芽生え
街での出来事から数日後、ジークとイリスは再び人里離れた道を歩いていた。ジークの態度は依然として冷たかったが、その背中にはどこか影を落としているようだった。一方、イリスはそんな彼の心情を察し、以前のように無邪気に話しかけることはなくなった。
旅の途中、二人は小さな川のほとりで休憩を取ることになった。ジークは水辺で剣の手入れを始め、イリスは少し離れた岩に座り、黙って川の流れを眺めていた。ジークが剣を研ぐ音が、静かな空間に響く。
その静寂を破るように、イリスは小さな声で歌い始めた。それは、彼女が故郷で長老から教わった歌だった。
「…私の里では、この歌を歌うと、心が落ち着くと言われていました」
イリスの歌声は、静かな川の流れに溶け込んでいく。ジークは、剣を研ぐ手を止めた。彼の脳裏に、かつて仲間たちと歌い合った、懐かしい歌が蘇る。その歌は、彼が故郷を離れてから、ずっと忘れていたものだった。
「…その歌、どこで習ったんだ?」
ジークの問いかけに、イリスは少し驚いた表情を浮かべる。彼の口から、自分への問いかけが出たのは初めてだったからだ。
「長老様が、教えてくれました。ジークも、この歌を知っているのですか?」
「……かつて、俺の仲間に、同じ歌を歌うエルフがいた」
ジークの言葉に、イリスは目を輝かせる。
「その方は、今どこにいるのですか?」
イリスの純粋な問いかけに、ジークは何も答えられなかった。彼は、ただ黙って剣を研ぐ手を再開する。その横顔には、どこか悲しげな色が浮かんでいた。イリスは、その沈黙に、彼の過去の悲劇を感じ取った。
やがて、二人は山道に入った。その道は険しく、イリスは足元を滑らせ、バランスを崩してしまう。その瞬間、ジークは素早く彼女の腕を掴んだ。
「…大丈夫か」
冷たい声だったが、その手は確かだった。イリスは、彼の優しさに触れ、心の奥底が温かくなるのを感じた。
その日の夕方、ジークとイリスは小さな木陰で休憩を取っていた。ジークは、黙って水筒をイリスに差し出す。
「…ありがとう」
イリスが水筒を受け取ると、ジークは何も言わずに再び歩き出す。二人の間には言葉はなかったが、互いに寄り添うような、かすかな温かさが生まれていた。ジークは、イリスを守るという使命に、少しだけ新たな意味を見出し始めていた。