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英雄のいない牢獄で

牢獄は、今日も静かだった。


湿った石壁に背を預け、葛城稔は膝を抱えて座っている。

石の冷気が衣服を貫き、腰骨にじわじわと染み込んでくる。

動かずにいれば関節が固まり、無理に動けば悲鳴を上げる。

三十八年生きた身体は、正直すぎるほど正直だった。


松明の火が揺れるたび、鉄格子の影が床に歪んで伸びる。

影は規則正しく伸び、そして止まる。

いつも、彼に触れない位置で。


「いつまでこんなところに……」


独り言は低く、虚しく反響するだけだった。


異世界に来てから、稔はすぐに理解した。

自分はここで活躍できる存在ではない。


剣を握ったことはない。

魔力という言葉も、理屈としてしか知らない。

体内を流れる感覚も、扱い方も、そもそも必要性すら分からない。


この世界で語られる英雄の条件を、

彼は一つとして満たしていなかった。


だが――洞窟で得た力、《ミミック》だけは、確かに存在している。


これは、力ではなく呪いだ。

そう思わずにはいられなかった。


魔力が溢れることも、技が閃くこともない。

ただ、身体能力が異常なほど引き上げられる。

限界を無視し、壊れることを前提にした動き。


(……俺の力じゃない)


身体を動かしているのは、自分ではない。

その感覚が、何より恐ろしかった。


そして必ず、後から代償が来る。

筋肉は裂け、関節が軋み、呼吸すら困難になる。

身体は、使い捨ての道具のように壊れていく。


それでも――

致命的な一撃だけは、なぜか避けられてしまう。


刃が紙一重で逸れる。

天井の瓦礫が、都合よく敵の頭上に落ちる。

足場が崩れ、相手だけが転倒する。


すべてが「たまたま」。

誰が見ても、運が良かっただけにしか見えない。


(使える力じゃない)


稔はそう断じていた。

これは武器ではない。

最後の最後に、死ぬ順番を後回しにするだけの保険だ。


(俺は、生き残っただけだ)


英雄でも、救世主でもない。

ただ、死に損なった男。


目を閉じると、牢獄の外から王都の日常が聞こえてくる。

鐘の音、人々の話し声、馬車の軋む音。


その平穏が、すでに誰かの意図によって

静かに、だが確実に切り崩されつつあることを、

彼はまだ知らない。



世界の果て。


瘴気に覆われた大地の中心に、巨大な魔王城がそびえ立っていた。

黒曜石で築かれた城壁は光を拒み、近づくものの影すら歪める。


玉座に座す魔王ベリアル

天を裂くように湾曲した漆黒の角。

鎧とも肉体ともつかぬ異質な身体。

眼窩に灯る紅い光は、激情ではない。

世界を所有物として見る者の、支配の色だった。


「……時は満ちたか」


声は低く、空間そのものを押し潰すように響く。


隣に立つのは、魔王の娘リリス。

白磁のような肌、整いすぎた顔立ち。

細い指先は血の気を感じさせず、

その瞳は生と死を同列に観察する冷えた理性を宿していた。


指を鳴らすと、虚空に映像が浮かび上がる。


黒衣の男。

痩せた体躯、死人のような血色。

足元では影が蠢き、死霊の気配が絶えず漏れ出している。


黒崎。

転生者にして、災厄。


「彼は、十分に育ちました」


「死を従える力……」


ベリアルは愉しげに口角を上げる。


「人の世界では、恐怖そのものとなろう」


黒崎は膝をついたまま、映像を見つめていた。


(……また、壊すのか)


その思考に、迷いはない。

躊躇も、嫌悪も、すでに通り過ぎた。


彼は理解している。

自分が踏み越えた線を。


最初は生きるためだった。

次は力を試すため。

そして今は――壊すことそのものが、確かな手応えになっている。


「王女を攫え」


命令が下る。


黒崎の脳裏に、恐怖に歪む人々の顔が浮かぶ。

泣き、縋り、命乞いをする声。


(……悪くない)


その感想に、罪悪感はなかった。

彼はもう、人の側には戻れない。


「……御意」


応じる声は、冷たく静かだった。



アステリア聖王国内王都、王城。


白を基調とした執務室で、若き王女フィオナ・エル・アステリアは静かに報告を聞いていた。


絹のように滑らかな水色の長い髪。見るものを惹きつける紫の瞳。

華奢な体躯に纏うライトブルーのドレスは、

装飾を抑えながらも王族としての威厳を失わない。

その佇まいは、

“争いを知らぬ象徴”として、

この国が望んできた姿そのものだった。


「……地下牢の件ですが」


騎士姫アイリスが片膝をつき、報告を続ける。


「王都外縁で発見された異邦人です。

 どうやら、魔物に呪われているようです」


「抵抗の痕跡は?」


「ございません。

 現在、牢で大人しくしています」


フィオナは紅茶を一口含み、静かに息を吐いた。


「……異世界からの来訪者、ということですね」


「はい」


沈黙が落ちる。


「魔物の動きが、わずかに活発化しています。

 来訪者は、何かの予兆かもしれません」


アイリスの声に、わずかな緊張が混じる。


「侵攻の兆しと断定はできません。

 ですが――嫌な予感がします」


フィオナは視線を上げ、ゆっくりと頷いた。


「恐怖は、早く見せすぎると制御できません。

 ですが、備えなければならない段階に来ていますね」


「他国との連携はいかがですか?」


「帝国にも情報は伝えてますが……あまり良い返事ではないですわ」


「エルフやドワーフの国はどうですか?」


「約定と利益がなければ、門を開かない」


王女は静かに微笑んだ。

それは希望ではなく、覚悟の表情だった。


「英雄はいません」


それでも――国は守らねばならない。


アイリスは胸の奥で、静かに歯を噛み締めた。



再び、牢獄。


稔は夢を見ていた。


勝手に動く身体。

壊れていく肉体。

そして、都合の良すぎる偶然。


目を覚ましたとき、

彼はまだ知らない。


その偶然が、

災厄と交差する運命の始まりであることを。

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