかも知れない。
僕は、そう考えて自分を納得させると、榛菜にそのバンドと曲の事を話して聞かせた。
「ああ、あのツルツルにサングラスの」
榛菜は、容姿の説明で、何かで見たことあると言って笑っていた。
「もっと上の、第一展望台に行ってみる?」
「上もあるの?」
「うん。そこに案内がある」
僕は、中央の専用エレベーターを指差して言った。
ゆっくりとエレベーターに乗り込むと、他は外人が五人。一瞬異国の空間と化して、僕たちは異常な緊張に呑み込まれた。
唯一の仲間は、エレベーターガールだけだ。
榛菜が僕の手を握ってきた。
僕は彼女の顔を見ずにわざと素知らぬ顔で、彼女が掴んだ手をそのままにした。
本当は掴み返したかったけど、何だかがっついているように思われたくない。
泳いだ視線が、うっかり隣の外人とかち合った……
真っ白というより、少し頬と鼻の頭に赤みがある本物の白人男性は、青い瞳でニコリと僕に微笑みかけた。
僕は慌てて笑顔を返しながら視線を逸らす。
「びっくりしたね。外人ばっかりだったよ」
ゆっくりとエレベータから離れると、榛菜は小声で言った。
第一展望台は、第二に比べるとかなり小さくて、直ぐに一回りしてしまう。
それでも別料金のせいか、人がまばらで空いていた。
隣にいた外人が、望遠鏡にコインをいれて覗き出した。仲間たちがそれに群がっている。
僕は隣で窓の景色に食い入る榛菜の手を掴んだ。
彼女は、僕と違ってハッとした表情で僕を見上げた。
僕は彼女と同じように手すりに寄りかかって、榛菜と視線を並べた。
大きな窓から入り込む五月の陽射しは暖かく、僕たちは光りに包まれていた。
彼女の大きな黒い瞳には、僕が映り込んでいた。
彼女の唇に、僕の唇がそっと触れた瞬間、僕が掴んだ彼女の手には微かに力が入るのが判った。
その時、反対側で楽しそうに望遠鏡を覗く外人たちの存在は完全に消えていた。
この空間で淡い光りに照らされているのは、僕たち二人だけなのだと思った。
彼女の少し乾いた唇は柔らかく、僕の唇に包まれて、そして僕を包み込んだ。