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第4章-渭水編・第9話~交わる道~

 「やっと、着いたな……」


 街をぐるりと囲む高い城壁を見上げながら、感慨深げに一刀は呟いた。


 「そうですね……」


 一刀と連なって麒麟の背に跨がる月も、安堵のため息混じりに相づちを打つ。


 今、彼等の前にそびえる城壁は、益州州都である成都を守る城壁である。ここに着くまでの間、訪れた村々で新しく益州を治める事になった桃香の話を聞いた。話に聞く限りでは、総じて好意的に受け入れられている様だった。


 とりあえず、一刀の知っている歴史通りに事態が推移した事にほっとする。もちろん、展開が早くはあるのだが、劉璋が勝つのに比べたら何の問題もない。もしそんな事になっていたら、一刀の計画は全て破綻するところだった。


 城門に詰める兵はいたが、特に見咎められる事もなく2人は成都へと入る。まず最初に視界へと飛び込んできたのは活気ある街並み。そして、明るい表情の人々だった。


 それだけで、桃香がどんな政をしているかが窺える。もっとも、以前会った時に感じた桃香の雰囲気と、諸葛亮達がいる状況で酷い政を行っているとは思えない。


 そういえば、鳳統は無事なのかな。彼は自分で助言した事を、今の今まですっかり忘れていた。


 それを確認するためにも、城へと行かなければならないのだが、こちらはすんなり通してくれるはずがない。馬超からの使者だ、と騙れば通してはもらえるだろう。が、話の内容が内容だけに、最初に負い目を作りたくはない。誰か顔見知りで桃香に仕えている人物にでも会えれば話は早いのだが、この広い成都の街でそれを期待するのは偶然が過ぎる。


 やっぱり、正規の手順を踏むのが1番か。城に行って目通りを申請し、待つしかないな。もし俺の名前に誰かが気付けば、順番を繰り上げてくれるかもしれないし。


 そう考え、一刀はひとまず宿を探す事にした。申請が受理されて順番が回ってくるまでに、どれだけ待つかは分からない。あまりにみすぼらしい格好をしていては、門前払いされる可能性もある。それに、今着ている庶民的な服より、学園の制服型の服に着替えておいた方が気付かれやすいだろう、という考えもあった。


 大通りから脇道へと入る。大通りには確かに立派な宿が立ち並ぶが、やはり料金も立派だ。残りの路銀はそれほど多くなく、何泊しなければならないか分からないのに高級宿には泊まれない。裏通りにある安宿を探すつもりなのだ。


 この行動が、一刀達に思いがけない人物との再会を果たさせる事になるのだが、この時はそんな事になるとは思いもよらなかった。


 裏通りはさらに活気に溢れていた。屋台や露店がいくつも軒を連ね、非常に雑然としている。呼び込みの声がいたるところから響き、胃袋を刺激する様々な匂いが辺りに広がる。ちょうど昼飯時な事もあり、人出も相当なものだ。


 一刀は月の手を握る。この人混みではぐれたら見付けるのは骨だ。彼は月の手を引きながら、人混みを縫う様にして進んでいく。


 ふと、一刀は足を止めた。流れる人の波の中に、ボーッと佇む見覚えのある少女を見付けたからだ。


 「れ、恋?」


 一刀が見付けたのは、肉まんを売っている屋台を物欲しげな表情で見つめる恋の姿だった。声を掛けられ、恋は2人の方へと振り向いた。


 「……月? それに、一刀も……」


 一刀達は恋に近付く。


 約束がある。そう言って西涼を発った後、一切話に聞かなくなっていた恋。その彼女が、なぜこんなところにいるのか。それを尋ねようと思ったのだが、彼女の方は一刀達に興味はないらしい。尋ねられる前に、視線を屋台へと戻してしまった。


 恋は肉まんを蒸している蒸籠をジーッと見つめる。思い出した様に腹は物凄い音で鳴った。道行く人が何事かと立ち止まるほどだ。しばらくそうしていたらしく、屋台の店主も非常に気まずそうにしている。


 「肉まん、食べるか?」


 あまりに物欲しそうなその様を見かね、一刀はそっと尋ねてみる。視線を蒸籠へ釘付けにしたままコクリと頷く恋の動きに、知らずと苦笑が浮かんでしまった。


 「月も昼は肉まんでいいかい?」


 宿を探しながらどこかで昼食を、と思っていたところだ。一応は月にも確認してみるが、思った通り、微笑みと共に肯定の返事が返ってくる。


 1人1つでいいか。だが、注文する直前で、恋が翠以上の大食漢である事を思い出した。背中から腹の虫の鳴き声が切なく響く。


 結局、恋の分に3つ、合計5つの肉まんを購入した。


 早速肉まんをパクつく恋を見ながら、一刀と月も昼食にする。本当は恋に色々聞きたいところなのだが、彼女の意識は肉まんにしか向いていない。食べ終わるのを待つしかなかった。


 先に食べ終わった一刀は何となしに恋の食べる様を見ていた。同じ大食漢でも、翠の様にがっつく訳ではない。何となく、リスの様な小動物を連想させる可愛らしさがある。不思議と癒され、食べ終わってしまうのが残念に感じるほどだった。


 「で、恋はどうしてこんなところに……」


 「恋殿ーっ! 遅れて申し訳ないのですーっ!」


 食べ終わるのを待って話し掛けた一刀だったが、遠くから聞き覚えのある声に邪魔をされた。恋に続き、声の聞こえた方に視線を向ける。


 そこには、小さな体で人混みを掻き分けながらこちらに向かってくる少女の姿があった。恋と共に西涼を離れた音々音だ。


 一刀達が気付いたのにわずかに遅れて音々音も気付いたらしい。驚いた顔を見せて立ち止まりかけたが、そのまま3人の側へと駆け寄ってくる。


 「月殿、それに一刀も、どうしてこの様なところにいるのです」


 「まあ、ちょっと、な。それより、ねねこそどうしたんだ?」


 質問には曖昧に答えながら探りを入れる。


 「ねね達は……」


 「……ねね、行こう」


 「あっ、そうなのです。出掛けに朱里と雛里に捕まってしまい……」


 また答えは得られなかった。それでも音々音の言葉から察するに、やはり偶然で成都にいる訳ではない様だ。だとすれば、ここで2人を逃す手はない。


 「恋、ねね、俺達も一緒に行ってもいいかな」


 歩き出した2人の背中に向かって声を掛ける。どこに行くつもりなのか、そんなものは当然分かっていないが。


 「……一刀と月も一緒にくる。ご飯は皆で食べた方が美味しい……」


 振り返った音々音は迷惑そうな顔を見せたものの、恋にこう言われては反対出来なかった。


 まだ食べるのか、と一刀は顔をひくつかせた。


 さっき食べた肉まんは思いの外ボリュームがあり、1個で十分満腹になった。月は食べ切れずに半分残したほどだ。それを、恋は自分の分である3個に加え、月の残した半分まで食べていたのだ。


 半ば呆れながらも、一刀は2人に付いていく事にした。




 物凄い数の料理を次々に平らげていく恋を横目に、音々音達が成都にいる理由を一刀は尋ねる。


 「う~、仕方がない。最初から話してやるのです」


 そう言って、音々音は西涼を発ってから成都に着くまでの経緯を話し始めた。


 恋が鈴々と再戦を約束していたため、それを果たすべく徐州へと赴いた事。しかし、2人が着いた時には、徐州は袁術によって支配されていた事。その後、何の手がかりも得られなかったため西涼へと戻る途中、関羽と再会し荊州まで同行した事。そのまま益州にまでくっついてきた事。


 仕方ない、と言いながら、音々音はかなり饒舌に語ってくれた。


 「……という訳で、恋殿とねねは桃香殿に客将として力を貸してやっているのです」


 えへん、と大きく胸を反らす。その様は子供らしく滑稽で、可愛らしいものであった。


 ともかく、今の2人の立場は一刀の望んだ通りだ。


 「実は俺達、桃香に話があってここまで来たんだ。ただ、いきなり行っても門前払いを食らうだけだろ? だから、桃香に目通りが叶う様、ねねから口添えしてもらえないかな」


 「ねねちゃん、私からもお願い」


 月も一緒に頼み込む。


 「一刀はともかく、月殿に頭を下げられては断る訳にいかないのです。……なら、ここの食事代で手を打ってやるのですぞ」


 財布の中身を確認する。支払いは大丈夫だろうが、余裕は一気になくなってしまう。しかし、短時間で桃香に会える可能性が極めて高いこの話を断るのはあまりにも勿体ない。


 「分かった。その代わり、しっかり頼むぞ」


 「ねねに任せておけばいいのです!」


 一刀の念押しに、音々音は自信満々で、ドン、とその小さな胸を叩いた。


 食事が終わると、ひとまず一刀達は別れる事にした。恋と音々音は先に城へと戻り、一刀と月は適当な宿へと入っていく。


 桃香と顔見知りとはいえ、さすがに身なりを整える事もせずに会う事は出来ない。湯と手拭いを借りて汚れを落とすと、それぞれ正装へと着替える。月はメイド服、一刀は本物の聖フランチェスカ学園の制服である。レプリカではない、ポリエステル製の制服に袖を通すのは、涼州の諸侯に天の御遣いとして紹介されて以来、およそ1年半ぶりだ。


 二の腕、胸、太ももと、いたるところがきつい。ピチピチで恥ずかしいが、鍛練の成果をはっきりと感じられたのは嬉しかった。






 一刀と月が侍女に案内されて玉座の間に入ると、すでに桃香に仕える将のほとんどが揃っていた。以前会った時から仕えている関羽や、別の人物に仕えていた趙雲。他にも見覚えのない人物が数人並んでいる。その中に鳳統の姿を見付け、一刀はホッとした。


 この場にいないのは桃香と諸葛亮の2人だけだった。


 「遅くなっちゃってごめんなさい!」 


 扉が開くと共に明るい声が飛び込んできた。その声の主は一刀へと駆け寄り、両手で包み込む様に彼の手を取る。


 「久しぶりだね、一刀さん。益州へようこそ。でも、急に訪ねてくるなんてどうしたの?」


 にっこりと微笑んだかと思うと、大きな瞳で上目遣いに聞いてくる。その瞳に吸い込まれそうな感覚を覚え、一刀はやんわり手を振りほどく。寂しそうな顔を見せる桃香をたしなめる様に、関羽が1つ咳払いをした。


 「あっ、ご、ごめんね? 私、一刀さんに会えるのが嬉しくて、つい舞い上がっちゃって……」


 ペコリと頭を下げた後、桃香は玉座へと歩き出す。その横には、いつの間にか諸葛亮の姿もあった。


 ともかく、これで中心人物は揃った。一刀は気持ちを引き締め直す。桃香も浮わついた気持ちを落ち着ける様に、大きく深呼吸をしてから話し始める。


 「一刀さん、貴方はどうしてこの益州に来たんですか? それに、私に話がある、と、ねねちゃんから聞きましたが?」


 彼女にしては珍しい真剣な表情と固い喋り方だった。諸葛亮の指示だろうか、無理をしているのが一刀にも分かった。


 「はい、劉備様にお願いがあって参りました。馬超を初めとする涼州の将兵を、劉備様に受け入れていただきたいのです」


 「えっ?」


 桃香は思わず声を漏らしてしまった口を手で塞ぐ。そのまま口元を隠す様にしながら、隣に立つ諸葛亮に小声で話し掛ける。


 「朱里ちゃん、話が違うよ~」


 「はわっ、す、すみません。もう少し詳しく話を聞いてみてください」


 桃香は姿勢を正し、仕切り直しとばかりに咳払いを1つする。


 「ええと……、受け入れて欲しい、というのは? もう少し詳しく言ってもらえますか」


 「馬超を盟主とする涼州連合と曹操が関中において争っているのは、劉備様もご存知だと思います。この戦に敗れれば、涼州に戻る事も出来ず流浪の身になるのは必至。それを救っていただきたいのです」


 片膝をつき、両手を体の前で組んだ姿勢のまま、一刀は真っ直ぐに桃香を見つめた。真剣な眼差しに桃香の心が揺さぶられる。


 「えっと……、うん、って言ってもいいんだよね……?」


 再び小声で諸葛亮に尋ねる。


 「だ、駄目ですよ。まだ何も分からないじゃないですか。……もう」


 はぁ、とため息を吐くと、諸葛亮は一刀へと視線を向けた。


 「確かに先程、北郷さんが言われた通り、馬超さんと曹操さんが戦争をしているのは知っています。ですが、涼州連合軍は十五万に届くほどなのに対し、曹操軍は三万がいいところ、との報告も受けています。これだけの兵力差があって、敗れた時、ですか?」


 「兵力の差が戦の結果に直結しない事は、諸葛亮もよく分かっているだろう? ましてや連合軍、寄せ集めの大所帯だ。末端まで統率するのは難しい」


 ちなみにこの2日前、翠は曹操に大敗北を喫していた。電話の様な通信手段がないため、その情報が成都にまで届くのはまだまだ先の話だ。


 「仮に馬超さんが負けるとして、私達が馬超さん達を受け入れる義理はないはずです。それとも、曹操さんを敵に回すのに見合うだけの物がありますか?」


 「曹操が覇道を掲げて天下を狙う以上、時間の前後はあれ、戦う事になるのは間違いない。その時のために戦力を充実させる、っていうのは、十分な利じゃないのか?」


 桃香の心は決まっている。以前同じ目的を持って戦った仲間が助けを必要とするのなら、手を差し伸べたい。もっとも、それは赤の他人であってもそうなのだが。


 しかし、諸葛亮は軍師として国の事を考えるが故に、一刀の言葉に頷く事が出来ない。翠達を受け入れる事の利が少ない上に、一刀の言葉には腑に落ちない点が多すぎる。


 「桃香様、朱里、少しよろしいか?」


 一刀と諸葛亮が言葉を戦わせる中、1人の女性が発言を申し出た。その女性は厳顔と名乗り、一刀に威圧的な眼差しを向けてくる。


 「以前、この益州を治めていた劉焉様は馬騰殿と同盟を結んでいてな。わしも何度かお会いした事がある。もちろん、その御息女である馬超殿にもだ。その時の感じからすれば、負けた後の事を考えて手を打つ様な真似をするとは思えんが?」


 「……厳顔さんの言う通り、馬超の指示ではなくて俺の独断です。独断でここまできました」


 「ならば、北郷殿は馬超を見捨てて成都にきた、という事か!?」


 「違う! 俺は翠を見捨ててなんか……」


 割って入った関羽の言葉に、一刀も思わず感情的になって反論しかけた。だが、尻すぼみになり、最後は口の中だけで呟いた。


 翠を見捨てたつもりは微塵もない。彼女のために成都まできたのだ。しかし、事情を知らない者には見捨てた様に見えるのだろう。そう考えるくらいの冷静さは残っていた。


 そんな一刀に、さらに辛辣な言葉が投げ掛けられる。


 「何も違う事はあるまい。馬超殿を残し、お主1人で成都にまできた。馬騰殿の仇を討たんとする馬超殿を、お主は裏切ったのであろう」


 違う、と反駁したかった。全力で否定したかった。だが、それをするには初めから事情を説明しなければならなくなる。もちろん、一刀の素性も含めて、だ。


 桃香達には自分の事を全て話すつもりでいる。しかし、彼の手の内にあるカードはこの1枚しかない。ここで感情のままにカードを切っても効果は薄い。今は言い返したい気持ちを抑えるしかないのだ。


 「そもそも、馬超殿が負ける前提で話が進んでいるが、勝った場合にはどうするつもりだ。涼州側が有利なのだろう?」


 「その時は……、好きにしてもらって構いません」


 「首を差し出す、というのか?」


 一刀は無言で頷いた。


 もし翠が勝ったら。歴史とは違う結果を迎えるとは思えなかったが、それでも考えた事がない訳ではない。そうなれば、もう2度と翠の前に立つ事は出来ないだろう。それならいっその事、という思いは少なからずあった。


 「だ、駄目だよ、そんなの!」


 慌てて桃香が口を挟むと、張り詰めた空気のまま沈黙する。


 「あ、あの……!」


 ピリピリとした空気の中、ぎゅっと拳を握る一刀の背後で声が上がる。そこにいるのは月だけだ。


 彼女は1歩足を踏み出す。が、


 「侍女の分際で口を出すな!」


 と、関羽に一喝されてしまった。


 月の事は侍女としてしか紹介していない。ただの侍女がこの場にいる事が関羽には面白くないし、ほとんどの者が、なぜ、という思いでいる。


 あまりの迫力に月の体は強張る。それでも、勇気を持って足をさらに1歩前に出す。


 再び声を荒げようとする関羽は服の裾を恋につかまれ、きっかけを失ってしまった。


 「初めまして、劉備様。以前はお世話になり、ありがとうございました」


 「……えっ?」


 月の言葉を桃香は理解出来なかった。


 初めまして、の後に、以前お世話になった、と続くのだ。桃香でなくてもおかしな声を上げただろう。


 混乱しつつも必死に思い出そうとする桃香の様子に頬を緩め、月は言葉を続ける。


 「以前、私は洛陽で暮らしていて、その時には董卓と名乗っていました」


 それを聞いて桃香達は合点がいった。と同時に、別の疑問がわき上がる。


 「そうか~、貴方が董卓さんだったんだね。でも、どうしてここで私達にそれを教えてくれるの?」


 「私がこうしていられるのは、馬超さんを初めとする涼州の方々のお力があったからです。劉備様、どうかお力添えをお願いします。もし、皆さんを受け入れてくださるのであれば、その時は、私の首を……」


 「そこまでだ、月」


 頭を下げる月の言葉を一刀が遮る。でも、と反論しようとする月には視線を向けず、真っ直ぐに前を見つめている。


 「月はどう思っているか知らないけど、もう董卓の首に大した価値はないよ。そうだろ?」


 そう言って、一刀は諸葛亮へと話を振る。自分が話すよりも、第三者である諸葛亮の言葉の方が聞き入れやすいだろう。そう思っての事だった。


 「北郷さんの言う通りです。反董卓連合の解散直後ならいざ知らず、これだけ時間が経っては……。すでに、身代わりの首級で決着がついていますから。そもそも、董卓さんを馬騰さんが匿っていたと知れれば、その名を汚す事になりますよ」


 月は自分の考えが浅はかだったと思い知らされた。ガックリとうなだれたその頭に、一刀の手が優しく乗せられた。


 「それにさ、そんな事になったら、詠や清夜に八つ裂きにされちゃうだろ、俺」


 一刀は少しおどけた感じで微笑んだ。だが、すぐに真剣な表情へと戻り、桃香達へと視線を移す。


 「彼女の首はともかく、もちろん見返りが何もない訳ではありません。俺の持つ天の御遣いの知識、その全てを劉備様に捧げる事でいかがでしょうか」


 知識、という単語に諸葛亮と鳳統の眉が跳ねる。2人は口を開こうとするが、それより早く厳顔が声を発した。


 「ハンッ、天の御遣いの真偽も分からんのにその知識など、眉唾に過ぎる」


 話にならない、とばかりに鼻で笑う。この態度に噛み付いたのは、張本人である一刀ではなく桃香だった。


 「桔梗さん、一刀さんは嘘を吐く様な人じゃありません!」


 「ならば、なぜこやつはその知識とやらを己の主のために使おうとはせんのです。本来であれば、馬騰殿や馬超殿のために使うのが臣下の務めではありませぬか。そうしないのは、大した価値がないか、そもそもそんな物は存在しないか。そのどちらかであると考えるのが自然でしょう」


 「それは、きっと何か事情があって……。大体、桔梗さんは一刀さんとは初対面じゃないですか! 私はお話しした事もあるし、桔梗さんより、いっぱい一刀さんの事を分かっているんです!」


 「わしが言えた義理ではありませぬが、桃香様は少し他人を疑う事を覚えた方がよろしい! でなければ、いつか取り返しのつかん事態を招きかねませんぞ!」


 過熱する2人のやり取りを見兼ね、何人かが仲裁に入る。厳顔には隣にいた淑やかな女性――黄忠が、桃香には関羽がそれぞれ宥めるべく声を掛ける。


 「落ち着いて、桔梗。客人の前なのよ」


 「桃香様も落ち着いてください。こうして2人が言い争ったところで、何もならないではありませんか」


 桃香は玉座へと腰を下ろし、厳顔も体を正面、つまりは一刀の方へと向ける。何とか納まった様に思えるが、実際はそうではない。


 桃香は不機嫌なのを隠そうともせず、頬を膨らませている。それはまだ問題ない。一国の王の態度としてはどうかと思うが、可愛らしい女性のそんな姿は、一刀の瞳には魅力的に映った。


 問題は厳顔の方だった。黄忠に止められ行き場を失った不満が、鋭い視線となって一刀に襲い掛かっている。さすがは歴戦の勇士である。一刀も身震いを抑えるのがやっとで、何か言葉を口に出す事もためらってしまう。


 そんな緊張感の中、おずおずと鳳統が手を上げて喋り出した。


 「あの……、北郷さん。天の知識というのは、長安で私に言った事と関係があるんですか?」


 探る様にゆっくりな口調で一刀に尋ねた。だが、一刀はその問いに直接は答えない。


 「あの時の事、役に立った?」


 そう答えただけである。


 「ええと……、どういう事、雛里ちゃん」


 諸葛亮がそのやり取りを不思議に思い、鳳統に問うてみる。長安で一刀と会った、という話は聞いていたが、その時に何か言われたとは聞いていなかった。


 「うん。私と愛紗さんが長安で北郷さんに会った時、その別れ際に言われたの。落鳳破には気を付けて、って。その時には意味が全然分からなかったんだけど、ラク城を攻めるのに通る間道が落鳳破だって聞いてビックリして……。だから、あそこで伏兵の可能性に気付けたのは北郷さんのおかげなの」


 鳳統の話を聞き、諸葛亮の眉間にはしわが寄った。彼女の頭脳が高速で回転を始める。


 落鳳破は行軍もままならない様な細い間道である。そんな地元の者だけが知っている様な道を、なぜ知っていたのか。そして、どうしてそこが危険だと知っていたのか。さらには、涼州連合軍の敗北に自分の首を賭けるほどの自信はどこからくるのか。


 『まさか……。でも、それなら辻褄は合うけど……』


 諸葛亮の中で1つの結論に辿り着く。だが、それは到底信じがたいものであった。


 「……桃香様。北郷さんにはしばらく別室でお待ちいただこうと思うのですが、よろしいですか?」


 諸葛亮の思い詰めた雰囲気を感じ、桃香は素直に従った。




 「で、どうしたの、朱里ちゃん」


 一刀と月が退出した後の部屋で桃香が尋ねる。その問いに対し、顎に手を当てたまましばらく悩んだ後、諸葛亮はゆっくりと自分の考えを述べ始めた。


 「北郷さんですが、未来を見通す力を持っているのかもしれません」


 諸葛亮の言葉に一同ざわついた。それくらい、すっとんきょうな発言だった。


 「……つまり、奴は預言者の様な力を持っている、と?」


 そんな中、比較的冷静な趙雲が自分の考えた答えを諸葛亮にぶつけた。


 「いえ、そんな曖昧な物ではないと思います。北郷さんは、知識、と言っていました。であれば、これから起こる事をすでに知っているのかもしれません。そう考えると、雛里ちゃんが落鳳破で危険に晒される事を知っていたのにも納得出来るんです」


 「そう言えば、初めて一刀さんに会った時も変な事を知ってたよね。私が村にいた頃に、草鞋売りをしていた事とか」


 そうですね、と返事をしかけて、諸葛亮はハッとした。未来が分かるというだけでは、桃香の過去まで知っているのはおかしい。その事まで踏まえて、もう一度考え直してみる。


 「……そんな事、ある訳ないよね」


 彼女は自分の導き出したあまりにも馬鹿げた答えに、自嘲しながらそう呟いた。




 約1時間後、一刀と月は玉座の間へと再び通された。


 「お待たせしてごめんなさい。翠ちゃん達を受け入れる件、お引き受けしますね」


 そう言って桃香は優しく微笑んだ。その笑みで、一刀の体からは力が抜ける。よかった、と心底ホッとした。


 「それで北郷さん、先程の件なんですが……。もしかして、貴方は未来からきて、これから先に起こる事を知っているのでは……?」


 諸葛亮が自信なさげに尋ねる。そして、仲間達はそんな彼女に怪訝そうな顔を向ける。


 ついさっき彼女が述べた仮説とは違っている。しかも、より一層ありえないと思われる方向に。周囲から訝られるのも無理はなかった。そもそもが、諸葛亮自身も1つの可能性として捉えているだけでしかない。


 だが、一刀はそんな諸葛亮に笑ってみせた。


 「ああ、その通りだ。俺は天の国からきたんじゃない。今からおよそ1800年後の未来からきたんだ」


 やっぱり、と呟く諸葛亮。だが、他の面々は驚きの表情を浮かべたり、疑いの眼差しを向けたりと、当然ながら信じられない様子だ。


 「……朱里、それに北郷。わしらにそんなとっぴょうしもない話を信じろ、と言うのか?」


 「この際、俺が未来からきた事の証明は省かせてください。手元には証明する物が何もないし、重要なのは、俺の持つ情報をどれだけ有用な物に出来るか、でしょう?」


 未来からきた、などと、厳顔には信じる事が出来ない。と言うよりも、あまりにもとっぴょうしもない話に頭がついていけていない。それでも、一刀の言葉は道理であったし、その堂々とした態度は好感を持てるものだった。


 その後、一刀の口から語られた事柄は、未来からきた事を彼女達に確信させるまでには至らなくても、天の御遣いの名に偽りがない事を知らしめるには十分だった。






 一刀が成都にきて数日、彼は桃香の客将となっていた。今日も昼まで諸葛亮と鳳統を相手に、様々な事を話した。午後からはそれを文字に起こさなければならないが、それほど時間がかかる仕事でもない。


 街に出て昼食にしようか。そんな事を考えながら歩いていると、廊下の先で桃色の何かが揺れている。桃香の髪の毛だった。


 彼女は廊下の角から顔を出し、窺う様に顔を左右に振っていた。


 「何やってんだ、桃香」


 「ひゃあっ!」


 桃香は飛び上がらんばかりの勢いで驚いた。


 ちなみに、一刀は桃香の客将になるにあたり、様付けで呼ぶ事を考えたのだが、桃香は頑としてそれを拒否していた。


 「か、一刀さんか……。ビックリさせないでよ、もう」


 不満そうに言いながらも、彼女の顔には笑みがこぼれていた。


 「ごめんごめん。でも、何こそこそやってるんだ?」


 ギクッ、という擬音が聞こえてきそうな程、桃香は顔を引きつらせた。


 「えっ? えーっと……。ところで、一刀さんこそどうしたの?」


 この反応で、一刀は大体の事を察した。西涼にいた頃、翠や蒲公英もよく仕事をサボっていたものだ。


 「これから昼飯でも、と思ったんだけど。桃香は仕事を抜け出したのか?」


 「ち、違うよ。でも、お昼にするんだったら私もご一緒していいかな? せっかくだから、街の中を案内したいし」


 サボりなのは間違いないだろうが、成都の街は右も左も分からない。罪悪感はあったものの、一刀は桃香に案内を頼む事にした。




 昼食もそこそこに、2人は街中を散策する。この街を訪れた時から感じていた事だが、人々が驚くほど明るい。活気ある街は、ただ歩くだけで元気になれる様だ。


 「おや、劉備様。珍しい、今日はお1人ですか?」


 不意に露店の女主人から声を掛けられた。


 「こんにちは。もう、違います。ほら」


 桃香は一刀の腕を引き、女主人に紹介する。ペコリと頭を下げると、一刀は桃香にそっと話し掛けた。


 「珍しい、って言ってたけど、普段は1人で街に出ないのか?」


 「そうだよ。どこに間者がいるかも分からないからって、愛紗ちゃんや朱里ちゃんが、街に出る時は護衛をつける様にうるさいの」


 話を聞いて合点した。


 西涼では、太守であった琥珀もその娘の翠も、どちらも一騎当千の豪傑だった。仮に暗殺を企てた者がいたとしても、返り討ちに出来ただろう。


 だが、桃香ではそうもいかない。先日、関羽が桃香に稽古をつけているのを見たが、その腕は素人然としていた。


 「あ……、じゃあ、城の中でこそこそしてたのは、関羽達に見つからずに抜け出そうとしてたのか?」


 仕事をサボっているものだとばかり思っていたが、どうやらそうではないらしい。図星を指された桃香は少し引きつった笑みを見せる。


 「あはは……、愛紗ちゃん達には黙っててね? やっぱり、護衛の兵士さんがいると、街の人と距離が出来ちゃって」


 一刀は、やれやれ、と深くため息を吐いた。黙っててね、と言われても、城門にいた兵には見られている。そこから関羽達に報告がいくのは想像に難くない。


 帰ったら一緒にお説教か。そう思ったものの、テヘッ、と舌を出す桃香の笑顔を見たら、文句を言う気は失せてしまった。


 「あらあら。ひょっとして、劉備様の大切な殿方なんですか?」


 「えっ!? ち、違いますよ!」


 思わぬ勘違いに、桃香は顔を真っ赤にして否定する。その様子に、一刀も少し顔が上気するのを覚えた。


 桃香が懸命に説明するも、その言葉は女主人に届かない。おばちゃんはどこの世界も変わらないな。そう思っていると、一刀は急に腕を引かれた。


 「い、行こう、一刀さん」


 桃香に引かれるまま、彼はその場を離れていった。




 太陽が西の山に掛かり始めた頃、2人は城壁の上から茜色に染まる街並みを眺めていた。しばらく沈黙が2人の間を支配していたが、一刀がそれを突き破った。聞いておきたい、気になる事があった。


 「あのさ、この間の、俺が知っている事を話している時、桃香は途中で出ていったろ? あれ、どうしてなんだ?」


 翠達を受け入れてくれる代わりに、一刀が知る知識――主にこれから起こるであろう事柄を話している最中、桃香は1人、玉座の間を後にしていた。じゃあ後は朱里ちゃん達に任せるね、とだけ言って。当然、関羽達は引き止めようとしたのだが、彼女は聞く耳を持たなかった。


 「あれね。あの後、愛紗ちゃんにも怒られちゃった。桃香様には為政者としての自覚をもっと持っていただかなければ困ります、って」


 それは一刀も思った事だ。全てが役に立つ訳ではないだろうが、それでも聞いて損する話ではないからだ。


 「……ねえ、一刀さん。もし、今年は好天続きで豊作になるのが分かっていたら、どうしますか?」


 いきなりの飛躍した問い掛けに一刀は面食らう。それでも聞き返す事はせず、真摯に考えて答える。


 「豊作だって分かってるなら、さらに少しでも多く収穫出来る様に頑張る、と思うけど……?」


 「じゃあ、逆に不作だと分かっていたら?」


 「そりゃあ、不作だとしても耕作はするだろう? 少ない中でも、ちょっとでも多く収穫出来る様に」


 桃香は大きく頷く。


 「うん、そうだよね。豊作だと分かっていても、畑を耕して種を蒔かなければ収穫はない。不作だとしても、しっかり頑張れば普段の何割かは取れるだろうから」


 街を見下ろしていた彼女は顔を上げ、真っ直ぐに一刀を見つめる。


 「例え未来が分かったとしても、私達に出来る事は一生懸命頑張る事だけだと思うの。出来る事をしっかりとやる、それだけ。もちろん、不作だって分かっていれば対策も行えるんだろうけど。でもね、結局は毎日を精一杯生きていく事の積み重ねが……」


 桃香の言葉を遮る様に、大きな笑い声が響く。一刀が大声で笑っていた。


 「えっ、あの……、私、何か変な事言ったかな?」


 「ははっ……。ごめん、そうじゃないんだ。ただ、桃香らしいな、って。未来が分かっても頑張るだけ、か。確かにそうだ。俺の知っている未来は未来で、その通りになるかどうかは俺達次第だもんな。……うん、ありがとな、桃香」


 一刀も桃香を真っ直ぐに見つめ返して礼を述べた。その顔は、何か憑き物が落ちた様にスッキリとしていた。






 関中を脱出した翠達は秦嶺山脈を越え、漢中に近付いていた。曹操軍の追撃もなく、凍える様な寒さ以外、道中は順調だった。


 そんな中、詠だけは関中からこっち、ずっと浮かない表情をみせている。


 「どないしたん? ずーっとそないシケた面して。愛しの月ちんに会えるのに、嬉しくないんか?」


 詠に馬を並べてくる霞。彼女の姿を一瞥した詠は深いため息を吐いた。その様子に、ニヤニヤしていた霞は不満そうに唇を尖らせた。


 「……別れ際にあんなひどい事を言ったのよ。どの面下げて月に会ったらいいのよ。どうせあんたは、成都についたら美味しいお酒をいっぱい飲もう、くらいしか考えてないんでしょうけど」


 「まあ、それは否定せんけど。けど、あれは月ちんの事を思って言ったんやん。ウチは月ちんやったら詠の気持ち、分かっとると思うけどな。そない気の回らん子やないやろ?」


 それは誰に言われるまでもなく、詠が一番分かっている。誰よりも優しく他人の心を理解出来る人物である、と。もし、あの時の言葉を言ったのが別の誰かであれば。その時は、霞と同じ様な言葉を掛けて慰めただろう。だが、月を傷付けた罪悪感もあり、詠はそこまで素直に考える事が出来ずにいる。


 そこへ、今度は清夜が馬を寄せてくる。彼女は背筋を伸ばし、正面を向いたままで口を開いた。


 「安心しろ、月様は全て分かっておられる。お前の真意を全て、な。だから、天幕を飛び出した月様を追いかけた時、私にお前を護る様頼まれたのだ。今まで私を護ってくれた様に、これからは詠ちゃんを護ってあげてください。そう仰られた」


 「……そ、そう。……ありがとう」


 詠は俯き、自分の跨る鞍へと視線を落とす。そして、呟く様に礼を言った。その顔にはわずかだが、久しぶりの笑みが浮かんでいた。


 幸せそうな顔をみせる詠に、霞のいたずら心がむくむくと湧き上がる。


 「幸せそうな顔しおって。月ちんに会えるんがそない嬉しいんか? あっ、それとも一刀の方か?」


 「なっ、何であいつの名前が出てくるのよ!」


 詠は大声を上げて霞を睨み付ける。だが、わずかに赤く染まった頬は、霞にからかう材料を与えるだけだ。


 「そない照れんでもええやん。月ちんと一刀は一緒に益州へ向かったんやから、会う事になるんは当然やで?」


 「別に、あいつになんか会いたくないわよ! そ、そう。ボクは月が一刀に変な事をされていないか、それが心配なだけなの!」


 大声で否定する詠を霞はカラカラと笑い飛ばす。


 月に自分の真意が伝わっていた事を聞いて、詠は浮かれていた。自分がどれくらい大きな声を出しているかも気付かない程に。その事に気が付いたのは、少し前を行っていた翠が立ち止まっているのを見た時だった。


 足を止めた3人を翠の鋭い視線が襲う。思わず目線を外した3人に、翠は馬首を返してゆっくりと近付く。そして、詠の眼前で馬を止めた。


 「どういう事だ」


 翠が口にしたのはその一言だけで、何が、とは言わない。しかし、それで十分だった。何について問い質しているのかは、3人にしっかりと伝わっていた。


 懸命に頭脳を回転させて誤魔化す方法を探す。だが、そうそう上手い言い訳が思い浮かぶはずもない。押し黙る3人に、翠がもう一度、感情的になって怒鳴る様に聞いた。


 「どういう事なんだ! 一刀と月は……」


 「あ~も~、うっさいわ~。お前も大体の予想はついとんのやろ? 一刀と月は益州に行って、ウチらを置いてくれる様、劉備と交渉しとんねん」


 さも面倒臭そうに、霞は頭をボリボリと掻きながら答える。


 「な、何だよ、それ。そんなのあたし、聞いてないぞ!」


 「当たり前や。言うてへんもん。言うたら、益州へは行かん、とか言い出しそうやからな」


 「当然だろ! あいつはあたし達を裏切ったんだ。何で裏切り者の世話になる様な真似をしなきゃならないんだ!」


 「いい加減、ガキみたいに駄々こねんのやめえや。そんなら他に手があんのか? あるんやったら言うてみい!」


 馬上で激しく言い争い、互いに睨み合う。一触即発の雰囲気に、鷹那達がその間に入って両者を引き離した。


 「とにかく、あたしは絶対、成都になんか行かないからな!」


 「なら、勝手にせい! もう、ウチは知らん!」


 互いに顔を背けると、それぞれ別の方角に馬を進ませる。


 「ちょ、ちょっと、待ちなさいよ、あんた達!」


 詠が叫んでみても、2人は振り返るどころか歩みを緩める事すらしない。オロオロするしかない詠と蒲公英。そんな中、鷹那はあくまで冷静だった。


 「仕方ありません。詠と清夜は霞と共に、先に成都へ向かってください。私は姫を説得してみます。たんぽぽも、いいですね?」


 「う、うん。お姉様を1人にしておく訳にはいかないからね」


 鷹那の声を聞きながら、詠は自分の迂闊さを悔いた。しかし、後の祭りである。今は鷹那の言う通りにするしかない。


 「……分かったわ。でも、大丈夫なの?」


 「ええ、姫は私がお守りしますから。一刀さんにも安心するよう伝えてください。では」


 鷹那が馬首を返すと蒲公英もそれに続く。詠が聞きたかったのはそういう事ではなかったのだが、聞き直す間はなかった。






 その日、一刀は警邏のために街へと出ていた。そこへ城からの使いがやってきて、彼に何事か告げる。それを聞くなり、一刀は城へと駆け出した。


 大通りから城門を抜け、廊下も全力で駆けていく。途中、文官や侍女と何度かぶつかりそうになったが、それでも速度は落とさない。その勢いのまま大扉を開け放つ。部屋の中にいた者達は一斉に一刀の方を向いた。


 そこには久しぶりに会う仲間の顔が。だが、一番会いたかった人物の姿はそこにない。


 「やっぱり、か……」


 口の中で呟いた。それでも落胆した表情を微塵も見せる事なく、呼吸を整える様にゆっくりと歩み寄る。気まずそうな3人に対し、先に口を開いたのは一刀の方だった。


 「3人共、無事みたいでよかったよ。お疲れ様」


 「あ、ああ……」


 まさか、労いの言葉を掛けられるとは思ってもみなかったらしく、霞はキョトンとした表情でぼやけた返事をした。彼女は一旦視線を落とした後、意を決して一刀の瞳を正面から見つめる。そして、すまん、と謝った。


 「一刀がここにおる事、翠に知られてもうてん。あいつとは、漢中で別れたっきりで……。ホンマにすまん!」


 頭を下げ、両手をまるで拝む様に合わせる。


 「顔を上げてくれよ、霞。翠達も無事なんだろ? だったら、それでいいさ。……清夜も、無事で何よりだよ」


 霞が顔を上げたのを見て、一刀は清夜の方に向き直る。


 「お前こそ、よく月様を守ってくれた。礼を言うぞ」


 「まあ、ほとんど何もなかったからな」


 1度虎と遭遇した以外は、一刀と月の旅は概ね順調であった。心配させるといけないので、その事は黙っておく。


 後は詠なのだが、彼女の様子は少しおかしかった。翠の事を気にしているのは一刀にも理解出来る。だが、視線はずっと床に落としたまま、顔を上げようともしない。少し迷ってから、一刀はそっと声を掛ける。


 「詠も、ご苦労様」


 「……のよ」


 小声で呟かれた言葉は、一刀には聞き取れなかった。えっ、と耳をそばだてる。


 「何でそんなに気を使ってんのよ!」


 突然大声を出され、一刀は思わず仰け反るが、俯いたままの詠はそれにも構わずがなり立てる。


 「あんたから戦の顛末を聞いていたのに負けたのも、翠にあんたの事が知れたのも、全部ボクのせいなの! 文句の1つも言えばいいじゃない! それなのに、そんな気を使った様な言葉、使わないでよ! 余計惨めになるでしょ!」


 玉座の間は、シン、と静まり返った。聞こえるのは詠の荒い息遣いだけだ。


 「ごめんな」


 「謝れ、なんて言ってな……!」


 ポン、と詠の頭に一刀の手が乗った。彼女は手を振り払う事もせず、ゆっくりと一刀を見上げる。


 「本当は、軍師だった俺がやらなきゃいけない事だったのにな。でも、皆が無事に脱出出来たのは詠のお陰だろ? きっと俺じゃあ、逃げる事すら叶わなかった。だから、やっぱりこういう言葉しか出てこないんだ。ご苦労様、ありがとう、って」


 真っ直ぐ見つめられながら言われた言葉に面映ゆくなり、詠はたまらず視線を外す。あれだけがなって急にしおらしくなるのは恥ずかしく、自らの非をさらに並べてしまう。


 「で、でも、ボクのせいで翠と会えなくなったのに……」


 「翠も無事なんだろ? なら、どうとでもなるさ。生きてさえいれば、な。俺がきっと何とかしてみせるから、そんなに自分を責めなくていいんだぞ」


 優しく微笑み掛ける一刀。その瞳の奥には強い決意が宿っていた。

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