始まりの剣
ディルガルドは、人間至上主義を国是とする強国だ。だが、十年にわたる亜人との戦争は泥沼化し、数えきれないほどの兵士の命が失われた。兵力不足を補うため、軍上層部は苦肉の策として、捕虜や傭兵として雇った亜人たちで構成された『混合部隊』を結成した。表向きは「融和」を掲げながらも、その実情は最前線に送り込まれる“捨て駒”だった。
その戦場に、英雄はいなかった。
ただ、泥と血と臓腑が転がるだけだった。
鉄と硝煙の匂い、獣の絶叫、砕ける骨の音――
それらすべてが混ざり合い、脳を揺さぶる。
「後衛、三歩下がれ! 矢が通るぞ!」
「援護する! 突っ込めッ!」
「やったか……いや、まだいるッ!」
咆哮、爆音、悲鳴。
ジークは、その最前線にいた。
剣だけを頼りに、ただ一人、敵陣を貫いていく。
魔法も飛ばさず、術式も唱えず。
だがその肉体は、魔獣よりも凶悪だった。
獣人の巨躯を胴から叩き斬る。
一閃の蹴りで、魔族の兵士が四肢を逆に折られ、断末魔すら吐けずに崩れ落ちる。
それでも、彼の背には“仲間”がいた。
弓を構える亜人の少女。
魔導支援を請け負う年老いた人間。
前線で吼える獣人戦士たち。
彼らは互いを疑わなかった。
同じ鍋を囲み、命を預け合った。
その絆は、偽りではなかったはずだった。
そして――
混合部隊の象徴にして剣をもって皆を導く存在。
竜神族の剣士、バルザ。
敵味方の誰もがその名を畏れ、尊敬し、祈った。
龍の血を引く亜人の最上種にして、戦場の王。
ジークにとっては――育ての親だった。
焦土と化した村で、ひとり泣いていた幼いジークに、バルザは言った。
『泣くな。生きたければ、立て』
それが始まりだった。
剣の構え方。殺し方。仲間の守り方。
すべてを教わった。
そして今、彼の隣には、守るべき仲間たちがいた。
――焚き火の夜。
皆が疲れ切った顔で笑いあい、道具を直し、
体を寄せ合う。
バルザは言った。
「悪くないな、ジーク。お前が、あいつらを繋いだんだ」
「……俺は、ただ剣を振ってるだけだ」
「それで十分だ。力を持つ者が、仲間のために振るう。それが、平和を作るんだ」
何も返さなかった。
ただ、隣で笑う少女を見つめた。
角を隠し、耳を隠して、それでも笑っていた。
「……こんな世界が、ずっと続けばいい」
それが、最後の安らぎだった。
夜半。
空に、叫びのような咆哮が響いた。
火矢が降り注ぎ、幕舎が爆ぜる。炎が、闇を食らうように広がる。
「――敵襲か!?」
ジークが跳ね起きた瞬間。
仲間の首が、宙を舞った。
生ぬるい赤が、頬を濡らす。
敵の姿を捉えたその瞬間、彼は理解した。
――人間軍。
同じ軍装、同じ紋章。味方、だったはずの者たち。
「ディルガルドの奴らか……!」
誰かが呟く。
「異種混合部隊……不浄だな」
「人間の誇りを忘れた、裏切り者どもめ」
「ここで、浄化してやる」
「……なに言って――!」
言葉が終わるより早く、虐殺が始まった。
弓兵の少女の腕が、雷撃で吹き飛ばされる。
泣き叫ぶ暇もなく、追撃の火球が直撃した。
獣人の戦士が、光の鎖に縛られ、骨を砕かれ、
喉を裂かれる。
老いた魔導士が、倒れたまま火刑に処される。
誰も、抵抗できなかった。
理由は一つ。
――拘束魔法。
広範囲の結界によって、すべての“魔力を持つ者”がその動きを封じられていた。
全身の魔力を制御され、立つことすらできない。
そして、ただ一人。
ジークだけが、動いていた。
「……なんで、俺は……!?」
走る。斬る。叫ぶ。
誰にも、止められない。
敵は悲鳴をあげた。
「あいつ、なんで動ける!?」
「拘束術が効かない――!? 魔法が効かないのか!?」
ジーク自身、理解していなかった。
ただ、全身に満ちる“何か”が、怒りと悲しみを力に変えていた。
彼は全身を燃やし尽くすように、剣を振った。
地獄の中で、仲間をひとり、またひとりと失っていく。
その時、バルザが立ちはだかる。
「逃げろ……ジーク。お前まで死ねば、本当に意味がなくなる……」
「やめろ……俺も戦う! 一緒に生きるんだ……!」
「お前だけは、生きろ」
「“この意味”を、いつか見つけろ……」
バルザの胸に、巨大な魔槍が突き刺さる。
ジークは、咆哮した。
怒り、哀しみ、絶望――あらゆる感情が、ひとつに燃え上がる。
彼は剣を捨て、バルザの骸を抱きしめ、天に向かって絶叫した。
その声は、獣の遠吠えのように、人の悲鳴のように、虚空に響き渡った。
再び、剣を手に取る。その瞳は、もはや何も映していなかった。
ただ、目の前の敵を、無心で殺し続けた。
地面を裂き、空を断ち、血の雨が降った。
誰もが彼を「化け物」と呼んだ。
剣を振るうその姿は、もはや“人”ではなかった。
どれだけの時間が経ったか。
炎が沈み、静寂が戻る。
立っていたのは、ジーク一人だけだった。
焼け焦げた野営地の中。
仲間の亡骸が、幾重にも重なっていた。
「……信じてたんだ。俺は……」
剣の柄に染みついた、バルザの手の温もり。
笑い合った日々が、灰とともに風に消える。
「力を持つ者が、仲間のために振るう……それが、平和を作るんだ」
「……こんな世界が、ずっと続けばいい」
その言葉が、脳裏に響く。
だが、今はもう――
「……ふざけんなよ」
地面に剣を突き立て、ジークは叫ぶ。
「こんな世界、信じられるかッ!!」
焚き火のぬくもりも、仲間の笑顔も、全部――まやかしだった。
信じたものに裏切られた少年。
それが、この日を境に生まれた“ジーク・ヴァルマー”だった。
信じない。
守らない。
裏切らないために。
――この世界で、たった一人の“剣”として、生きるために。