剣と亜人
月明かりの下、小さな護送隊が進んでいた。
鎖につながれた少女が、馬車の中でうつむいている。長い銀髪と、尖った耳――エルフの血を引く証だ。
ジークは茂みから飛び出し、護衛兵の武器だけを叩き落とし、素早く制圧した。
「何者だ!」
兵士の一人が叫ぶ。ジークは無言で、大剣を振るう。金属がぶつかり合う鈍い音と、剣が空を裂く風切り音が響く。ジークは最小限の動きで兵士たちの攻撃をかわし、その手から武器を払い落とした。
兵士たちはジークの圧倒的な実力に恐怖し、一斉に後ずさりする。
「て、撤退だ! こいつは手がつけられん!」
一人が叫び、残りの兵士たちも蜘蛛の子を散らすように森の奥へと逃げ出した。
ジークは逃げ去る兵士には目もくれず、馬車に向かう。
「借りるぞ」
鎖を切ると、少女は驚きと警戒の入り混じった視線を向けてきた。
ジークは無言で、少女の顔を観察する。銀髪の下から覗く尖った耳。エルフの特徴だ。だが、それだけではない。白い肌に隠れるように見える、小さな牙の痕。
「……エルフと、吸血鬼の混血か」
ジークの言葉に、少女は目を見開いて戸惑った。
「……なぜ、それを」
「お前が噂の亜人か」
ジークの問いに、少女は一瞬ためらい、静かに頷いた。
「はい。……軍の方ですか?」
「取引だ」
ジークは、それだけを告げる。
少女は彼の冷たい眼差しから、目的が自分を利用することだと察した。しかし、同時に、ここから逃げ出せる唯一の機会であることも理解した。だが、彼女はためらいながらも尋ねた。
「……取引の内容は」
「俺がお前を連れ出す。その代わり、お前は俺に魔法を授けろ」
少女はジークの目をじっと見つめた。その瞳の奥には、憎悪と後悔が渦巻いている。彼女はかすかに身震いした。
「あなたのその感情、私が持つ力で増幅すれば、とんでもないものが生まれるでしょうね」
ジークは何も答えなかった。
そのとき、遠くから複数の足音と、松明の光が見えた。
「増援だ……!」
少女が顔色を変える。逃げ出した護衛兵が放った狼煙に、近くの駐屯地から兵士たちが駆けつけたのだ。
「時間がない。どうする?」
ジークが短く問いかける。
少女は覚悟を決めたように、強く頷いた。
「……かしこまりました。よろしければ、人目を避けた方がよろしいかと」
森の奥。
護送兵を撒き、二人はしばらく歩いた。
ようやく落ち着ける場所を見つけると、少女は緊張した面持ちで話し始める。
「私の能力は、噂とは少し違います。魔法の力を**“引き出す”**ことができます。眠っている才能を開花させたり、別の系統の力を発現させたり……」
ジークの視線が、わずかに熱を帯びた。
「その力で、俺に魔法を」
「やってみましょう」
少女は両手をかざし、淡い光をジークの胸へと送り込む。
だが光は水に落ちた火花のように、すぐに消えた。
「……あれ?」
少女は眉を寄せ、もう一度魔力を集める。今度は少し強く。
だが結果は同じだった。光は触れた途端、吸い込まれることもなく霧散する。
「おかしいです……こんなこと、初めてでございます」
その声には戸惑いと、かすかな恐怖が混じっていた。
「どなた様の魔法の器でも、何かしらの反応は必ずあるはずなのです。強弱の差こそあれ、全く反応がないなど……」
ジークの表情が、わずかに苛立ちを帯びる。
「……どういう意味だ」
「私にも、わかりません」
少女は首を振った。
「ただ、故郷にいる長老様なら、何かご存じかもしれません。魔法の器の成り立ちや、その特異な状態について……」
ジークは舌打ちし、背を向けた。
「つまり、無理ってことか。じゃあな」
「お待ちください!」
少女の必死の声が、ジークの足を止めた。
「長老様のもとへ、私をお連れいただけませんか。もし、そこで理由がわかれば、きっとあなたにも魔法を……」
ジークは振り返り、目を細める。
信じない。 彼はそう心に誓った。しかし、彼の目に映る少女の必死な瞳は、かつての仲間の姿と重なって見えた。この少女を信じるわけではない。ただ、**「魔法の力」**という、あの夜の絶望を打ち破るための唯一の可能性を、見過ごすことができなかった。
「取引成立だ。ただし、裏切ったら容赦しない」
「かしこまりました」
少女は、一歩前に進み、改めてジークを見つめた。
「私、イリスと申します。あなたの名前は?」
ジークは一瞬、答えをためらった。誰にも心を開かないと決めたはずだった。だが、彼女のまっすぐな瞳は、かつて仲間に向けた信頼の光を宿していた。
「……ジーク・ヴァルマーだ」
こうして、剣だけの男と亜人の旅が始まった。