プロローグ〜◆第1話◆
広いとは言えない国道沿いに小さな神社がある。鳥居はやけに立派だが、神社の建物は小さい。
小さな神社の敷地は、空き地などほとんど無いこの町では、子供たちの格好の遊び場だった。
一番に来た連中が真ん中をどうどうと使うことが出来る。女の子などは、何時も端のほうで小さく固まって何かをしているのが普通だ。
敷地の端にはブランコとスベリ台もあるので、真ん中を使えないからといって、遊べないわけではない。
僕は友達十人ほどと一緒にカン蹴りをしていた。全国的に呼び名は一緒だと思うが、まあ、かくれんぼと鬼ごっこを合わせたようなものだ。
神社の建物の周囲は小さな林になっているが、他は道路に面していて住宅が広がっている。だから、何処までを隠れる場所の範囲とするか、あらかじめ決めておかないと、ある者は果てしなく逃げてしまい永遠に見つけられなくなる。
いつまでも誰も捕まらないかくれんぼは、それはそれでつまらないものだ。
かくれんぼとカン蹴りの一番の違いは、鬼の居ぬ間に陣地であるカンを、捕まっていない誰かが蹴り飛ばせば、捕まっていた連中は解放されて再び逃げられる事にある。
他の連中はあらかた捕まってしまい、見つかっていないのは僕と、ケンイチだけになった。
鬼の聡史は周囲を警戒しながらも、残った僕とケンイチを捕まえようと、やっきになっている。
ブロック塀の影からケンイチが顔をだしたので、僕はびくりと身体を一瞬硬直させてから、思わず息をついた。
「なんだ、ケンイチかぁ」
「どうするハル。どっちが行く?」
ケンイチが僕に小声で言った。
この状況だと、どちらかが仲間を解放するためにカンを蹴らなければならないし、捕まった連中もそれを期待して待っている。
「ケンイチはここで様子を見てろ。俺、反対側から回り込む」
ケンイチがOKのサインをして無言で頷いたのを見て、僕は民家の裏庭を通り抜けて神社の反対側へ抜けた。
裏庭はひんやりとじめじめしていて、土の上に緑のコケなどが生えていた。粘土質の湿った土の上で、一瞬足が滑って転びそうになる。
神社の反対側へ無事に抜けた僕は、狭い路地を挟んで神社の敷地をこっそりと見渡した。
その時、鬼の聡史が途端に走り出した。ケンイチの姿を見つけたのだ。
僕は聡史がカンから離れたのを見て、迷わずダッシュした。
僕に気がついた捕虜たちが、声を上げないようにして一斉に手招きしていた。
僕がいた神社の側道沿いには桜の木が何本か植えてあり、左側の視界を妨げていた。視界が悪いため、聡史からも見えにくかったのだが…… そこから女の子二人が出てきたのだ。
「どけよ!」
僕は大声で怒鳴って、それでもかわそうと精一杯身体をよじったが、一人の女の子と身体が触れてしまった。
その時のぼくは小学校六年生。女の子は4年生くらいだろうか……
そんなに激しくぶつかったわけでは無かったが、その娘はよろける間も無いくらいにいきなり地べたに倒れた。
僕はほとんど影響なく走り抜けて、そのままカンを蹴り飛ばした。そして振り返ると、女の子がべったりと地面に倒れていた。
捕まっていた連中は我先にと、神社の敷地から消えていった。
「俺、タイムな」
慌てて駆けつけ、カンを拾う聡史に僕は言った。
そんなに強く当たった覚えも無いので、僕にはたいした罪悪感は無かったが、一応倒れた女の子が心配だった。
「大丈夫?」
そう言って、笑いながら女の子に駆け寄る僕に、一緒にいた娘が冷たい視線を送った。
「なんだよ。軽くぶつかっただけだろ。大げさなんだよ」
そういいながら、立ち上がろうとする女の子を見て、僕の身体は凍りついた。
一緒に居た女の子が肩を貸すが、お互いに身体を支え合うほど二人ともガッチリしてはいない。
立ち上がろうとして、思うように足が動かない女の子。
長ズボンの裾から見えたのは、肌色と言うよりむしろ材木のような無機質な足首…… いや、何処が足首なのかはよくわからなかった。
それはまるで、ピノキオの足だった。
「足……」
僕が思わずそう呟くと、再び連れの女の子は僕をキッと睨んだ。
転んだ当人は、起き上がるのに必死でそれどころでは無いのだろう。
片足で踏ん張りながら、もう片方の足は思うようには動かない。いや、あの足を動かせと言う方が無理だろう。
僕は、彼女が起き上がるのを黙って見つめていた。
その後、きちんと謝ったのかは覚えていない。
ただ、見てはいけないと思いながらも、無機質なピノキオの足から視線が離れなかった記憶だけが、はっきりと残っている。
しかし、それさえも何時の間にか忘れ去って、僕は健常者に囲まれながら健常者として生きてきた。
それが今の僕だ。
【第1話】
五体満足。よく言われる言葉だが、普通の人はそれを受け流す事の方が多いだろう。
生まれた時から今の健康な身体、物心ついた時からずっと五体満足の人は、僕も含めそれを特別意識したりない。
両手があって掴みたいものが何でも掴めて、両足で走り、跳び回り自由自在に動く身体が当たり前なのだ。
それらは動かそうと言う意識すらしないまま自由に動く。だから、それに対して特別感謝する者など皆無に近い。
しかし、もしも突然足が無くなったら。
誰もが自分は五体満足なだけで幸せだったのだと思う事だろう。
そして両親は、勉強が出来ようが出来まいが、タバコを吸おうが、悪態をつこうが、五体満足であった子供の健康だった日々を思い起こして嘆くだろう。
僕が健常者と言う言葉を耳にしたのはつい最近で、最初はその意味すら判らなかった。
身障者とか健常者とか、そんな事考えた事も無かったし、時々テレビで見かける障害を持った人たちには同情はするが、それはあくまでも自分の知らない世界の遠い場所での出来事でしかないと思っていた。
もちろん、街で車椅子を見かける事もあるが、何となく風景の一部として捉えるだけで、それに対して何かを感じる事は殆ど無かった。
僕は高校3年生になったばかりの春、今までに拍車をかけていい加減な毎日を過ごしていた。
とりあえず学校には行くが、勉強なんて全く興味が無い。
毎時間、机に座ってただひたすら授業時間が終わるのを待つだけだ。
自習や僕らに関心の無い教師の時間は、隣近所と適当に遊んで過ごせるが、やたら気合の入った教師の授業ではそれも出来ない。
何もしない五十分間は、とてつもなく長くて永遠だ。
この学校は区立の普通高校で、可もなく不可もなく、勉強の出来る奴、運動の得意な奴、そして、何も出来ない奴が一緒くたになって授業を受ける。
共学だから女子もいるのだが、どうもレベルがイマイチだ。
レベルとは、つまり容姿の事で、そのレベルの高い娘はみんな私立へ行くという噂だ。
「ちょっと、陽彦。掃除ちゃんとしていきなさいよ。あんた今週当番でしょ」
帰りのホームルームが終わって直ぐ、鞄に手をかけて立ち上がった僕に声をかけてきたのは、橘恭子。
「わかってるよ。荷物の整理してただけだろ」
「そんな事いって、今週ぜんぜん掃除して無いじゃん」
恭子は一年の時もクラスが一緒で、二年では違っていたのに再び三年になって一緒になった。
何だか知らないが、僕に対してズケズケと何でも言ってくる。
「おい、ハル。帰んねぇの」
友人の聡史が声をかけた。
僕は、彼を振り返って、そして再び恭子を見る。
今時、みんなコンタクトを使用してるというのに、彼女は目に異物を入れたくないという理由で眼鏡をかけている。
黒いセルフレームに縁取られた長方形のレンズ越しに僕を見つめる目は、何処か母親のようで、コイツには逆らえない。
アキバではメガネっ娘などというモノが流行っているらしいが、彼女の年季の入った眼鏡姿には誰も振り向かない。
「判ったよ」
僕は、溜息混じりで鞄を机の上に置くと
「悪りぃ、俺掃除当番だ」
聡史にそう告げた。