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第3章-長安編・第7話~長安出兵~

 「ほれ、しっかりしいや、一刀!」


 まったくうるさい。遠くから聞こえる霞の声にそう感じたものの、それを口に出す余裕は今の一刀には無かった。正面から振り下ろされた戦斧を横に飛び退いてかわすと、1つ息を吐いて構え直した。彼の目の前にいる清夜も戦斧を持ち直し、改めて腰を落とした。


 一刀は清夜との訓練の真っ最中だった。それを離れた場所から観戦する霞は非番のため、2人の戦いを肴に昼間から酒を飲んでいた。その横には心配そうな顔で黙って見つめる月と、大声を上げる詠の姿があった。


 「ああもう、何やってんのよ! ……危ないっ! ……ほら、そこよ!」


 言葉の内容と2人の動きから、一刀の方を応援している事が分かる。相当夢中になっているのか、霞がニヤニヤしながら見ている事にも気付いていない。


 「そない心配せんでも大丈夫や。一刀の奴、この半年でだいぶ腕を上げとるし」


 霞の言った通り、一刀はこの半年の間にしっかりと修練を積み、かなり腕を上げていた。ほぼ毎日の様に誰かしらと刃を交えている。恋がいた頃は、彼女とも何度も手合わせをしていたのだ。当然、嫌でも強くなる。


 だからといって、一足跳びに強くなれる訳でも無かった。蒲公英には5割近い勝率を残せる様にはなったが、翠にしろ霞にしろ、蒲公英以外にはまだ1度も土を付けた事は無い。


 そんな中で、一刀にとっては清夜は対峙しやすい相手だった。訓練用の戦斧で刃引きしてあるとはいえ、重量があるために気は抜けない。当たりどころが悪ければ怪我ではすまなくなる。それでも槍などとは違って突きが無い分、距離を潰しやすい。刀の間合いは短いため、いかに相手の懐に飛び込むかが重要だった。


 清夜は巨大な戦斧を両手で振り上げる。それに対し、一刀は左足を1歩前に出した。刀の切っ先を下にして頭上で構え、清夜の戦斧を受け流す。真っ正面から受け止めれば一撃で叩き折られてしまうため、攻撃のベクトルをわずかに逸らしていく。金属同士が擦れあい、耳をつんざく様な高く激しい音が耳元で響く。そして、その音が消えると共に刀を大上段で構えた。


 「たぁーっ!」


 気合いを込めて刀を振り下ろす、はずだった。振り下ろそうとした瞬間、鈍い音と共に手首に激痛が走り、一刀は堪らず刀を手放してしまった。清夜は戦斧から左手を放し、右手1本で戦斧を回転させて石突きを打ち込んでいた。


 「つっ……」


 思わず怯んだ一刀の首筋に戦斧が押し当てられた。彼は素直に負けを認めた。


 そこへ月が駆け寄ってくる。その後に詠、最後に霞がのんびりと歩いて一刀へと近付く。


 大丈夫ですか。そう尋ねながら月は一刀の手を取った。


 「ああ、これくらい何ともないよ」


 激しく痺れていたものの強がりを言ったのは、やはり彼が男だからだろう。そこへ遅れてやって来た霞は月をどけて、一刀の手を確かめる様に優しく触る。


 「……骨に異状は無いみたいやな。せやけど、これは腫れるやろな。月、手拭いと水を張った桶を持って来てや。冷やしとかんとあかん」


 返事をすると、月はすぐさま駆け出した。それに詠も続く。


 「惜しかったな、もうちょいやったのに」


 「惜しくなんかないだろ、あれだけ手加減されて」


 別に手を抜いている訳では無いのだろうが、翠や霞とやっているのを見れば、自分に対して本気を出していないのは分かった。酔っ払いに気を使われた事が情けなくなり、多少つっけんどんな言い方になってしまった。しかし、言われた側は全く気にした風ではなく、変わらず屈託無い笑顔を一刀に向けている。


 「ま、それが分かる様になったんも、少しは腕が上がったからや。お清かて、そう思うやろ?」


 「以前よりは、な。だが、月様をお守りするためにはまだまだだ」


 手首を押さえてうずくまる一刀に近付くと、石突きを地面に突き刺して仁王立ちになる。視線の高さが清夜の腰の辺りにちょうど合ってしまい、一刀は慌てて顔を背けた。


 彼は2人が苦手だった。性格や人柄が、ではない。その露出の多い服装が、である。


 霞の上半身は胸にさらしを巻いて肩に法被を掛け、下半身は袴に下駄履き。清夜の方は、上半身はほぼ胸当てのみで、下半身はロングスカート風だが腰までの深いスリットが入っている。動く度に太ももが見えるし、下着が見えたのも1度や2度ではない。いい加減、訓練の時は気にならなくなったが、平時ではそうそう慣れなかった。


 綺麗で大胆な格好をしたお姉さんに挟まれて気まずい思いをしていると、ようやく月達が戻ってきた。月が手拭い、詠が水の入った桶を持って小走りに駆けてくる。


 「足元気ぃ付けや」


 霞が何気無く言った時だった。何も無いところで蹴躓く詠。すると、その手に持っていた桶は見事な放物線を描き、一刀の頭にその中身をぶちまけた。


 「す、すみません、一刀さん!」


 そう謝ったのは月だった。慌てて持っていた手拭いで拭こうとするが、一刀はそれを手で制して詠の方へと近付いた。


 軍師としては一流の頭脳を持っている詠であったが、侍女としては致命的にドジだった。その事が分かっているので、一刀も今さら水をかけられたくらいでは怒らない。大丈夫か、と聞きながら詠の手を取る。


 一刀に促され無言で立ち上がった詠は、やはり気まずそうに視線を合わせようとはしない。しばらく時間が流れた後、ごめん、とそっぽを向いたままで呟く様に謝った。


 「……って、こんな事してる場合じゃないのよ。すぐに全員集まるように、琥珀様からの命令よ」


 一刀の手を振りほどき、少し早口で伝えた。月もすっかり忘れていたらしく、あっ、と声が漏れた。


 「全員、ってウチもか? もう酔っぱらってるんやけど」


 言いながら、霞はまだ半分以上残っているとっくりの口を閉めた。






 一刀達が会議室に入ると、すでに文武官のほとんどは集まっていた。街の警邏に出ている翠の姿だけが無い。


 着替えるくらいの時間はあったかな。そう思いながらいつもの位置まで歩く。ここに来るまでにざっと手拭いで拭いただけで、服が濡れているのは遠目にも分かる状態だった。実際、琥珀は少し不思議そうな顔を一刀に向けている。彼は苦笑いを浮かべながら椅子に腰掛けた。


 一刀が座っているのは琥珀から2つ目の席だ。一番近い席は娘である翠が座るので、その隣になる。


 そのまま2、3分待ったところで扉が勢いよく開け放たれた。相当急いで戻ってきたのか、肩で息をしている翠がそこにいた。早足で一刀の隣まで来ると、


 「ごめん、母様。ちょっと色々あって……」


 と謝りながら席に付いた。しかし、琥珀は何も答えずにジッと翠の顔を見るだけだった。


 翠の口の回りには、黒いタレの様な物が付いていた。しかし、本人がそれに気付いている様子は無い。あまりに長い間見つめられ、翠は段々と落ち着かなくなっていく。


 「な、何だよ、母様。あたしの顔に何か付いてるのか?」


 その言葉に、琥珀だけでなく一刀や鷹那まで深いため息を吐いた。


 「……で、貴方は警邏中に何を買い食いして遅くなったの」


 「あ、あたしは、買い食いなんかしてないぞ」


 どうやら強引に誤魔化すつもりらしい。証拠が無いと思っているのだから、それも無理は無いのかもしれないが。


 そこへ、横から手拭いがスッと差し出された。さっきまで一刀が使っていた物だ。


 「女の子なんだから、口の回りくらい綺麗にしとかないと」


 その言葉でようやく気付いたらしい。引ったくる様に手拭いを受け取ると、まさにゴシゴシと音が聞こえてきそうな勢いで拭っていく。娘のそんな情けない姿に、琥珀は改めてため息を吐いた。


 「すでに知っている者も多いと思うけど、先程エン州牧の曹操から使者が訪れたわ」


 翠が拭き終わるのを待って、琥珀は話し始めた。


 「曹操に勅命が下ったそうよ。長安に巣食う逆臣、李確と郭氾を討て、とね」


 2人の名前が口から出された瞬間、旧董卓軍の面々の体がわずかに反応した。もちろん、各地に放っている間者からの情報で、2人が長安にいる事は知っていた。それでも、討伐命令が出たと聞けば勝手に体が動いてしまった。彼女達、特に、直接の上官であった霞にとってその名は汚点であり、清算したい過去であった。


 すっかり酔いも覚めた様で、霞は鋭い眼光で琥珀を見つめている。


 「表向きは出兵要請。でも、実際には勅命を盾にした命令ね。もし従わなければ、次は私達が逆臣に仕立て上げられるのは間違い無いでしょう」


 「なら、それに応じて兵を出す?」


 翠の問いに、琥珀は1つ頷いた。漢の臣である以上、勅命に逆らうつもりは無い。それに、関中と呼ばれる長安一帯は涼州と接している。李確等が暴挙に及んでいるのはまだ関中だけであるが、いつ涼州にまで飛び火してくるか分からない。対岸の火事ですんでいる内に消火してしまおう、という腹積もりだった。


 「すんません。ウチが言っていい事やない、っちゅう事は分かってますけど、この戦、ウチも連れていってもらえませんか?」


 「ええ。正式な編制は後で通達するけど、霞にも出てもらうわ。汚名返上の機会は、一刀君に作ってもらいなさい」


 「よろしく頼むで、一刀」


 「……出来る限り善処するよ」


 普段は見せない真剣な眼差しに、一刀も軽い言葉を選ぶ事は出来なかった。


 その数日後、琥珀を大将とした馬騰軍は長安に向けて進軍を開始した。副将には翠が就き、一刀と蒲公英、霞の姿も見える。さらには、およそ一万五千の兵がその後に続いた。






 「華琳様、ただ今使者が戻り、馬騰がこちらの申し出を受けた、と報告が入りました」


 「なら、諸将にはかねてから命じてある通りに動け、と伝えなさい。それから、本隊の準備は出来ているのでしょうね? 明日、日の出と共に出陣するわ」


 涼州からエン州まではかなりの距離がある。どんなに急いで使者が戻ったとしても、そこには小さくないタイムラグが発生してしまう。すでに馬騰軍は武威を発っているはずだ。使者に大まかな作戦も伝えさせた以上、曹操は遅れる訳にいかなかった。


 袁紹への備えとして、夏侯淵と郭嘉、程立等を濮陽へと配置。反董卓連合に参加した時と同様、後方支援のために荀或を陳留に残す。結果、曹操と共に長安へと進軍する将は、夏侯惇と李典しかいなかった。


 夏侯惇と違い、李典はまだ実戦経験に乏しく、曹操は彼女を指揮官向きではない、と評価していた。さすがにこの人員では厳しい。だが、曹操には考えがあった。


 「桂花、関羽と鳳統にも伝えておきなさい。せっかくですもの、あの2人にも手伝ってもらうわ」


 こうして曹操軍はその命令通り、翌日の早朝には長安へ向けて出陣した。






 涼州を出て関中へと入った馬騰軍は、長安へ後数日の位置にまで進軍していた。現在はそこに陣を張り、現状とこれからの作戦を確認しているところだった。


 「ここまでは迎撃をされる事もなく、無事にこれたね」


 お茶に口を付けながら、蒲公英はのんびりとした様子だ。


 「ま、あいつ等には斥候を放って周囲に気を配る、何て真似は出来んやろ。せやけど、さすがにここまで近付けば、いくら何でも気が付くと思うわ」


 「気付いてもらわないと困るんだけどな」


 さすがは元上官、と思ったものの、それを口に出すと不機嫌になるので一刀は黙っておく。


 「曹操軍の進軍状況はどうなっているの?」


 「はい、予定通りに潼関の東にまで進んでいます」


 潼関とは、長安の東にある関の名前である。そのさらに東側に曹操軍はいるというのだ。長安までの距離は、援軍を請われた側である馬騰軍の方が近い。だが、これは作戦通りだった。


 長安の様な堅城に五万を超える兵で籠られれば、勝つ事自体が難しいし、勝てたとしても大変な損害を被ってしまう。この戦で重要なのは、いかに李確軍を城から引きずり出し野戦へと持ち込むか、という事だ。東西から挟撃する動きを見せながらも、上手く連携がとれずに足並みが揃っていない様に進軍しているのは、李確等に各個撃破を企図させるためだった。






 その頃、長安において私欲にまみれた暮らしを送る李確等の耳に、ようやく曹操達の進軍の知らせが届いた。しかし、それを聞いても2人は焦った様子を見せず、いつも通りに美女を侍らせ酒を飲んでいた。


 「まったく、そんな大声出すんじゃねえよ。酒が不味くなるじゃねえか」


 李確はそう言って杯を一気にあおる。余裕綽々といった姿の李確とは違い、正面に座る郭氾は少し不安そうな顔をしている。


 「何だ、そのしけた面は。心配するこたぁねえんだよ。奴等は合わせて三万ちょっと。こっちは六万近くいるんだぞ。負ける訳ねえだろ!」


 「で、でもよ、あの馬騰だぞ。大丈夫なのかよ?」


 「ちっ、情けねえな。馬騰ごとき、この俺様が蹴散らしてやるからよく見とけ!」


 叫ぶ様に言うと、徳利をつかんで直接酒をかっ食らった。

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