渇望の剣
ディルガルドは、人間至上主義を掲げ、亜人を
徹底的に弾圧し、排除する国。
セフィアは逆に、亜人至上主義のもと、人間を
支配する国。
アルカディアは融和と共生を目指し、様々な
種族が入り混じる。
そして、ヴァルガンは人種や出自に関係なく、ただひたすらに個人の実力のみを重んじる軍事国家。
あの夜、虐殺から唯一生き延びたジークは、ディルガルドを追われ、ただ西へ、西へと流れた。たどり着いたのは、弱肉強食の理がすべてを支配する軍事国家、ヴァルガン。しかし、その国是は、常に秩序と国益を最優先とする。故に、秩序を乱す**「力なき者」**に対しては、種族を問わず、容赦ない制裁が下されることもあった。
数年後。
ジーク・ヴァルマーは、荒れた戦場と裏社会を渡り歩く孤独な傭兵になっていた。
賞金首を狩り、報酬を受け取り、次の仕事を探す――ただそれだけの、乾ききった日々。
彼の心には、あの夜の炎と、仲間の血の匂いがこびりついていた。
この日、ジークが訪れたのはヴァルガンの街だった。
中心広場には、大勢の人間が集まり、熱狂的な歓声を上げていた。広場に設置された晒し台の上では、数人の獣人と、鎖に繋がれた人間が並んで見せしめに処刑されている。
「力なき犯罪者どもに鉄槌を!」
兵士の一人が叫ぶと、さらに大きな歓声が上がった。
ジークは、その光景を遠巻きに見ていた。獣人の絶叫、人間の断末魔、兵士の嘲笑、そして民衆の熱狂。それは、かつて彼がいた戦場で耳にした、人間軍の声そのものだった。
(……亜人も、人間も、何ひとつ変わらない)
彼の脳裏に、火刑に処された老いた魔導士と、首を刎ねられた獣人の姿が重なる。そして、バルザから教わった**「力を持つ者が仲間のために振るう」**という言葉が、虚しく響いた。
ジークは無言で広場を後にした。彼の心は、凍てついた氷のように固く閉ざされていた。
しかし、街の片隅には、異なる光景もあった。
薄暗い酒場のカウンターでは、人間の傭兵が獣人の仲間と肩を並べて酒を酌み交わしている。
互いに罵り合いながらも、その顔には確かな信頼の笑みがあった。
その様子を、ジークは静かに見つめていた。種族は違っても、背中を預けられる仲間。かつての自分たちの姿が、そこにはあった。
(……どうして、こうなった)
彼の胸に、再び無力感と後悔が燻る。
この日、彼の標的は“赤眼のカース”だった。
幾つもの町を襲い、炎と土の魔法で兵士を葬った危険な魔導犯罪者。懸賞金は破格だった。
人目のない森の奥。互いの姿が見えた瞬間、戦いは始まった。
土塊が飛び、炎が唸る。ジークは迷いなく大剣で火球を両断し、足元から突き出す石槍を跳躍でかわした。
カースは冷たい笑みを浮かべた。
「剣一本で俺に勝てると思ってるのか」
その言葉に、ジークは短く答える。
「勝てるさ」
魔法を操る敵との戦闘は、幾度となく経験してきた。だが、カースの術はこれまでとは一線を画していた。一つ一つの攻撃が、殺意と熟練を帯びていた。そして、ジークの脳裏には、あの夜の人間軍の魔法使いの顔がフラッシュバックする。
(忌々しい…!)
身体が、あの夜の痛みを記憶しているかのように疼いた。
ジークは防戦一方だった。魔法を完全に防ぐことはできず、何度もかすり傷を負う。カースの放った火球がジークの左腕を焼き、熱い痛みが走る。そして、彼の顔色が変わったのは、カースが足元から突き出した土の槍に、ジークの身体が貫かれかけた瞬間だった。
咄嗟に身を捻ったジークの脇腹を、土の槍がかすめる。
その形状、そしてその一撃の殺意に、ジークの脳裏にあの日の光景が鮮烈に蘇った。
巨大な魔槍が、バルザの胸を貫いた、あの夜。
その槍の殺意、仲間を失った絶望。
(ふざけるな……!)
身体が、あの夜の痛みを記憶しているかのように疼いた。
土の鎖が足元から伸びた瞬間、ジークは常人ではありえない速度で踏み込み、鎖を断ち切った。体勢を崩したカースに一気に詰め寄る。
「終わりだ」
大剣が振り下ろされ、炎の盾ごと叩き割った。カースは防御が間に合わず、火花と血しぶきが同時に舞う。赤い瞳は、ジークの冷たい眼差しを最後に映し、光を失った。
ジークは深く息を吐き、剣を振って血を払う。
魔法に対する苛立ちは、一向に消えない。仲間の命を奪った忌まわしい力。しかし、その力への渇望も、また胸の奥で燻っていた。
もしも、あの夜、自分に魔法の力があれば、拘束術にかかった仲間を助けられたのではないか? そうすれば、バルザは死ななかったかもしれない――。そんな無意味な仮定が、ジークを苛む。
酒場で戦利品を換金した後、ジークは妙な噂を耳にした。
「聞いたか? “魔法を授ける亜人”がいるらしい」
「授ける?」
「ああ。生まれ持った魔法を強化したり、別の系統を付け足すこともできるとか。軍が独占しようと、どこかの施設に幽閉してるらしいぜ」
ジークは無言でグラスを傾けながら、耳を傾け続けた。「魔法を授ける」。その言葉が、彼の中に燻っていた渇望を揺さぶる。しかし、彼はすぐにその考えを打ち消した。信じない。期待しない。それが、この世界で生き抜くためのルールだった。
だが、その夜、噂の亜人が護送されているという街道へ向かう足は、誰にも止められなかった。