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第2章-洛陽編・第3話~3人の英雄~

 劉備と諸葛亮によって天幕の外に連れ出された関羽であったが、今だその怒りは収まる事を知らなかった。


 「放して下さい、姉上! 朱里、お前もお前だ! 満座の席で桃香様が辱められたのだぞ! 奴に怒りを覚えなかった、とでも言うのか!?」


 「あ、愛紗さんの気持ちは分かります。ですが、北郷さんのお陰で私達が助かったのも事実なんでしゅ」


 関羽の怒号に身をすくめながら答える諸葛亮。恐怖のためか、語尾を噛んでしまう。


 「そうだよ、愛紗ちゃん。北郷さんは御遣い様なんだから、本気であんな事を言った訳じゃ……」


 「姉上は天の御遣いに幻想を抱きすぎです! そもそも、あんなエセ占い師の言う事を信じるなど……」


 2人の宥める声も届かず、関羽の怒りはさらに増していく。そこへ、緊張感の無いのんきな声が響いた。


 「にゃ〜? お姉ちゃん達、何をしているのだ?」


 諸葛亮よりもさらに幼い感じの赤毛の少女が、両手を頭の後ろで組んだまま、てくてくと歩いてくる。ショートの髪の毛に虎の髪飾りを付けた、いかにも活発そうな女の子だ。さらに、その後ろに隠れる様にしている、諸葛亮とよく似た服を着た少女がもう1人。薄紫色の長い髪を頭の両側でまとめたその少女からは、目深に被った魔女の様な帽子のせいもあって大人しい印象を受ける。


 「鈴々ちゃん、お願い! 愛紗ちゃんを止めて!」


 劉備の叫ぶ様な頼みを聞いた赤毛の少女は、後ろから関羽の腰に抱き付いた。その小さな体のどこにそんな力があったのか、劉備と諸葛亮の2人掛かりで何とか押し止められていた関羽の体は、その少女1人にズルズルと引き摺られて行った。


 そんな彼女達のやり取りは、天幕の中にいる一刀達にも聞こえていた。2人は関羽の怒声が聞こえなくなるのを待って天幕を出る。と、出てすぐの所で声を掛けられた。足を止めて振り向くと、そこには曹操が夏侯惇を伴って立っていた。


 「馬騰殿の体調はどうなの? 貴方を名代に寄越す、という事は余程悪いのかしら?」


 曹操の言葉を理解出来なかった翠の脇腹を、一刀が後ろから肘でつつく。そうして、やっと翠は前もって打合せていた事を思い出した。


 「……あ、ああ! 母様は匈奴の奴らを討伐した時に怪我をして……。で、大した怪我じゃないんだけど、涼州からは距離があるから、大事を取って武威に残ったんだ。……今頃は、酒でも飲んでのんびりしてるんじゃないかなぁ?」


 決めておいた台詞を思い出しながらたどたどしく言う翠に、一刀は頭を抱えたくなった。下手に怪しまれて、自分達の目的を悟られる訳にはいかないのだ。しかし、曹操は特に気にした様子を見せなかった。


 「……そう、残念ね。西涼の狼、とまで呼ばれた馬騰殿に会いたかったのだけれど」


 すまないな、と謝って翠は立ち去ろうとするが、曹操はそれを止める。正確には、翠ではなく一刀を、だ。


 「貴方はどういうつもりなのかしら。袁紹を連合軍の先鋒に推すなんて」


 一刀は一瞬答えに詰まる。その理由を正直に話す訳にはいかないからだ。かといって、適当に誤魔化そうとして失敗する訳にもいかない。そこで、一刀は鎌をかけてみる事にした。


 「……多分、曹操さんと同じじゃないかな」


 曹操は頭を下げてまで袁紹を先鋒に据える事に協力したのだ。そこには何らかの利、思惑があって然るべきだろう。そんな一刀の考えを見抜いたのか、曹操は薄く笑うと振り返った。


 「北郷一刀、貴方の名前、覚えておきましょう」


 呟く様に小声で言うと、曹操は夏侯惇を従えて自分の陣へと帰って行った。






 「お帰り、冥琳。どうだった?」


 周瑜が自陣に戻ると、1人の女性が声を掛けて来た。


 彼女の名は孫策、字は伯符。江東の虎と称された孫堅の遺児であるが、孫堅の死後、袁術の下で客将として一軍を率いていた。


 孫策は肩に掛かった長い桜色の髪を掻き上げながら、周瑜に向けて笑顔を見せる。


 「ああ、面白かったぞ。しばらく前に噂になっていた天の御遣いがいてな……」


 そう言うと、周瑜は孫策に先程の軍議の様子を話し始めた。


 「へぇ、会ってみたかったわね、その子に」


 「なら、貴方が出れば良かったじゃない、雪蓮」


 「いいの? 劉表の顔を見たら、どこであろうと奴の喉笛に剣を突き立てるわよ?」


 顔はそれまでと同様に笑っているが、その目だけは鋭く、強烈な殺気をはらんでいた。


 孫堅は劉表の治める荊州の地を攻めた時に戦死していた。劉表が直接手を下した訳では無いが、それでも孫策にとっては親の敵である事に代わりは無かった。


 やれやれ、と言った感じでため息を吐く周瑜。


 「しかし、私達にとっては良い方向に働くかもしれないわね」


 彼女は腕を組んだまま眼鏡を直し、微かに笑った。






 一刀と翠が陣に戻るとすでに天幕は全て完成しており、兵達は食事を始めていた。2人はその間を通り抜け、指揮官用の天幕に入る。そこには食事を前にお預けを食らっている蒲公英の姿があった。


 「も〜っ、遅いよ、2人共」


 頬を膨らませて文句を言う蒲公英。2人はそんな蒲公英に謝りながら席に着くと、3人で揃って食事を始めた。


 数十分後、テーブルの上の食事を全て平らげると、やって来た世話係の女性兵士が空いた皿を下げ、代わりに茶を置いていった。一刀は急須から茶を注ぐと、翠と蒲公英、そして、自分の前にそれぞれの湯飲みを置く。そうして、人心地付いた後だった。


 「じゃあ、一刀。さっきの事、説明して貰おうか?」


 翠は普段よりも多少低いトーンの声で尋ねる。それに対し、一刀は湯飲みに口を付けたまま、何を、と、視線で返した。


 「決まってるだろ。何で氾水関攻めの先鋒を袁紹にさせるのか、って事だ。奴の軍が連合の中で一番大きいんだぞ」


 先程よりも、イライラしているのが声から分かる。だが、それとは対称的に一刀は冷静な口調で答えた。


 「おそらく、劉備軍より袁紹の方が氾水関を抜けるには時間が掛かる、そう思ったからだけど?」


 テーブルに湯飲みを置きながら答える。直後、バンッ、という大きな音がして湯飲みが跳ねた。翠は両手でテーブルを叩いて立ち上がる。


 「そんな訳あるか! 劉備の兵は三千、袁紹軍は五万近く。それなのに、劉備の方が早く氾水関を落とせる訳無いだろ! 第一、拠点を落とすには守備側の倍以上の兵がいる事位、あたしだって知ってるぞ!」


 一刀の変に落ち着いた態度に翠の神経は逆撫でされ、一気に感情を爆発させて大声を出す。


 「バ、バカッ!」


 この話を他の諸侯に聞かれれば、自分達の身が危うくなる。一刀は慌てて翠の口を塞ぐが、彼女は力任せに腕を振り払い、鋭い目付きで睨み付けた。軍議の内容を知らない蒲公英1人が蚊帳の外で、2人の顔を心配そうな表情で交互に見る。


 「とにかく落ち着けって。ちゃんと説明するから」


 翠を宥める一刀の顔はわずかに引きつっていた。さすがは歴史に名を残す猛将である。可愛い顔をしているが、先程の関羽といい、今の翠といい、こうして見せる迫力は半端ではない。内心ビクビクしながらも、蒲公英と2人で翠を座らせた一刀は、袁紹に先陣を取らせた理由を話し始めた。


 「そもそも、兵数が多い方が常に有利な訳じゃ無いんだ」


 拠点攻略、特に城攻めには、守備側の倍以上の兵を揃えるのが常道だ。しかし、それはあくまで平地にある城を攻める場合である。


 街の中に城がある中国では、日本の山城の様に攻め込まれにくい場所に城を作る訳では無い。街の発展を考えれば、街道沿いや河川沿い等、人や物資の行き来に便利な場所に作った方が良いからだ。その様な開けた場所にある城に対しては、大軍を持ってしての包囲戦が有効になってくる。


 しかし、関では周囲の地形が大きく違う。切り立った崖に挟まれた道を塞ぐ壁の様に、関は作られている。そのため、基本的には一方向からしか攻撃を行う事が出来ない。また、部隊を展開するスペースも狭いため、ある一定数以上の兵は意味を成さなくなる。しかも、兵の練度が低かったり、兵を率いる将が無能だったりすれば、お互いがお互いの動きに干渉し合い、マイナスにしかならなくなってしまう。


 袁紹軍の二枚看板である顔良と文醜は決して優秀ではないが、かと言って無能な訳ではない。しかし、この2人に続く将がおらず、五万もの兵を指揮し切れない、と言うのが一刀の読みだった。


 「……でも、五万と三千だぞ? 五万と三万ならともかく、いくら何でも違い過ぎないか?」


 まだ納得出来ない様子の翠に対し、一刀はさらに説明を続ける。


 数に任せた正面からの力押しによる攻略が不可能な以上、策を用いて攻め落とさなければならない。そうなると、問題は袁紹軍よりも、むしろ劉備軍の方にあった。天才軍師として、また、名宰相としても歴史に名を残した諸葛亮の存在である。


 「諸葛亮、って、あのちっちゃい奴だろ? あんなのが、本当にすごいのか?」


 翠の疑問ももっともだ、と一刀は思う。軍議の席では慌てた表情で、はわわ、と言っていた印象しかない。歴史を知っている一刀ですら、これが本当にあの天才軍師か、と思った程だ。


 しかし、その才が本物なのは間違いないだろう。それは、目の前にいる翠が証明している。錦馬超の名に恥ない武を有している翠自身が、何よりの証拠なのだ。


 「ああ。諸葛孔明、臥竜とも呼ばれている俊才で、一部では、臥竜か鳳雛のどちらかを得れば天下が獲れる、とまで言われている人物だ」


 もちろん、これは一刀が知っている歴史の話である。軍議の席で初めて諸葛亮の存在を知ったのだから、当然ではあるが。


 「……後は、意趣返しだな」


 「意趣返し?」


 一刀の発した意外な言葉に、蒲公英は思わずオウム返しで尋ねてしまった。


 「この戦は、袁紹の嫉妬や欲から始まったんだ。董卓を悪人にして。なのに、その張本人が安全な所で高みの見物、なんておかしいだろ? 少しは痛い目にあってもらわないとな」


 一刀がそう言い終わったところで、翠は大きく息を吐いた。


 「……分かった。一刀がそこまで言うなら信じるよ。実際、もう決まった以上、ゴチャゴチャ言っててもしょうがないしな」


 若干不満げな口調と表情だが、とりあえずは納得してくれたらしい。その様子を見て、一刀はホッと胸を撫で下ろした。今回の件の本当の理由を言わずに済んだからだ。


 袁紹に先鋒を取らせたのは二次的な物に過ぎず、一番重要視していたのは、劉備軍を最前線から外す事だった。歴史では、氾水関に於いて華雄と関羽が一騎打ちをし、敗れた華雄が首級を挙げられている。もちろん、歴史通りになるかどうか、それは一刀にも分からない。しかし、可能性を低くしておくに越した事はなかった。


 「ありがとう、翠。それと、ごめん。翠には、せめて一言断っとくべきだったと反省してる」


 一刀は両手をテーブルの上に突き、頭を下げた。こうされては、翠もこれ以上不満そうな顔は出来なかった。


 「べ、別に、あたしは謝ってもらいたい訳じゃないぞ。ただ、理由を知りたかっただけで……。第一、あたしやたんぽぽには、お前みたいに頭を使うのは出来ないし……。その……、あたしも悪かったよ。話も聞かずに大声出して、さ」


 そう謝った翠は照れ臭いのか、すっかり温くなった茶に口を付ける。その姿を、蒲公英は微笑みながら見ていた。


 それからしばらくし、すでにすっかり日も暮れた後、一刀はおもむろに立ち上がった。


 「翠、付き合ってくれるか?」


 「ああ、鍛練か? いいぞ」


 翠も立ち上がり、立て掛けてある槍に近付く。しかし、一刀はそのつもりで声を掛けた訳では無い。翠の言葉を否定すると、今度は蒲公英が声を上げた。


 「そうだよ、お姉様。こんな時間に誘われる、って事は……、ニヒッ」


 蒲公英のいやらしい笑い方に、翠は顔を赤くした。だが、当然蒲公英の考えも違っている。


 「そうじゃなくて、劉備さんの所に謝りに行こうと思うんだ。袁紹を前に出すためとは言え、いくら何でも酷い事を言い過ぎた」


 神妙な面持ちの一刀に、翠は冗談ぽく返す。


 「そうだな。関羽のあの怒り様じゃ、いつ後ろから切られないとも限らないからな」


 こうして一刀と翠は、もう留守番は嫌だ、と駄々をこねる蒲公英を連れて、劉備軍の陣地へと向かった。






 劉備軍陣地。その陣内を近寄り難い雰囲気を身にまとい、大股で歩く1人の少女がいた。


 「……まったく、桃香様は何を考えてらっしゃるのだ。奴に対して怒らないばかりか、いい人などと……」


 その少女、関羽はブツブツと不満を呟きながら歩いていた。陣に戻るまでも、戻った後も劉備と諸葛亮の2人に宥められていたが、一向に怒りは治まらない。それどころか、馬騰軍の陣地に出向いて文句を言ってやろうか、と考える程だった。さすがにそれは思いとどまったが、まさに憤懣やる方無し、と言った感じだ。


 せめてもの気晴らしに、と、陣内を巡回している関羽の前を、1人の兵士が慌てた様子で駆けて行く。


 「何事だ!」


 陣の外まで響く様な大声に驚いた兵士は、体をビクッと震わせて足を止めた。関羽自身も自分の声量に気付き、一度深呼吸をして心を落ち着けてから、再度兵に尋ねる。


 「どうしたのだ、それ程までに急いで?」


 「はい。劉備様との面会を求める方が陣の入り口まで来ておりまして……」


 「姉上にお会いしたいだと?一体誰だ」


 「涼州武威郡太守、馬騰殿の名代の馬超殿と、その軍師の北郷……」


 「な、何だと!?」


 報告の途中、いきなり先程よりも大きな声で叫ぶ関羽。そうかと思えば、今度は俯いて小声で何事か呟き出した。


 「奴め、一体どういうつもりだ? 衆人の前で桃香様を辱めただけでは気が済まんのか? まさか、また桃香様を罵りに……。いや、それだけではなく……!」


 その様子に心配になった兵が声を掛ける。が、それと同時に、関羽は俯いていた顔を上げて叫んだ。


 「……ふっ、ふざけるなーっ!」


 あまりの迫力に、側にいた兵は腰を抜かしてその場にへたり込んでしまう。だが、今の関羽の視界にはそれすら入っていない。怒りを隠そうともせず、鬼の様な形相で陣の入り口に向かって走り出してしまった。


 一方、陣の入り口で待つ一刀は、とりあえず劉備に謝罪して事情を説明し、それから関羽に取り成してもらおうと考えていた。しかし、物事は往々にして思い描いた通りにはいかないものである。


 遠くから誰かが駆け寄ってくる。篝火が焚かれているとは言え、顔が確認出来る程には明るくはない。よく目を凝らして見てみると、縛った髪の毛が走るのに合わせて揺れている。そして聞こえる叫び声。


 「貴様ーっ! 桃香様に何をするつもりだっ!」


 その人物が関羽だと気付いた時には、彼女はすでに愛用の武器、青龍偃月刀を振り上げていた。まずい、そう思った翠は、銀閃を振り上げるために構える。そんな2人より早く動いた者がいた。一刀である。


 「すいませんでしたーっ!」


 全力の土下座だった。関羽からしてみれば完全に予想外の行動で、思わず偃月刀を止めてしまう。そして、それは翠と蒲公英も同じだった。一刀の周りの時間が止まる。


 「なっ……、なっ……」


 声すら出ない関羽。そうこうしている内に、その場に劉備達がやって来る。


 「何してるの、愛紗ちゃん!?」


 この状況を見た劉備は、驚いた様な声を上げた。一刀が自ら土下座したのだが、何も知らない劉備には、関羽が偃月刀を振り上げて無理矢理土下座させた様にしか見えないだろう。そして、関羽自身もその事に気付いた。


 「ち、違います、桃香様! 違うんです!」


 関羽の叫び声が夜空に響いた。






 その後、一刀達は天幕へと招かれ、そこで改めて謝罪と釈明を行った。しかし、関羽とは対称的に、劉備はまったくと言っていい程怒っていなかった。それどころか、一刀に対して好意的な雰囲気すら感じる。


 「ほらね、愛紗ちゃん。私の言った通りだったでしょ」


 そう言って、劉備は関羽に笑い掛けた。視線を外した関羽は未だ不機嫌そうな顔をしているものの、どうやら、これ以上文句を言うつもりは無い様だ。すると、それまで大人しくしていた赤毛の少女が、劉備の袖を、クイッ、と引っ張った。


 「桃香お姉ちゃん、鈴々も」


 少女は劉備の顔を見上げて言った。


 「うん。そうだ、雛里ちゃんもおいで」


 諸葛亮の後ろに隠れる様にしている大きな帽子を被った少女に向かい、劉備は手招きをする。あわわ、と、一瞬慌てた表情を見せたものの、おずおずと劉備の方に近付く少女。先に名乗り始めたのは、赤毛の少女の方だった。


 「鈴々の姓は張、名は飛、字は翼徳。桃香お姉ちゃんと愛紗の義妹なのだ」


 勢い良く言うと、張飛は満面の笑顔を見せた。髪型といい服装といい、男の子に間違えられそうな、元気な少女だ。張飛とは反対に、もう1人の少女は帽子の鍔を両手で引き下げ、顔を隠してモジモジしている。その体勢のまま上目遣いで一刀を見上げ、ボソボソと喋り出した。


 「……鳳統、字は士元、です……」


 今にも消え入りそうな声で名乗ると、鳳統は軽く頭を下げて、トテテッ、と、諸葛亮の方に走って行ってしまった。


 「ふぇ〜ん。怖かったよ〜、朱里ちゃん」


 「よく頑張ったね、雛里ちゃん」


 お互いに手を取り合う2人。その姿は、まるで仲の良い姉妹の様に見えた。


 「しかし、驚いたな」


 一刀は口の中で呟いた。張飛が10歳位の小さな女の子だった事も確かにそうだが、ここにいる事自体は予測の範疇だった。むしろ、問題なのは鳳統の方だ。さっき一刀が翠に話した、臥竜と鳳雛の話の鳳雛とは、鳳統の事である。歴史ではここにいるはずの無い2人の存在に凄いと思う一方、軍議の時から感じていた違和感が一層大きくなった。


 「劉備さんは、どうしてこの連合に参加したんだ?」


 一刀は不躾と知りつつも劉備に尋ねた。


 「もちろん、董卓さんの暴政に苦しんでいる洛陽の人達を助けるためです」


 真剣な眼差しの劉備。その答えは、軍議の席での言葉と同じだった。しかし、これこそが一刀の感じていた違和感だ。


 董卓が暴政を敷いている、と言うのは、袁紹が大義名分を得るための出任せである。劉備がそれをそのまま信じた可能性はあるが、諸葛亮と鳳統の2大軍師が付いていて情報の裏を取らなかったとは考えにくかった。


 一刀はその視線を劉備から2人の軍師に向ける。鳳統の表情は帽子の鍔に隠れて分からなかったが、諸葛亮は一刀と目が合った瞬間に視線を逸らした。その動きから一刀は真実を感じ取る。


 「劉備さんは、本気でそう思ってるのか? 董卓が暴君だって」


 一刀は再び劉備を見る。その強い眼差しに、劉備は言葉を出すまでに一瞬の間を要した。


 「……本気で、って、どういう事ですか?」


 訝しげな表情の劉備。そんな彼女を一刀は冷たく突き放す。


 「俺よりも、後ろの2人の方が良く分かってるんじゃないか?」


 後ろの2人とは、もちろん、諸葛亮と鳳統の事だ。劉備は振り返ると2人を見下ろした。


 「朱里ちゃん、雛里ちゃん、どういう事なの?」


 だが、2人は慌てて劉備から視線を逸らし答えようとはしない。代わりに関羽が声を上げた。


 「姉上、この様な者の言う事など聞いてはなりません!」


 関羽は強い口調で劉備を諫めるが、彼女はそれを聞こうとはしない。それどころか、この強い口調に何かを感じたのか、逆に関羽に食って掛かる。


 「もしかして、愛紗ちゃんも何か知ってるの? もしそうなら教えて!? 皆、私に何を隠してるの!?」


 さっきまでの劉備からは想像出来ない様な鋭い声が飛ぶ。関羽も何も答えず、ただ黙って俯くだけだった。


 「……ねぇ、お姉様。どういう事?」


 「あ、あたしに聞いたって分かりっこないだろ」


 一刀は背中からそんな声を聞いたが、とりあえず説明している場合ではないので放っておく。劉備達の間にピリピリした空気が流れる中、それまでずっと黙っていた張飛が口を開いた。


 「早く言ってしまえばいいのに。3人が嘘を吐いているのはバレバレなのだ。第一、愛紗はいっつも鈴々に、嘘は吐くな、って言っているのだ」


 まるで茶々を入れる様な口振りだったが、関羽は言葉を詰まらせる。そして、余計な事は言うな、とでも言いたげな目付きで張飛を忌々しそうに睨み付けた。だが、張飛には微塵も怯んだ様子は見えない。なりは小さくとも、さすがは燕人張飛、と言ったところだ。


 「……分かりました、桃香様。お話します」


 さらに増した緊張感の中で、意を決した様な諸葛亮の言葉。関羽はそれを制止しようとするが、諸葛亮は首を横に振った。そして、一度一刀を睨んでから劉備へと向き直る。


 「……申し訳ありません。私達は桃香様に隠し事をしていました。……董卓さんが都で暴政を敷いている、そんな事実はありません」


 「えっ……? で、でも、袁紹さんからの手紙には、そう書いてあったでしょ?」


 信じられない、と言った表情の劉備。一方、諸葛亮の表情はまったく変わらない。


 「それは、袁紹さんが大義名分を得るための出鱈目です。事実、間者からの報告では、何進大将軍と十常侍が権力争いをしていた頃より治安は安定し、人々の暮らしは良くなっています」


 洛陽の実状を聞いた劉備は俯いてしまう。余程ショックだったのか、しばらく黙った後、絞り出す様に喋り始めた。


 「どうして……? 私達は力無い人達を守るため、皆が笑って暮らせる世の中を作るために立ち上がったんだよ? それなのに、何で何も悪くない董卓さんを皆で攻撃する様な真似をしなくちゃいけないの?」


 「それは……」


 諸葛亮は言い淀む。もちろん、劉備に真実を告げなかった事には理由があった。だが、それを言ったところで事実は変わらない。


 そうして諸葛亮が一瞬悩んでいる間に、劉備は天幕の入り口に向かい歩き出していた。関羽はその腕を慌てて掴み引き止める。


 「どちらに行かれるつもりですか、姉上」


 「決まってるでしょ。袁紹さんの所に行って、こんな無意味な戦いを止めてもらうの」


 劉備は関羽の手を振り解こうと激しく腕を振る。


 「そんな事は無理です!」


 「無理じゃないよ! 袁紹さんだけじゃなく、曹操さんや皆に本当の事を話せば……」


 無理矢理腕を引き、関羽の手から離れる。そのまま出て行こうとする劉備の背中に、一刀が声を掛けた。


 「無理だよ、劉備さん。他の諸侯は洛陽の実情を知ってる。その上で、この連合に参加してきているんだ。董卓が悪人かどうかなんて、もう関係無いんだよ」


 それを聞いた劉備はその場に崩れてしまう。


 「……どうして? どうしてなの!? ようやく黄巾の乱も終わって、皆で手を取り合って平和な世界を作っていけると思ったのに……。幸せに暮らしている人達を虐げてまで戦う必要なんてあるの? 何にも悪くない董卓さんを悪人に仕立て上げて戦争を起こすなんて、そんなの間違ってる!」


 何度も地面を叩きながら、劉備は感情を爆発させる。人々が平和で幸せに暮らせる世の中を作る、それを掲げて旗揚げした彼女は、こんな無意味な戦いを望んではいない。他の諸侯とは違い、純粋に洛陽の解放を目指していたからこそ、劉備には戦う理由が無くなってしまった。


 「……ああ、劉備さんの言う通りだ。他人を悪者に仕立て上げる様なやり方は、絶対におかしい」


 へたり込んで涙を流す劉備の正面に回り、膝を曲げた一刀は、両手で彼女の手を取った。顔を上げた劉備は、驚いた表情で一刀を見上げる。潤んだ瞳は、まるで救いを求めている様だ。一刀もそんな劉備の瞳を真っ直ぐに見つめた。


 「劉備さん、俺達を手伝ってくれないか?」

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