乙女ゲーム風異世界に転生した中年雑魚おっさん
その逆ハーレム型恋愛ゲームは結局のところ蠱毒に似ていた。
攻略キャラはヒロインに選ばれることで【真実の愛】を得るが、選ばれない場合は彼ら周辺を含めて悲惨な末路を辿るだけだったからだ。
中年弱小貴族アルフォンセ・ナズ・デパローに別の世界で生きていた記憶が復活したのは、愛娘ヴィクトリカとベルティーカの双子が魔法学園に入学する前日のことであった。
非常に不幸な事故がその原因であった。
些細なこと――『明日の入学式の準備は済ませたのか?』としつこく問い詰めたことが発端で――娘達と口論になったアルフォンセが、口の悪い娘達に『あっちに行ってよ!』『マジでウザい!臭いおじさん!』などなどと言われ、思わずカッとなって『父親に向かってその言葉は何だ!』と怒鳴った。
娘達は反撃として、白いウサギの縫いぐるみとピンクのウサギの縫いぐるみを同時に投げつけた。
しかし、怒りのため制御を失っていたその縫いぐるみ達は、アルフォンセでは無くて彼の隣にあった本棚の最上段に命中。
そこに鎮座していた最近人気の美形役者の大きな写真立て×2がアルフォンセの頭の上に降ってきたのである。
――声も無く気絶した父親の姿に娘達は大きな悲鳴を上げた。
アルフォンセが目を覚ました時――彼は泣きじゃくる娘達に顔面蒼白の妻イベッタ、沈痛な顔をして『大変に残念ですが……』と彼女達に告げている、アルフォンセの親友の医師レフェスに取り囲まれていた。
「……ん……?」
彼が目を覚ました時、真っ先に気付いたのは娘達で悲鳴のような声を上げて彼に取りすがった。
「「パパ!」」
「……」
口々に謝罪しながら号泣する娘達を、ぼんやりと見つめているアルフォンセ。
レフェスは駆け寄って診察を行った。
「息が止まっていたのに……ああ、奇跡だわ……!女神よ、感謝申し上げます!」
安堵のあまりに座り込むイベッタを助け起こして、レフェスは『今診察した結果は特に問題ないが、何せ頭を打っている。一週間は絶対安静で、何かの異変が起きたら直ちに知らせて下さい』と告げて、軽い足取りで帰って行った。
その間もアルフォンセは視線を宙にさ迷わせて、ぼんやりとした顔で妻子を見つめていた。
「貴方、私達の名前が分かる?半日も目が覚めなかった上に、一度は呼吸が止まったのよ……!?」
ああ、うん、とベッドの上で曖昧に返事するアルフォンセ。
彼は、涙で濡れた妻の顔をじっと見つめて言った。
「イベッタ、ヴィクトリカ、ベルティーカ……」
ああ、と思わず胸をなで下ろす妻に、アルフォンセはたどたどしく訊ねた。
「今日は……何年の……何日……だい?」
「良いの、良いの!今日がヴィクトリカとベルティーカの入学式だったわ。でも、どうか気にしないで……貴方が生きていてくれて本当に良かった……!」
まだ頭を打った衝撃で、記憶が、意識が混濁しているのだろう。
アルフォンセはそのまま意識を失うように眠ってしまった。
**********
翌朝、娘達はそれぞれ父親の中年太りの胴体をぎゅーっとハグしてから、魔法学園へと初登校していった。
アルフォンセはすっかり元気になっていたが、妻に喧しく言われるがまま大人しくベッドの上で横になっていた。
けれど退屈なのだろう、執事に『ありとあらゆる本を持ってきて欲しい』『今までの日記も読みたい』と頼んで、執事の方も主人の復活を心から喜び、召使い達と手分けしてすぐさま本を運んでくれたのだった。
「……やはり。【聖女様、真実の愛でこの世界を救って!】――いや、【シンスク!】の世界もしくはその世界に類似する点が多々ある世界なのか……」
彼は己の書いた日記を読み返していたが、そう呟く。
このユーオリウス王国のしがない外交官であったはずの彼が――さながら前世の情報のような、または異世界の記憶のようなものを取り戻していたのだ。
その前世の記憶によると、アルフォンセは稲生アキトという学生であった。
けれども在学中に大病が発覚して、闘病の甲斐無く若い命は散った。
幸いにも、ユーオリウス王国の信奉する女神が世界を越えて命ある者の魂の輪廻転生を司る存在だったので、アルフォンセの感性や人格を養った宗教観と激突するようなこともなく、比較的すんなりと彼はその情報を受け入れることは出来た。
「だが……」
彼は日記の頁をめくる手を、止めた。
その頁にはこう書かれていた。
『とうとう明日が娘達の入学式だ。王太子殿下や新たな聖女候補様と同学年に入学できるなんて何と言う僥倖だろうか。あの子達の未来に大いなる栄光と女神の加護がありますように……』
「最悪だ!」
彼は日記を閉じて、頭を抱えた。
「この世界が【シンスク!】か、その世界に類似しているのなら――時代も間違い無いのであれば、あの子達は――!」
――そう。
『悪役令嬢』ならまだマシだった。
稲生アキトの知識によれば、【シンスク!】は発売直後に見事なまでに大炎上した。
『シナリオと設定が終わっている』
『あまりにも馬鹿げている』
『乙女ゲームだからって乙女舐めすぎ』
その酷評には、稲生アキトも全くの大賛同であった。
「これ……浮気とか一妻多夫制とかじゃなくて……蠱毒じゃね?」
病院のベッドの中、眠れぬ夜にそう呟いたことも思い出している。
珍しい光属性の魔法に目覚めた【シンスク!】の平民ヒロインのビビアンが、王侯貴族達の子弟子女が通う魔法学園に聖女候補生として入学するところからゲームは始まる。
ヒロイン・ビビアンはそこで光魔法の力を磨き、聖女として覚醒して、最後にはユーオリウス王国を脅かす魔王を倒してハッピーエンドを迎えるという筋書きだ。
しかし――。
一、ビビアンが魔法学園で出会う攻略対象のイケメン達は全員が婚約者か恋人持ちか既婚者。
一人も独身がいない。
二、ビビアンの言動行動がいちいち被害者ぶっていてムカつく。
先に泥棒猫をしたのは貴様だろうが。
三、ビビアンを中心とする人間模様が泥沼を通り越して、血の池地獄。
特にバッドエンドでは攻略対象がビビアンの【真実の相手】の座を巡って殺し合い、最終的にユーオリウス王国どころか世界が滅びる。
四、ハッピーエンドを迎えるにはビビアンが全攻略対象と【真実の愛】を育まねばならない。
魔王の復活には全攻略対象が棄てた婚約者・恋人・奥方達が結託して魔王復活の儀式を行い、その折に自らの命を捨てる必要があるからだ。
【聖女様、真実の愛でこの世界を救って!】こと【シンスク!】なのに、これじゃお前の【自称・真実の愛】で世界を滅ぼしかける【シンホロ!】だろうが……。
大炎上したゲームだからと看護師達から事前に噂を聞いて、野次馬根性丸出しで遊んだ稲生アキトでさえ、あまりのシナリオの酷さには絶句した記憶がある。
そして異世界転生もののこれまた定番、あるいは必然と言うべきか。
魔王の復活の儀式を企てて死んだ犠牲者兼復讐者の中には、ヴィクトリカ・ナズ・デパロー及びベルティーカ・ナズ・デパローの両名の名前もあるのだ。
「……あの子達だけは……!」
彼には稲生アキトの記憶もあるが、しかし、それ以上にこの世界で家族となった妻や娘達との大事な思い出があった。
結婚した日のこと、大喧嘩した日のこと、仕事が辛くて泣いた日に慰めてくれたこと、娘が生まれた日のこと、泣き止まなくて眠れなかった日、初めて歩いた日、パパと呼んでくれた日、結婚して十年目の記念日に恥ずかしそうに笑った妻の顔、それをからかう娘達のとびきりの笑顔……。
アルフォンセ・ナズ・デパローはしがない中年弱小貴族である。
けれども、彼には心から愛する妻子がいた。
彼の親友のレフェスがその日の夕方、また診察にやって来てくれた。
「やあアルフォンセ、異常は無いか?何でも、些細な異変でもあったら教えてくれ。君は一度は死んだんだ、二度も死なせる訳には行かないからね」
レフェス一家は、デパロー一家とは長年の家族ぐるみの付き合いだった。
アルフォンセとは魔法学園の入学時からの付き合いである。
親友が来てくれたことに微笑んで、アルフォンセは言った。
「ああレフェス、ありがとう。人生何が起こるか分からないと思い知ったけれど、君が友達でいてくれて心強いよ。
そういや君は魔法学園の校医も務めていたっけな。ウチの娘達はあの通りお転婆だから、きっと君にも迷惑をかけるだろうけれど、どうかよろしく頼むよ」
「……」
一瞬だけ、不自然な沈黙をレフェスが見せたのをアルフォンセは看過しなかった。
やはり。
やはり、『そうだった』か。
「どうしたんだい、レフェス?まさかもう問題でも――?」
はっと我に返ったレフェスは、アルフォンセの問いに曖昧な笑みを浮かべて誤魔化そうとした。
「ああ、いや、何でも無いんだ。そうなんだよ、元気な子が多くて、全く僕達も大変だよ!」
その笑みが嘘をついている時の笑みだとよく知っていたので、アルフォンセはレフェスに小声で耳打ちした。
「レフェス、ここには君と私しかいない。……実は、私もかの聖女候補生のあまり良い噂を聞いていないんだ……」
しかし、硬い表情でレフェスは首を横に振る。
「……駄目だ、アルフォンセ。僕はこれでも校医だ。職務の中には守秘義務もあるんだ!」
仕方ない。
彼は覚悟を決めた。
「レフェス、じゃあ明日君に起こることを予言しよう。聖女候補生ビビアンは二人きりの保健室で甘い声でこう囁くだろう。
『先生、【真実の愛】を私にも教えてくれませんか?』ってな」
実際にそのセリフを口にしてから、今更ながら彼は――『このテキストを書いた炎上シナリオライターのご尊顔を一度見てみたい』と思ったのだった。
「冗談でも止めろアルフォンセ!」
引きつった顔でレフェスは言って、それから顔をあらためた。
「……アルフォンセ、君はまだ絶対安静なんだ。手ひどく頭も打っている、だから――」
レフェスは本当に真面目で誠実な人間だ。
だから、今はアルフォンセも一旦は引き下がった。
念のために、こう告げて。
「聖女候補生がさっきのセリフを君に囁いたら、また来てくれ。――私はあの子達の父親で、君の一番の友だと自負しているから」
**********
次の日もベッドから動こうとすると妻が怒って泣くので、アルフォンセは大人しくベッドの中にいた。
彼は手紙を書いたり読書したりして日中を過ごしていたが――夕方に魔法学園から帰ってきた双子が、おずおずとアルフォンセの寝ている部屋をまた覗きに来た。
「パパ……」
「大丈夫?」
双子の様子がおかしいことに、彼は気付いた。
「ああ、もう大丈夫だよ。ママが心配性だから一週間は寝ているつもりけれど、実は退屈で堪らなくてね。なあ、学校のお話をしてくれないか。このままじゃパパは退屈でまた死んでしまう!」
双子は安堵した様子で部屋に入り、彼の横たわるベッドの隣に椅子二つを持ってきて腰掛けた。
「あのね……」
「そのね……パパ」
二人はしばらく俯いていたが――。
「……同じクラスに変わり者の子がいるの。ね、ベルティーカ?」
ようやくに言い出したのは姉のヴィクトリカである。
「うん……凄く変わっているんだよね……」
ベルティーカも頷いて、双子はぎゅっと手を繋いだ。
二人が酷く不安な時にそうすると知っている父親は、あえてズレた反応を示す。
「へえ。ああ見えてレフェスおじさんも変わっていたんだぞ。昔から本の虫で、学園の図書館に引きこもっていたんだ」
双子が顔を見合わせて、少しだけ笑った後。
「うーん……パパ、そうじゃないの!」
「何だろう、きっと性格が意地悪なの……かな?」
「うん、あれは性格が悪いよ」
「そうだよね、とっても悪いよ!」
少しずつ元気になってきた。
「おいおい、性格が悪い子がいるのか……困るよなあ。それで、何人いるんだ?」
オヤジらしい下手なユーモアを彼は飛ばす。
「今のところ学園に一人だけだけど、一人だけで充分すぎるくらい!」
「聖女候補生なんだけれど、あれが未来の聖女じゃみんな大変だよ!」
よしよし、いつものように口が悪くなってきたな。
彼は少しだけ安心する。
「おや、まあ……そうなのか。でも聖女候補生って珍しい光属性の魔法が扱えるんだろう?ピカーって光らないのか?」
何とも間抜けた態度で彼は相づちを打った。
彼の前で娘達が彼女達らしくなく萎縮しているのは、一番嫌だったから。
「そんな訳無いじゃん、パパ!」
「ちょっと、しっかり聞いてよ!」
彼の狙った通りに、娘達は彼に対して当たりがきつくなる。
それで良いのだ、と彼は思っている。
「済まない済まない。それでどうなんだっけ……?」
双子は頬を膨らませた。
「イケメンばかりに媚を売るの。男子生徒にも先生達にも。ビビアンって言う名前なんだけれど……」
「王太子殿下には婚約者として公爵令嬢のクリスティーヌ様がいらっしゃるのに、凄くベタベタするの!」
「クリスティーヌ様が何度か優しく注意なさったのに、『ひどーいひどーい!』って泣き真似ばっかり!」
「あれ絶対わざとだよね。人として最低だよね!」
「気持ち悪いよね!」
「うん!」
よりにもよって、ヒロインならぬヒドインが来やがったか。
彼は丸一時間近く娘達の愚痴を訊いた後、少し考えて言った。
「それは変な子だなあ……。変な子とはあんまり関わらない方が良いぞ?」
娘達がしっかりと頷いたのに、ほんわかとした微笑みを向けて、
「パパはとにかく退屈で仕方ないんだ。何でも良いから、また明日も学園の話を聞かせてくれないか?」
双子は二つ返事で受けて、無邪気に笑った。
「良いよ、パパ!」
「パパに話せること、学園から沢山持ってくるね!」
――その夜。
顔色の悪いレフェスがレフェス夫人と一緒にアルフォンセに会いに来た。
「アルフォンセ、知恵を貸してくれ!」
そう言うなりレフェスは戦慄いた。
「あの子は今すぐに然るべき医療機関に受診させねばならない!」
やはり。
彼はあのセリフを言われたのだ。
もっとも、真面目なレフェスが生徒との淫行行為に拒絶反応を示さない訳が無い。
この通り、レフェスは誘惑は丁寧に断ったのだ。
けれど、ただ断ってそれで終わったのだとしたら――レフェスの夫人を連れてまで彼にこんな夜中にいきなり会いに来るのは、少し奇妙である。
「ねえ貴方、どうされたの?幾ら何でもこんな夜中にアルフォンセさんの見舞いなんて失礼じゃ――」
レフェス夫人が困った顔をしていると、レフェスは青い顔をして夫人に取りすがる。
「信じてくれ、私は決して汚らわしいことはしていないんだ!」
困惑する夫人に、アルフォンセは言った。
「夫人。私もさっき娘達から聞いたのですがね……ある女子生徒が顔の良い男子生徒や教師達を見境なく誘惑すると問題になっているらしいのですよ」
夫人は手で口を覆って短く叫んだ。
「なっ!?」
「詳しくはまだ調査中らしくて、私にも話せませんが……なあレフェス、聖女候補生に脅されたんだろう?」
頷いたレフェスは、今日の出来事を話す。
「昼休みにやってきたビビアン君は、私にあのセリフを囁いたんだ!
だが馬鹿げている!何処に自校の生徒に【真実の愛】を教える教師がいるんだ!
ああ、僕は断ったさ!保険医として当たり前だろう!?
だが、そうしたら僕に乱暴されたと彼女が大騒ぎし始めて……幸いにもクリスティーヌ君が奥のベッドの中で話を聞いていて下さって、庇ってくれたからどうにか助かったけれど……!」
……『ヒドイン』じゃねえ。
『あくどい』だ、と内心でアルフォンセは毒づいた。
夫人の顔はレフェスと同じくらいに真っ青になっていたが、彼女はじっと夫を見つめて頷いた。
「――貴方、一つも嘘をついていないわね、嘘をつく時の癖が出ていないもの。ええ、貴方を信じますわ。でも……」
夫人が助けを求めるようにアルフォンセの方に視線を向けたので、彼はレフェスの肩を優しく叩いた。
「今すぐにクリスティーヌ様の祖父上……いや、フォーベルバー公爵閣下にご相談した方が良い。学園長とも懇意の仲だったはずだ。
いいかレフェス、何があっても今夜中に相談しろ。明日には君は冤罪で逮捕されるかもしれない。
十五才で大人の男に【真実の愛】を強請り、あまつさえ乱暴されたと冤罪を着せようとする子供が重大な問題を抱えていない訳が無いんだから。
とにかく急げ!」
しかし、とレフェスは首を激しく左右に振る。
「アルフォンセ!どうやって公爵閣下へお目に掛れば良いんだ?そんな縁故なんて僕には――」
そこでアルフォンセは、昼間に届いた手紙を見せた。
『この手紙を門番に見せよ。通すように命じておく』
その手紙にはフォーベルバー公爵家の家紋が透かしで描かれていたので、レフェス夫妻は目を丸くした。
狸のような腹をボヨンと揺らして、アルフォンセはそれを親友レフェスに渡した。
「今日も暇だったから、閣下に手紙を書いてみたんだ。ちょっとだけ特殊な手段でね……」
**********
アルフォンセが妻によってベッドに幽閉されてから三日目の夕方。
学園から帰ってきた双子は、興奮していた。
「パパ聞いて!今日凄かったんだよ!?」
「修羅場に巻き込まれたの!」
修羅場!?
それまで退屈そうな顔をしていたアルフォンセは引きつった顔で、
「まさか、おまえ達が修羅場を作ったのか!」
双子はむくれた顔のままベッドの側に椅子を持ってきて、めいめい勝手に腰掛ける。
「違うに決まっているじゃない!」
「私達、逆に修羅場を止めたんだよ!」
「何があったのかパパにも分かるように説明してくれ。ご覧の通りずっとベッドの中にいたから……さっぱりなんだ」
双子は喜んで話し出した。
「あのね、聖女候補生のビビアンさんがね……男子トイレで捕まったの!」
とんでもないな。
アルフォンセは内心で呆れたが、わざととんちかんな言動を取る。
「男子トイレで捕まった……?ビビアンさんって男の子なのか?それとも何かの事情があって――」
双子がすかさず突っ込んだ。
「違うの!完璧に女の子女の子女の子。でも性格悪いんだよね!ねー?」
「うん、もの凄く悪い。おまけにイケメンの前で猫被っているから嫌い!」
「それが、どうして男子トイレに?」
「男子トイレの個室で、一人でいやらしいことをしていたみたい」
――アルフォンセは目が眼孔から丸ごと飛び出すかと思った。
「私達が女子トイレに行ったら、男子トイレから凄い悲鳴が聞こえたの!」
双子がビックリして先に外に出たところ――男子トイレの出入り口で気絶している宮廷音楽家の令息と、彼の服を剥ぎ取ろうとしている聖女候補生ビビアンがいたのだと言う。
「驚いたよね、ねー!?」
「うん、あれはヤバかったよねー」
勿論、教師が駆けつけたが、運悪くその時来たのは新入りの女教師で、こんな事態は初めてだったらしく慌てていたので、暴れる聖女候補生ビビアンを取り押さえるのを二人は手伝ったのだ、と。
その間に、宮廷音楽家の令息は意識を取り戻したものの、担架で保健室に運ばれていった。
「そりゃ酷いなあ……ビビアンちゃんだっけ?何か他にもやらかしていそうだなあ」
さりげなくアルフォンセが続きを促すと、娘達は嫌そうな顔をした。
「あの子……明らかにおかしいよ」
「うん、『どうしてヒロインのアタシを無視するの』『アタシ可愛いでしょ』『みんなアタシにメロメロになるはずなのに』とか、変なことばっかり言ってたもん」
「入学式の日、王太子殿下にね、無理矢理に近付こうとしたんだって!」
「そうそう、クリスティーヌ様達も、『あんな平民は初めて見た』って凄く嘆いていたね!」
「クリスティーヌ様とお近づきになれたから、私達は別に良いんだけれど……」
「全部の結果としては、良くないよね!」
「でもね、他の平民の特待生達はまともなんだよ?」
「特待生だけあって、魔法の技術もあるし、頭も凄く良いしね!」
だろうな、と彼は内心で独りごちる。
「そうなのか……。ヴィクトリカもベルティーカもよく先生を手伝って、頑張ったな。でもパパは二人に危ないことをして欲しくないから、出来るだけ今度からは他の先生を呼ぶようにして欲しいんだ。
パパからのお願いだよ?」
双子は頭を撫でられて、ニコッと揃って笑った。
「はーい!」
「煩いのは嫌だけど、特別にパパのお願いを聞いてあげるからね!」
三日目の夜、フォーベルバー公爵家から手紙が届いた。
そこには、
『孫のクリスティーヌと仲良くなった双子を近頃有名になった役者が出る演劇に招待したい。急なことで申し訳ないが、大層に人気のある演劇のため明日の夕方から夜にかけてしか特等席のチケットが取れなかった。ついては妻君も保護者として付き添って欲しい』
そうやって、形式張った文章が書かれてあったのだった。
応援している美形の役者の演劇を特等席で見られると知って、双子は大喜びだった。
「パパにお土産買ってくるからね!」
「どんな演劇だったか、いっぱいお話しするからね!」
妻のイベッタは自分の留守中に夫のアルフォンセに何かあったらと酷く心配して、何度も招待を断ろうとしたのだが、
「馬鹿を言うんじゃあない。折角の公爵家からのご招待なんだ。断って睨まれたら、私が降格されてしまう。それにたまには綺麗に化粧して観劇に行っておいで。出来ればお土産に甘いチョコケーキを買ってきてくれると助かる」
アルフォンセがそうやって説得したら、渋々と頷いたのだった。
アルフォンセがベッドに閉じ込められてから四日目の夕方。
正に双子とイベッタが出かけたのと入れ違いで、ユーオリウス王国有数の大貴族であるフォーベルバー公爵から迎えの馬車がやって来たのだった。
馬車が向かった先は豪勢なフォーベルバー公爵邸であった。
重厚な会議室に通されたアルフォンセは、いよいよ腰が抜けそうになる。
このユーオリウス王国の国王夫妻から始まって、彼にとっては雲上人も良い所の重鎮が、そろい踏みしていたからだ。
中でも孫がいるとは信じられないくらいの若々しい見た目のフォーベルバー公爵が、口火を切った。
「礼儀も世辞も要らぬ。まずは貴君の知っている全てを我らに知らせて貰おう」
「つい先日、私が家庭内の些細な諍いで一度死んだと言うのは、皆様方もご存じの通りです」
既にレフェスから知らされていたのだろう、何人かが頷いた。
「その時、私は不思議な青年の記憶を得ました。彼の記憶の情報から、私はこの世界に間もなく起きる地獄を知ったのです」
ざわめきを右手を挙げてフォーベルバー公爵は止めた。
「諸君も信じられぬだろうが、この者は決して知られていないはずの私の個人情報を言い当てたのだ」
公爵は奥方に膝枕で耳掃除をして貰うのが大好きなのである。
ただし、その嗜癖(?)をヒロインにつけ込まれて、陥落する……。
それを手紙にしたためる時、アルフォンセの手は恐怖で震えた。
何せ、相手は凄まじい権力を持つフォーベルバー公爵である。
けれども娘達の顔を、妻の声を思い出して、勇気を振り絞って書いたのだ。
「では、私の個人情報を言い当てて下さい。的中したら信じましょう」
言い出したのはフォーベルバー公爵とは敵対するギブオーンズ公爵だった。
「それでは失礼しますが……王都北第五区画ディセビー住宅街十九番地……」
に、貴方が囲っている愛人が密かに住んでいるんですよね?とアルフォンセは言おうとしたが、
「結構!信じた!」
直前にギブオーンズ公爵が青い顔でアルフォンセを止めたので、一度頷いて見せてから、彼は再び言葉を続けた。
この世界を守るために、彼が出来るたった一つの――けれども、最大限のことを。
……彼の妻子が夜更けに観劇から帰ってきた時、アルフォンセはベッドの中で既に眠っていた。
「パパ、待ちくたびれちゃったんだね……」
「明日はちょっと早く起きて、パパにお土産を渡そうね!」
娘達は興奮冷めやらぬ顔をしていた。
とても楽しい時間だったのだ。
「二人とも、静かに。パパが起きちゃうわ……」
イベッタ夫人はお喋りな娘達をそっとたしなめると、忍び足でベッドに近付いて、アルフォンセの毛布をかけ直したのだった。
**********
アルフォンセがベッドの上で欠伸とうたた寝ばかりすること、五日目の夕方。
「パパ!大変!」
「聞いて!聞いて!」
双子が部屋に駆け込んでくるなり、慌ててベッドの側に椅子を持ってきた。
「どうしたんだ、二人とも。学園で何があったんだ?」
アルフォンセが目をこすりながら起き上がると、彼女達は堰を切ったように話し出した。
「聖女候補生のね、ビビアンさん!」
「パパにも話したよね?!」
ああ、とアルフォンセは手を打って、
「分かった、また男子トイレに入ったんだな!」
わざと見当違いなことを言った。
娘達は揃って呆れた顔をする。
「違うの」
「パパったら……」
じゃあ何なんだ?とアルフォンセが首をかしげて見せると、双子は気まずそうに言い出した。
「何でもご家庭にね、大きな問題?ご事情?があったらしくて……」
「それでね、先生が仰るには、ビビアンさんは『心の病気』だったんだって……」
「体も病気にかかるなら、心も病気にかかるよねー……」
「それで、急きょ遠くの病院に入院ってことになったんだって……」
そうか。
アルフォンセは内心で一人だけ納得する。
『そう言うこと』になったのか。
彼の心など知らない双子は、意気消沈している。
「私達、病気の人を悪く言っちゃったよね……」
「うん……結構悪く言っちゃったよね……」
娘達は、優しい子なのだ。
口は誰に似たのか悪いけれど、心は間違いなく妻イベッタに似て優しく育っている。
「知らなかったことは仕方ないさ。誰だって、パパだって『仕方ない』理由で悪いことをしてしまう時がある。でもな、もし今度ビビアンちゃんに会ったらちゃんと謝ろう。怖かったら、パパも一緒に謝るから。
きっと、それで充分だよ」
騙してしまって悪いが、その『今度』は未来永劫に存在しない。
けれど、彼女達のためにアルフォンセは嘘をついた。
人には正々堂々と嘘をつける時がある。
大事な人間を傷つけないため、あるいは己が泥を被って守ろうとする時――人は嘘をつくことを恐れないのだ。
「パパ……」
「パパ、大好きだよ」
そう言って中年太りの狸そっくりの腹を娘達がぎゅーっと抱きしめてきたから、彼も優しく抱きしめ返したのだった。
**********
ベッドの上から動けないこと六日目になると、『流石に死ぬ!』とアルフォンセは思った。
人間は仕事が大嫌いだけれども、いざ仕事をしないで六日も過ごすと退屈に殺されそうになるのだ。
そうだ。
稲生アキトが入院していた時もそうだった……。
あまりの退屈ぶりに耐えられず、歴史的なまでに炎上している乙女ゲームに手を出したくらい、とにかく暇で、暇で……。
その日の夜にはレフェスがやって来た。
しっかりと異常が無いかを診察した後で、彼はアルフォンセに話し掛けた。
「ありがとう。……なあアルフォンセ、君が頑張ってくれたんだろう?」
だからアルフォンセはこう返す。
「ああ、誰より頑張った。もう六日も頑張ってベッドの上で大人しくしているんだぞ。一等勲章を貰っても良いくらいだ。
だから、もう許してくれないか……?」
レフェスはしばらく目を見開いて黙っていたが――ややあって穏やかに笑みを浮かべる。
「……ああ、そうだな。良し、明日にはもう動いて良いだろう。
遅れてしまったけれど、家族で入学記念の魔法写真を撮ったらどうだい?」
アルフォンセは思わず両手の拳を突き上げた。
「勿論だ、絶対にそうするとも!娘達の成長を記録に残すのは親の役目だからな!
――イベッタ、おーい、イベッター!」
『何ですか、貴方ー!?』と妻イベッタが返事の後に、こちらへ小走りにやってくる軽やかな足音がする。
**********
「……皆様、蠱毒という言葉をご存じでしょうか。箱の中にありとあらゆる毒虫を放り込み、互いに喰らい合わせ、唯一生存した最後の一匹を使って憎い相手を呪う方法の一つです。
呪いなんて馬鹿げていると、かの青年も考えておりました。それは私もです。時代後れで悍ましい行いで考えだと、今でも思っております。
けれど、『ヒロイン』というものはその箱の中でも最後まで生き残るか、最後まで何かに影響を与える運命を持つ、『最強の呪い』なのでしょう……」
幸いにも、その箱を壊してしまえば蠱毒は成立しない。
だから彼らは全力で箱を壊していく。
既に最大の有害性のある『ヒロイン』は除去した。
――アルフォンセが知らされた結論を言えば、それだけだった。
アルフォンセ・ナズ・デパローはしがない中年弱小貴族である。
けれども、彼には心から愛する妻子がいる。
彼は乙女ゲーム【シンスク!】を元にした異世界に転生してきたけれど、これと言って大活躍することもなく、今日も平々凡々に暮らしている。
一週間以上も遅れたけれども、彼ら一家は今日こそ家族みんなで記念写真を撮るのだ。




