良い感じの棒
ここは異世界シュヴァルツィア。魔王と勇者が壮絶な戦いを繰り広げ……ていたのももう二百年も昔の話。今や世界に平和は取り戻され、人々は魔王の恐怖に怯える事なく、安穏と暮らしている。
勇者を排出したヴァイス王国の王都には、一際大きな博物館がある。ここ由緒ある王立ヴァイス博物館には、国内外を問わず人々がある物を見る為に足を運ぶ。そして、それを見た者は、何とも言えない複雑な思いを抱いて帰っていくのだ。
今日も、王立魔法学校中等部の校外学習で、女性の先生の先導の下、少年少女たちがこのヴァイス博物館にやって来た。
実に二百年を超える歴史あるヴァイス博物館には、世界各国から絵画などの美術品、動物や魔物の剥製、持ち出し禁止の魔術書、各地の植生を再現した広い庭園など、様々な貴重な品が集められ、展示されているが、その中でも目玉となるのはやはり勇者関連の物だ。
先生の後に付いて少年少女たちがやって来たのは、円柱形にくり抜かれた部屋で、どうやら少年少女たちはその二階に来たらしく、下を覗くと、一階、その中央に台座があり、勇者ゆかりの品が飾られている。
「あれが、勇者フィフスが魔王ホリブーを倒した時に振るったと言われている、『良い感じの棒』です」
『…………』
少年少女たちの顔は微妙だ。それは当然だろう。上から窺っても、その棒はそこら辺の木の枝にしか見えないからだ。長さは肩幅より少し長く、先が二股に分かれ、短い方の枝先には、一つの葉っぱが付いている。どこからどう見ても、ちょっと林に入っただけで見付けられる木の枝だった。少年少女たち以外の見物客たちも、あれが勇者の武器だと展示されていても、わざわざここに来た意義を感じられず、皆、どこかがっかりした顔をしていた。
「先生、ただの木の枝にしか見えないのですが?」
「はい。あれは分類上はただの木の枝です」
学級委員長の少年が、堪らず先生に自身の意見を述べると、そのままの答えが返ってきて、少年だけでなく、他の少年少女たちも更に困惑顔となる。
「あの、それだと勇者は木の枝で魔王を倒した事になるのですが……」
これに一人の少女が異論を唱える。他の少年少女たちも気持ちは同じと深く頷いた。
「その通りです」
これにも先生の顔色は変わらない。少年少女たちは、困惑を通り越して、常軌を逸したような先生の説明に、心の中で引いていた。
「先生、魔王と言うのは、世界を破滅寸前まで追い込んだ凶悪な魔物であると学校で習いましたが、それは嘘で、木の枝で倒されるくらい弱かったのですか?」
学級委員長の質問に、先生は首を横に振った。
「勇者以前にも、数々の英雄たちが魔王に挑みましたが、皆帰ってくる事が出来ませんでした。それ程に魔王自身も強かったのです」
それが木の枝で倒されたとあっては、合点がいかず、皆頭がクラクラするばかりだ。そんな少年少女たちに向かって、先生が詳しく説明を始める。
「勇者フィフスは、王都の貧民街で生まれました。フィフスと言う名前から、恐らく五男だったのではないかとされていますが、実際にはその出生は不明です。勇者フィフスが遺したのは、結局あの木の枝だけですから」
神妙に先生の話に耳を傾ける少年少女たち。
「勇者に付いて分かっている事は一つ、どうやら強力な付与魔法を使う事が出来たらしいと言う事だけです」
これには少年少女たちもざわつく。付与魔法は魔法の中でも基礎で、学校で最初に学ぶ、いや、わざわざ魔法学校で学ぶまでもなく、一般庶民でも使える魔法だからだ。幾ら強力だと説明されても、木の枝に付与魔法を掛けたくらいで、魔王を倒せるとは思えない。しかし勇者が貧民街の出であったのなら、基礎の付与魔法しか使えなかった事には納得がいった。
「ふふ。皆さんとても驚いているようですね。私も、最初にこの博物館に来た時には驚きました。何せ、二百年前に魔王を倒したのが木の枝だとは。しかも、枝先には青々とした葉が残っていますからね。どこかから調達した偽物だろうと思いました」
先生に言われてハッとなり、今一度展示されている木の枝を見ると、確かに葉が青々としている。先程木から折られたと言われても信じてしまう程に、その木の枝は状態が良かった。これに更に胡乱な眼となる少年少女たち。他の見物客たちも、魔法学校の先生の話に耳を傾けていたが、そのような説明を耳にしてがっかりしていた。つまりはあれは偽物なのだと。
「あれが本物か偽物か、すぐに分かりますよ」
勇者の武器が見られると、ワクワクしていた少年少女たちの瞳から輝きが消えたのを確認しながら、先生はそんな一文を付け加える。これに少年少女たちが首を傾げていると、一階で動きがあった。一階の扉が開かれ、その奥から、一目で屈強な戦士だと分かるガタイの者たち、熟達していると分かる魔法使いたちがぞろぞろと現れたからだ。
「先生、あれは?」
「腕試しです」
「腕試し?」
学級委員長の質問に簡潔に答える先生。先生と少年少女たちがそんなやり取りをしているうちに、勇者の『良い感じの棒』を展示する円柱形の部屋に結界が張られた。
「今から、彼らがあの『良い感じの棒』の破壊に挑戦します」
『ええっ!?』
予期せぬ説明に、少年少女たちから思わず声が漏れる。
「良いのですか!? 一応、あの魔王を討ち倒した勇者の武器なんですよね? それに傷でも付いたら……」
学級委員長の問いに鷹揚に頷くのみの先生。恐らく、毎年新たな学生たちをここに案内する度に、このようなやり取りがなされてきた事が窺えた。詰まるところ、「まあ、見ていなさい」と言う事だ。
少年少女たちだけでなく、他の見物客たちも固唾を呑んで注視する中、一人の戦士が前に出る。その手に握られているのは、ミスリルの剣だ。ミスリル自体は魔銀とも称され、そもそも金属として頑強でいて、そのうえ魔法の伝導率が高い。それこそ、木の枝などとは比べられない伝導率の高さだ。木の枝と比べればどちらが欲しいかと言えば、百人が百人、ミスリルの剣を欲しがるだろう。
そんな憧れの剣を右手に携え、戦士風のガタイの良い大男は、『良い感じの棒(木の枝)』の前に立つと、ミスリルの剣を大きく振り被り、躊躇なく『良い感じの棒』へ向かってそれを振り下ろした。
何故かガキーンッと言う金属同士がぶつかったかのような音が部屋中に響き、その音の大きさに少年少女たちがびっくりしていると、カランカランとそれに続いて何かが転がる音が部屋に響いた。
音の方へ視線を向けると、何と先程戦士風の大男が振るったミスリルの剣が途中から真っ二つに折れ、その折れた先が、部屋に転がっていた。これに愕然として膝を折る戦士風の大男。
大男は暫く呆然とした後、徐ろに立ち上がると、折れたミスリルの剣の片割れを回収してその場から退いた。
次に『良い感じの棒』の前に現れたのは、魔法使い風の優男であった。
「あっ!」
と女子学生の一人から声が上がる。他の少年少女たちもその気持ちは同感だった。何故なら、その優男は魔法学校の教師の一人だったからだ。その甘いマスクと超絶的な魔法の腕で、女子学生たちからは羨望の的となっている教師である。
「あらあら、彼も運がないわね。何も校外学習の日に挑戦者になるなんて」
少年少女たちの先生がそんな事を漏らすものだからか、
『先生!! 頑張って!!』
などと女子学生たちから声が上がる。これにビクッとなったのはその男性教師だ。思わず見上げれば、良く知る学生服を着た少年少女たちがこちらを見下ろしている。これに顔を引き攣らせる男性教師だったが、魔法使いとしての胆力も一級品であるらしく、手を振り、声援に応えると、男性教師は木の枝に向かって杖を突き出し、呪文を詠唱し始めた。
長い長い呪文の詠唱が終わり、男性教師が魔法を放つ。相手は木の枝だ。青い炎の魔法が木の枝を包み、逆巻き、炎の竜巻となって部屋の天井まで駆け昇る。
その熱は結界越しでも熱いと感じる程の高熱で、これなら流石の『良い感じの棒(木の枝)』でも、燃え尽きてしまうのではないか、と少年少女のうちの何人かが心配するも、炎の勢いが収まった部屋の中央では、木の枝がまるでそよ風にでも吹かれたかのように青い葉をそよそよと揺らしながらも、どこにも焦げ跡一つ見られなかった。
これには男性教師もショックで顔を引き攣らせ、更には二階の女子学生たちから、『あ〜あ』などと残念な声が耳に届けられれば、肩を落としてその場からすごすごと次の挑戦者の為にその場を開けるしかない男性教師であった。
その後も何人もの戦士や魔法使いが『良い感じの棒(木の枝)』に挑戦するも、その尽くが木の枝に少しの瑕疵を与える事も出来ず、結局、全員がこの挑戦に失敗し、皆、肩を落として展示室から去っていったのだった。
「どうです? あれが勇者の武器です」
まるで我が事のように胸を張る先生に、学級委員長が尋ねる。
「あれは本当に木の枝なのですか? 木の枝に偽装した何か、アダマンタイトだとか、伝説のオリハルコンだとかしないのですか?」
これに首を横に振る先生。
「この二百年間、何人もの鑑定士が鑑定を行ってきましたが、毎回出される鑑定結果は、あれが木の枝であると証明しています。そして、あれに使われている魔法も、付与魔法、それも一番単純な『強化』の付与魔法だけであるとの鑑定結果も出ています」
これには少年少女たちも苦い顔となる。今さっき、一番単純な魔法を付与された木の枝に、どの戦士も魔法使いも敵わなかったのだ。では自分たちが魔法学校で魔法を習う意義とは何なのか。様々な魔法の研鑽に励む学生だからこそ、大半の少年少女たちは、自分を省みて、恐らくは一生掛かってもあの木の枝に傷を付ける事も出来ないだろう現実に、内心打ちのめされていた。
「つまり、単純な魔法であっても、突き詰めれば、魔王の喉元に届き得る程の武器になる。と言う事ですね」
一人の少年は場がシーンと静まり返る中、先生に自身の意見を伝えた。それは魔法学校でも、他の学生たちと距離を取っている学生であった。これに満面の笑みを見せる先生。
「そう言う事です。ですが、それだけが最上となる道ではありません。勇者の場合は、ただひたすら『強化』の付与魔法を使い続けていたようですが、私はそれは非効率だと考えます。一つを極めるにしても、他の魔法と比較し、その魔法の特性を良く理解する事で、その魔法は更なる高みへと昇華される。様々な魔法があり、それを知り、学ぶ事は決して遠回りではない。と言うのが私の私見です」
先生の説明に何か思う事があるのか、暫し視線を上に向けた後、その少年は先生へ向き合い頭を下げる。
「分かりました。ご説明ありがとうございます」
これに満足したのか、先生も深く頷き、そして少年少女たち全員へ声を掛ける。
「さて、ここは確かにこの博物館の目玉ではありますが、ここだけが博物館の全てではありません。ここからは自由行動とします。皆さん、自分が見たい知りたい場所へ向かい、研鑽を深めてください」
『はい』
先生の進言を胸に、少年少女たちはこの場から散り散りとなり、ある者は一人で、ある者はグループで、博物館を見て回るのだった。