◆第16話◆
恭子は今日も学校を休んだ。もう三日来ていない。
風邪が酷いのだろうか。僕は頭の隅でそんな事を考えながら、心のどこかでホッとしている。
しばらく顔を合わせない方が、気が楽だ。
今でも彼女の裸体が記憶に残って離れないが、彼女を好きかと言われてもそれは何ともいえない。
僕は、半年振りで女性を抱きたかっただけなのかもしれない。
それが彼女に知れてしまうのが怖いのだ。
まるで彼女の気持ちを玩んでしまったような気がして後ろめたさだけが募る。
榛菜の指は日に日に良くなって、それに伴いピアノの音色は透明感を取り戻し、再び鍵盤の上で飛び跳ねる。
あの左脚が自分の本当の脚でない事など微塵も感じさせない。
制服姿の榛菜は明らかに年下の女の子と言う感じで、その笑顔は時に幼ささえ感じる。
しかし、ここでピアノを弾く彼女は、あくまでも僕と対等だ。
僕には出来ない事を軽々とこなす榛菜の姿を見て、それを認めないわけにはいかない。
彼女はここへ来るときにはロングスカートを履いて来る事が多い。
時にはタイト、時にはフレアー。そしてこの前は、裾口にレースの飾りのついているものを着てきた。ショートブーツと合わせる事で、容易に脚全体を隠せるからだろう。
時々パンツルックの時もあるが、どうやって履くのか少しだけ疑問に思う。
髪は必ずアップにして、バレッタで止めたり、複雑に編みながら団子を作ったりとその日によって様々だ。
ただ、彼女の首筋は白く清楚で、跳ねる産毛がライトに照らされて、少しだけ色っぽい。
「ねぇ、ゴールデンウイークって何処か出かけるの?」
僕が、夜のまかないを食していると、後からスタッフルームに入ってきた榛菜が声を掛けてきた。
「連休中も、殆どここだよ」
「昼間は無いじゃん」
「そうだな。でも、特に予定なんてないよ」
僕は、前に彼女が学校帰りに何処かへ立ち寄りたそうにしていた事を思い出した。
榛菜は椅子に腰掛けると、小さな皿に持って来たパスタにホークを刺した。
「そういえば、この前何処かへ行きたいって」
「うん。でもいいや」
「どうして?」
「だって、面倒でしょ。あたし歩くの遅いし」
彼女はパスタを口に運びながら、あっけらかんと言った。
それがわざとなのか、それとも思った以上に彼女はサバサバした性格なのか、僕には判断できない。
「別に、そんなの……」
彼女は、黙々とパスタを口に運んでいた。そして
「サンシャインに昇ってみたかったの」
「サンシャイン? って、サンシャイン60?」
彼女は僕をチラリと見て、パスタを噛む口を動かしながら頷いた。
「昇った事無いの?」
「昔、亜貴と昇った事ある。中一の時かな」
彼女はティーパックで作った緑茶を飲みながら言った。
「サンシャインかあ」
僕は、椅子にもたれ掛かるようにしながら、頭の後ろで手を組んだ。
「ハルくん昇った事ある?」
榛菜は、何時の間にか僕をハル君と呼ぶ事に落ち着いたようだ。
「ああ、何度かね。でも、窓に奥行きがあって何だかパッとしないんだよな。あそこ」
「ああ、そういえばそうだったかも」
「じゃあさ、他行こうか」
「他?」
「東京には他にも展望台あるじゃん」
* * * *
ゴールデンウイークに入って直ぐの中日、学校帰りの駅で亜貴に出くわした。
出くわしたと言うよりは、僕を待っていたらしい。
池袋へ出てから、ファーストフードの店に入った。
「どうしたの? わざわざ。よく俺の学校が判ったね」
「ハルに聞いてたし、場所は友達に制服の特長で訊いたら、直ぐに判る娘がいて」
彼女はそう言って、少し遠慮気味に笑った。
「今日は、榛菜は?」
「親戚の法事だって」
「そっか」
「だから、来たの。ちょうどいいし」
彼女はいったい何の用事で来たのか、僕は心の中でずっと詮索していた。
マンゴーシェイクを口にした僕に、亜貴は言った。
「榛菜の事、好き?」
「はあ?」
……何と直球な質問だろう。
僕の答えは決まっている。しかし、二つ返事で答えられる質問ではない。
「いや…… それはまだ」
「彼女、左脚無いよ」
彼女は、いきなりそう切り出した。