聖女のくだらない反乱
「ええい、付いてくるな」
「でも、私たち婚約者同士ですし。たまには一緒に……」
「そう見られるのが嫌なのだ!」
神聖な学舎であるオーム王立貴族学院の廊下で、まるで痴話喧嘩のような事がなされていた。
銀髪の整った髪、その下にもまたルビーのように赤い瞳が特徴的な整った顔、誰が見ても美青年と言わざる得ない青年は、その整った顔を苦々しく歪め、己の後ろを付いてくる乙女へ振り返ると、口より毒を吐く。
銀髪の青年の後ろを付いてきた乙女もまた青年に負けぬ美形であった。緩く巻かれた長い金髪は、乙女が持つ印象と合わさって、また深い海を思わせるその瞳もあって、深窓の令嬢然と言った雰囲気が醸し出されていた。
ここは剣と魔法の異世界、その中に数多ある国の一つ、二つの王家が、隣り合う二つの丘の上に居城を構え、二つの王家により統治されるオーム双王国、この銀髪の美青年と金髪の乙女は、双方の王家の王子王女であり、王女が口にした通り、婚約者同士である。
銀髪の王子の名はパリス・フリング・ストリクト。丘の一つを居城とするストリクト王家の次期王、つまり王太子であった。
金髪の乙女の名はエリス・クリュセイス・ミーロ。もう一方の丘に居城を持つミーロ王家の第三王女。
二人の婚約は、政略的なものではなく、双方の王家が互いに交流を深める為に、互いの城を生き来しているうちに、歳が同じだった二人が自然と気が合うようになり、それを二人の両親たちが見守り、そして折を見て、二人に婚約の打診をして今に至る。
しかしそれも二人が十二となる頃より前の事、それより更に歳を重ねていくにつれ、パリスの心はエリスから段々と離れていく事となった。
それでもエリスの愛は深く、今は離れている心もいつかは自分の下へ戻ってくると信じ、パリスの行いを咎める事はなかった。
パリスの行い。ここは剣と魔法の異世界であり、そしてそれ故に超常の魔物もまた跋扈する世界である。故にその討伐もまた、王侯貴族のノブレスオブリージュとされ推奨される行いであった。
王子として厳しく育てられたパリスは、それを遂行する人物として、一定の尊敬を得ていた。だがそれは、一定の範囲を出ないものだった。何故なら、彼がパーティーを組むのは、決まって同じ貴族学院に通う貴族令嬢たちであったからだ。誰も表立って口にしないが、パリスの行いを浮気と捉える者は少なくなかった。その実態が本当はどうなのかは分からず、実際パリスが引き連れる令嬢たちは、魔法があるこの異世界で、確かに魔物に対抗出来得る実力者たちだった事もある。
◯◯
「今すぐパリス王太子とは婚約破棄した方が良いわ」
エリスの友人である一人の令嬢が、茶会でエリスに忠告する。
「いきなりね。何故?」
「何故って? 本当は分かっているのでしょう? パリス王太子が浮気しているって」
「噂に過ぎないわ」
「私は聞いたのよ。パリス王太子がいつも連れ歩いているパーティーの令嬢の一人が、パリス王太子とはもうそう言う関係なんだって、自身の友人たちに言い触らしているのを」
「そう言う関係?」
「あのねえ!」
「大丈夫よ。それを許すのも婚約者の度量と言うものよ。将来的に国を背負うとなれば、浮気の一つや二つ可愛いものよ。それに最後には私の下に戻ってきてくれるって信じているから」
エリスがそこまで断言しては、友人もそれ以上踏み込めなかった。エリスの瞳を見れば、パリスが自分の下へ戻ってくる事を全く疑っていないのが分かったからだ。
エリスもまた周囲から浮いた存在だった。それは思い込みの激しさなのか、深い信仰心からくるものなのか、エリスは国でも指折りの聖魔法の使い手であり、エリスもまた王族としてノブレスオブリージュを果たす為、各地を廻り、その聖魔法で傷付いた者たちを癒していき、それ故、エリスは民衆より特段厚い支持を受け、またその功績により教会から聖女として認定される事となった。
片方は王太子として努力し、魔物を駆逐すると言うノブレスオブリージュを果たしていても、令嬢連れと揶揄され、もう片方はその聖魔法で民衆を癒し、その功績で聖女として祭り上げられる。パリスとエリス、二人の想いのすれ違いは、もう決して重ならないところまで来ていた。
◯◯
「エリス・クリュセイス・ミーロ! 私は貴様に対して、この場で婚約破棄を宣言する!」
それはオーム王立貴族学院の卒業パーティーでの一幕であった。王太子であるパリスが、貴族の子息令嬢の衆目の中、婚約者であり、オーム双王国もう一つの王族の王女であるエリスに対して、婚約破棄を申し渡したのだ。
騒然となる会場の中でも、エリスは自分を指差すパリスを見詰めながら、堂々として逃げる事はなかった。そして、ゆっくりと口を開く。
「いきなりですね、パリス様。ここに集うは栄光あるオーム王立貴族学院の卒業生たちです。パーティーでのおふざけでは済まされませんよ?」
その声は、ざわめく会場内でも良く通るものだった。
「確かに。貴様からしたらいきなりに聞こえるかも知れない! が、私は真の愛に目覚めたのだ!」
エリスの通る声に臆する事もなく、パリスは一人の令嬢を自分の隣りに呼んだ。それはエリスも良く知る、パリスのパーティーにいる一人の令嬢だった。桃色の髪は自然とふんわりウェーブが掛かり、幾分深みのある同色の瞳も、髪の奥でピンクサファイアのように輝いていた。そしてエリスとの一番の違いは、細くスラリとしたエリスと違い、こちらは肉付きの良い、付くべきところにたっぷりお肉の付いた体型である事だった。
「幾ら同じように活躍しても、民衆は貴様ばかりを持て囃し、誰も私の活躍を評価しようともしない。そればかりか女連れだの浮気だのと私の功績を汚すばかり。だが、唯一彼女だけが、そんなデマが飛び交う中で私を擁護し、私に寄り添ってくれた。その事にどれだけ私が救われた事か」
迫真のパリスであったが、周囲からはまるで道化にしか見えず、笑いを堪えるので精一杯であった。なにせ、学院でパリスとの関係を匂わす事を吹聴していたのは、何を隠そうパリスの隣りにいるその令嬢だったからだ。
「パリス様。本当に私との婚約を解消なされるおつもりですか?」
貴族学院を卒業すれば、すぐに結婚する手筈となっていたエリスとパリスである。その為の準備もここに至るまで積み重ねてきた。パリスの行いは、それを全て不意にするものであり、これに関わってきた者たちにとって、それは到底容認出来るものではなかった。
しかし根が心底純真なエリスは、真剣に訴えてくるパリスを見詰めながら、パリスがそのように決めたのなら、私は身を引こう。と愛した青年が決めた事ならそれに従おうと決心するのだった。ただ、その前に一つ聞いておきたい事があった。
「分かりました」
納得したらしいエリスに、眼前の二人はニヤリと口角を上げる。
「ただ、一つお聞きしたい事が」
「何だ?」
まだ何か文句があるのか? と鬱陶しげにエリスを見るパリス。
「パリス様は先程、真の愛に目覚めた。と仰られましたが、パリス様が彼女を選んだ理由をお聞かせ頂いても宜しいでしょうか?」
「…………」
エリスの質問に、パリスは言葉が詰まる。寄り添ってくれたと言うのだから、優しさや慈愛などの答えがすぐに出てくるかと思えば、声に出す事なく慎重なパリス。
「どうかされましたか? 真の愛に目覚められたのでしょう? 今後の人生の参考の為に、一体何を理由に選ばれたか、お聞きしたいのですが。それも叶いませんか?」
「………いだ」
「? 済みません、良く聞こえませんでした。もっと大きな声でお願いします」
「おっぱいだ!!!!」
「………………………………は?」
予想外のパリスの言葉に、エリスはパリスの隣りに立つ令嬢に目を向ける。そしてその胸のボリュームと己の真っ平らな平野を見比べ、そしてパリスが連れ歩いていたパーティーのメンバーも思い出す。皆エリスよりも胸が大きかった。思い返せば、パリスの心がエリスから離れ始めたのはエリスとパリスが十二歳になった頃の事。それこそ、男女で、そして女性同士でも体型に変化が表れ、性的趣向が醸成され始める年頃の事だった。そしてパリスのパーティーにはいつも胸の大きな令嬢が存在していた。パリスはそう言う性的趣向だったのだ。
「……胸?」
「そうだ! おっぱいだ! 私はおっぱいの大きな女性が大好きなんだ! それの何が悪い!!」
性的趣向は人それぞれなので、それを咎める事は間違いだが、しかしそんな理由で、
「そんな理由で婚約破棄されて、納得出来るかーー!!!!」
エリスからしたら、覆しようのない理由であり、これ以上ないくだらない理由で婚約破棄された事が、それまで自身でも見ない振りをして心の奥底に封じ込めてきた激情に点火するには十分であり、そしてそれは本来なら聖魔法として癒すはずの魔力が、反転して周囲を破壊する魔力の奔流として爆発する事となるのだった。
◯◯
このエリスの魔力爆発に端を発する双王家両派閥による内乱は、後に『双丘の擾乱』と歴史書には記される事となるが、民衆の間では、また別の名で有名となる。曰く、『おっぱいの乱』と。エリスの怒りは凄まじかったらしく、王家の居城があった二つの丘は現在では真っ平らな平野となっており、エリス平野と呼ばれている。




