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怪物ホラー短編集

マッドサイエンティスト【怪物ホラー短編】

作者: 冬野ゆな

「フレデリックさん、あなたのその個性は素晴らしいものですわ」

「ありがとう。誇らしいですよ」

 満足げな表情で握手を求めた女に、フレデリック・コーウェンは車椅子に座ったままにこやかに応じた。

 だが女が立ち去ってしまうと、彼は忌々しげな表情でこう呟いた。

「くそくらえだ」

 そうして肘掛けでバランスをとりながら、膝から上まで無い両足を座り直す。

 こんなことがあった後は、彼はいつも私に愚痴を言うのが恒例だった。

「何を勘違いしているのか知らないがね。奴等はいつも、ただ自分の足で立って歩いてみたいという僕のささやかな願いを、個性なんていうくそったれな言葉で食い殺そうとするんだ。きみだって、瓶底のような眼鏡をかけてみたいと思ったことくらいあるだろう。三角に吊られて包帯でグルグル巻きにされた腕を、ロボットみたいでかっこいいと思ったことは? 杖を突いて歩く姿に憧れたことは?」

 フレデリック・コーウェンことフレッドは膝から上までの両足が欠損していた。生まれつきのことだったので、彼にとってはそれは普通のことだった。彼の両親はなんとか息子が不自由を感じないようにと務め、最大限にバックアップしてきた。そのおかげもあってか、彼にとってはこれが日常でただの特徴にすぎず、脚がないことに対して引け目を感じることも無かった。彼は家の中では両手を器用に使って移動することができたが、それでも目線が低いうえに早く移動できないのは困るという理由で、常に車椅子での生活をしていた。

 私が彼と出会ったのは大学の研究室でだった。その頃には彼はもう手を使っての移動はせず、その指先を主に細胞や遺伝子についての研究のために使っていた。研究室では既に有名人で、世間では彼のことを「脚の無い遺伝子研究者」として既に注目しはじめていたし、彼の姿は大学内でも人目を引いたからである。私が研究室に入ったときも、噂に聞いた彼の姿をはじめて見たことで驚いてしまった。だがすぐにそんなことは気にならなくなった。なにしろ彼が人を引きつけるのは欠損した脚だけではなく、その美貌にもあったからだ。端正な顔立ちに、さらりと流れる金の髪。脚が無いことにさえ気付かなければ、間違いなくその表情と少し悪戯っぽい笑い方に引きつけられたことだろう。そのうえ頭が回り、雄弁で、あらゆる趣味に精通しているようで、喋ることはなんでも面白かったからだ。友となったのもなんてことはない、私がなにげなく最近見た映画が面白かったという話をしただけだ。彼は意外なほどに食いついてきた。どうやら彼自身は、人に会うたびに脚の話をされるのでだいぶ辟易していたところだったらしい。私とのどうでもいいような話に見事にはまり込み、真面目な話であっても一生懸命に話についていこうとする私を気に入ってしまったらしい。思えば彼に気に入られたのが、私の人生を狂わせる最大の要因であったと思う。

 とにかくそれ以来、私と彼は親友のようなものとして付き合いがはじまった。他人がそこに健常者と障害者の研究者の友情とかいう美辞麗句で凝り固まったような関係を見いだしたとしても、私達はただの普通にいる友人に過ぎないと思っていた。

「でも、その女性は――、いちおうはきみの支援団体の人なんだろう?」

「支援団体と言ってもね、いろいろあるのさ。僕の何を知っているわけでもないだろうに」

 フレッドは面倒臭そうな表情をしていた。

「勘違いしないでほしいがね、僕はべつに、万人が足を取り戻したいと――否、生やしたいと願っていると思い込んでいるわけじゃない。でも、そんな方法があるならだれだって元の姿に戻りたいと思うだろう。ただね、これは僕の願いなのさ。他ならぬ僕自身のね。僕は自分の足で立って歩いてみたいというささやかな願いを持っているというだけさ」

 彼の言い分はそんな風だった。

「だいたい、人間というのは自分たちが思っている以上に、再生能力を隠し持っているのさ。トカゲの尻尾のようにね。使われる暇が無いから眠っているだけなんだ。特に顕著なのは歯だ。乳歯から生え替わるのは一度きりだが、本来は永久歯になっても生え替わらせる能力があるということさ……。昔は生え替わらなくても寿命の問題があったしね。現代の技術の進歩に、他ならぬ我々自身の真価が追いついていないんだ。ではいったいどうやったらその能力を目覚めさせられるのかって話だ」

「なるほど、トカゲの尻尾みたいにね……、そんな風に人の手も生えてくることがあるのかもね」

「いまはどちらかいうとウーパールーパーの再生能力に注目が集まっているがね。彼らには四肢の再生能力がある。もしも人にウーパールーパーの遺伝子を組み込めたら、面白いことになるかもしれないね?」

 にこりと笑う彼を、私は何も言えずに見た。

 あまりにも美しい顔だったので、ぞっとするほどだったのだ。

 私は話題を変えるように肩を竦めた。

「もういっそのこと、普段は義足に変えたらどうだい。昔は義足の訓練もしてたんだろう。それなら少なくとも見ず知らずの他人から思想を押しつけられたりはしなくなるだろうよ。いまはいい義足もあるんだろう?」

「僕の肌は繊細なんだよ。義足を付けるにしても、長いことは無理なんだ。荒れてしまうからね。ところで、きみのいういい義足ってのはどんなやつのことだい?」

「そりゃ、人の足そっくりに見えるものじゃないのか」

「遅れているなあ! 最近は義肢も色々あるんだぜ。マラソンを見た事ないのかい? それに昔は人間の体に近づけるのが主流だったが、最近じゃオシャレなんだ。スーパーヒーローの腕のような義肢もあるし、脚だって日本のロリータ風からスチームパンク風まで色々だ」

 義足は無理だという割に詳しいのは、彼の特性のせいでもある。

「キミだったら自分の足をどう飾り付けたい?」

「私かい? そうだな……、日本の話が出たから、ニンジャや刀のようなデザインだとカッコイイね」

「ほう! なるほど、デザイン案としてしかるべきところに提出しておこう。キミの趣味もついでに理解したがね」

「それはまあ、いいじゃないか」

「そうかい? 僕は知ってるぞ。キミが最近、日本の古い時代を舞台にしたアクションゲームに熱中していることもね。それから、確かヒーローものの映画も見に行ったそうじゃないか。他でもないこの僕を差し置いてだ!」

「……いや、確かにそうだけども」

「恥ずかしがるなよ! なあキミ、せっかくだから次は僕も誘いたまえよ。別にキミの見たいものがヒーローものだろうがアニメだろうが構やしないさ。映画の感想くらいは語り合ってやろうじゃないか」

 とにかくこうしたくだらない日常のことでも彼とはよく話したものだ。

 彼は私の取るに足らない話でも面白そうに聞いてくれたし、聞いてくれるだけの度量もあった。彼の存在はそれだけで魅力でもあった――そもそも彼の容貌はあらゆる人々を魅了したのだ。つまるところ、彼は頭が良くて美丈夫で、スタイルも良い――その両足が無いことを除けば。そんな彼のことを「天は二物を与えてしまったので、脚を奪ってしまった」など茶化す輩もいたが、彼は笑い飛ばすだけだった。

「はーあ。ようやく気が晴れた。僕は研究に戻るよ」

「そうか。それは良かった」

「……ああ、それと。今日は暇かい? 実は面白いものがあるんだ。見に来いよ」

「面白いもの? 今からか?」

「いや、今じゃなくていい。……もうひとつの方なんだ。帰りにでも寄ってくれ」

 フレッドはそう言うと。車椅子でカラカラと自分の研究室に戻っていった。私はいやな予感しかしなかった。


 彼は自分の研究室とは別に、「秘密の研究室」と呼ぶ場所を持っていた。

 その見た目を最大限に有効活用して得たバックアップで、表向きには研究に熱心に取り組んでいた。しかし彼はその潤沢な資金を、彼個人の研究にも突っ込んでいた。それが彼のもうひとつの研究室だった。私は仕事を終えて車に乗り込むと、真っ先に彼の秘密のラボへと向かった。大学から離れ、町からも離れ、やがて寂しい道を抜けていった先に、大きな屋敷がある。彼は屋敷をまるごとひとつ買い取り、研究所にしていたのだ。

 私の車に取り付けられたセンサーが反応し、門が自動的に開く。作動していない噴水の横を通り過ぎ、入り口の近くで車を駐めた。階段を上がって大きな扉の前に立つと、これまたセンサーがじっと私を観察したあとに作動した。自動的に鍵が開いて、私はノブを回して中に入った。既に彼は来ているようだったが、姿は見えない。屋敷の中は相変わらず不気味な気配が漂っていた。これで外に雷でも落ちていれば雰囲気は抜群なのだが、映画以外でそんな目には遭いたくない。彼が研究室にしているのは地下の一室で、そこで個人の研究に励んでいた。勝手知ったるなんとやらで、私は地下への階段を下りていった。

 灯りがついているのにどことなく暗い雰囲気の廊下を進む。一番奥の扉を開けると、微かな薬品のにおいが鼻をついた。

「やあ、よく来たね!」

 フレッドはにこにこと笑いながら私を迎え入れた。

 研究室にはまた見慣れないものが増えていた。中でも真っ先に私の目を引いたのは、テーブルの上にあるカプセル型の水槽の中で蠢く、奇妙なタコのようなヒトデのような物体だった。

「うわっ」

 それこそ思わず悲鳴をあげてしまうほどだ。中央の星形から突き出た腕がその先で複雑に分化していて、それぞれがうねうねと蠢いていたのだ。そのうえ体表は赤くイボイボがついているので、私の嫌悪感をますます刺激した。

「なんだい、これは? ヒトデの特殊個体か何かか?」

「なんだ、見たことないのか。こいつはテヅルモヅルといってね、クモヒトデ類の一種だ。こう見るとわけのわからない生物にしか見えないが、実際は明確に腕がある。このモジャモジャはほとんど腕から生えた触手だ。そうして餌を絡めとって食べるわけだ。その筋じゃ結構有名なんだぞ」

「なんでそんなものがここにあるんだ」

「そりゃ研究のためさ!」

 フレッドは断言した。

「クモヒトデ類はすべての腕を同時に切り落とした場合を除き、腕を再生できるんだ。まあでもこの見た目だけで言えば、特殊個体といえば特殊個体だな……」

「まさか、脚を生やすのにこんなものの遺伝子を使おうっていうのか!?」

「バカだなあ、まだ実験もしてないのにそんなことをするはずないじゃないか!」

 フレッドは笑いながら私の肩を叩いた。

 しかしどれほど見た目が衝撃的でも、普通に海底に生息しているものならばまだ理解の範疇だ。私は次第に落ち着きを取り戻してくると、はあっと息を吐いた。

「……見せたいものっていうのはこれか?」

「いや、違うよ。でもいまの反応を見てしまうと、これ以上の衝撃は与えられないかもしれないなあ」

 フレッドは頭を掻いて車椅子を動かした。

「本当に見せたかったのはこっちさ、どうかな?」

 そう言って、テーブルの上にあった檻の布を払いのけた。その中には小型の猫くらいの動物が横たわっていた。確かにさっきのテヅルモヅルに比べればまだマシだ。だがフレッドが、他でもないフレッドが、ただの珍しい動物を見せるためだけにここに呼ぶはずがない。私はゆっくりと檻の中を確認した。檻の中の動物は毛がまばらに生えていて、脂肪が折り重なっているのが見えた。ピクッと小さく震えている。尻尾は細く、猫というよりネズミだ。

 ――なんだ、ネズミ……?

 そのとき、とつぜん奇声を発しながらそいつが私を見た。

「う……!?」

 弱々しく、怯えた老人の顔が私を見上げていた。そのネズミの顔は、見知った動物のものではなかった。明らかに人類のそれであり、皺だらけの顔でばかみたいに口を開いて奇声を発していた。よく見れば、ネズミの手も人間のものだった。胴体から本来腕が生えている場所から、代わりに人間の手首から先が直接生えている。動かす機能は備わっていないか神経が通っていないのか、だらりと伸ばされたまま引きずられている。

「キミも知っての通り、ネズミは人の遺伝子と99%似ているだろう? だから色々と組み込んでいたんだ。ほとんどは失敗作になってしまったんだけど、こいつは見事に生き残ってくれた……。でも死ぬ前にいちどキミに見てもらいたかったんだよ! いやあ、キミが来るまでに生きていて良かった!」

「あ、あいかわらず悪趣味だな……!」

 思わず檻から後ずさり、叫んだ。

 このネズミ人間を見ているよりも、彼の顔を見ていた方がまだ精神が安定しそうだ。他ならぬこの顔の男がネズミ人間を作り出したのだが。

「悪趣味だなんて、心外だなあ」

 そうは言うものの、フレッドはあまり気にしていないようだった。

「ネズミの背中に人の耳を生やした映像を見た事ないのかい? あれと一緒だよ。ま、やり方は僕の独自のやり方にしてあるけどね」

 落ち着かなく上を見上げる人面ネズミは、明らかにフレッドを見て怯えていた。

「それに、ちゃんとこの人にも報酬を支払ったよ。ホームレスだったけれど、契約書も交わした。死ぬまで衣食住の面倒はちゃんと見るってね。とはいえ残念なことに、こい人は手持ち無沙汰に適当に突っ込んでみたからレシピが残っていなくてねえ……」

「……夢に見そうだ」

「脳の一部も組み替えたけど、しゃべれないとなると記憶が残っているかどうかわからないのが難点だった」

 フレッドはまだ私に対して理解できない説明をしていたが、ほとんど右から左へと流れてしまった。とんでもないものを見せられてしまった。

 あの奇声が耳に残らないうちに早く忘れてしまいたい。

「でもテヅルモヅルより反応が良くて良かったよ」

「それを悪趣味だって言ってるんだよ!」

 叫ぶ私を見て、フレッドはますます笑った。

 天はフレッドに二つも三つも与え、そして脚を差し引いたが、その代わりにとんでもない性質を残してしまった。いや、脚と一緒に間違えて持っていってしまったというべきか。自分の研究のためならあっさりと倫理観から逸脱し、時に常軌を逸した実験を行える特異な感性――。フレッドにとってはそもそも、自分の脚を生やすという目的さえもただの通過点に過ぎない。生命をもてあそび、悪意すら持たぬまま、神をも恐れぬ所業を繰り返す――フレッドの笑顔の下に隠れた本性は悍ましい怪物なのだ。

「それで……これは、どうするんだ」

「ああ。死ぬまでは世話をしようと思っているよ」

「そう……か」

 私はそれしか言えなかった。この男は、こういう男なのだ。

 すっかり滅入った私を見て、フレッドは満足したようだった。だがじろりと下から睨むように見てやると、少しだけ苦笑した。

「いや、悪かったよ。僕の趣味に付き合わせたのはね」

「そうかよ」

「でもちゃんとキミの趣味にも付き合うから、安心してくれ」

 ちらりと研究室の中を見ると、また見覚えのない不気味なホルマリン漬けが増えていた。

 ――間違い探しか何かか、この部屋は?

 何度ここに来てもそんなようなことがあるから、すっかり増えることには慣れてしまっていた。


 私はぐったりとしたまま帰宅した。

 フレッドは基本的に人当たりはよく、例え嫌いな相手でも目の前で罵倒したりはしない。私に対してからかうことはあっても、友好的で、人好きのする笑顔は他人を魅了し、数多くの趣味を持っている。だが同時に危険でもある。その性質は私が思っている以上だ。だがこの性質がいずれ何か恐ろしいことになるのではないか。そんな懸念もあったが、フレッドは尻尾を出さないのだ。自分の性質に対しても徹底した管理下においている。

 あの悪夢から出てきたようなネズミも、いずれ死ぬのだろう。契約通りに生きるだけ生かされて死ぬのかもしれない。そうしてきっとあのテヅルモヅルも何らかの実験に使用されるんだろう。私はその日、老人の顔をしたネズミにかじられる夢を見た。

 翌日からも、フレッドは普段通りだった。

 大学の研究室へと赴いたときに、何気なく尋ねた。

「……ネズミはどうなった?」

「残念ながら死んでしまったよ」

 フレッドは肩を竦めた。

「まあ、あれは」

 フレッドはといえば、自分の研究に没頭しきっていた。教授がやってきて何やら談義をしていて、やがて教授が敵わなさそうに苦笑して額に手を当てたのを見た。しばらくは表の研究に集中するなら余計な心配はしなくていいだろうと思った。

 映画かドラマでも見て、あの悪夢を頭の中から追い出した方がいいと思った。サブスクで限定のドラマが公開されたのを知っていたから、しばらくはそっちを楽しむことにした。


 それから二週間が経った。

 私は少しずつドラマを楽しみ、シーズン2の終わりを楽しんでいた頃だった。主人公がいよいよ大きな事件の真相に迫り、背景にいた黒幕に迫ろうとしたちょうどそのとき、携帯電話が無粋に鳴った。無視したかったが、画面に表示されたのはフレッドの名前だった。

 ハンズフリーにして通話ボタンを押す。

「フレッド? どうし……」

『頼む、いまからすぐに来てくれ!』

 懇願するようなフレッドの叫び声が聞こえてきた。私はこれまでの気分が吹っ飛び、背筋を伸ばした。

「どうしたっ、何があった!?」

 電話の向こうからはガンガンと何かを叩くような音がしている。

『とにかくいますぐに来てくれ、脚をやられた!』

「なんだって?」

 フレッドのいう脚は車椅子のことだ。ということは、完全にあいつは丸腰で、車椅子から離れてしまったってことだ。

「とにかく逃げるか隠れるかするんだっ。……そうだ警察は!?」

『ダメだ! まだこいつは見せられたもんじゃないんでね!』

「なに? ……とにかく待ってろ!」

 私は携帯電話を繋ぎっぱなしにしたまま、棚の中から護身用の小型銃を手にしてベルトにねじ込んだ。ジャケットも着ないまま外へ飛び出し、車に飛び乗った。行き先は秘密のラボだ。スピードをあげて一気に道を走る間も、携帯電話からは奇妙な物音が聞こえていた。とにかくフレッドには無事でいてほしかった。

 ラボに向かう道中、事故らなかったことだけは幸運だった。赤信号を無視したのははじめてだった。ラボに着くと、センサーが反応する僅かな時間も惜しかった。私はグローブボックスから懐中電灯を取り出すと、車から出て走り出した。噴水の横を通り過ぎ、階段を一段跳びであがるとドアにしがみついた。センサーはすぐに反応したが、鍵が開く音がするまでが妙に長く感じた。音がした瞬間に銃を構えて中に飛び込む。

「フレッド! どこだ!」

 屋敷は真っ暗だった。だが、どこからともなく妙なうなり声とガンガンいう音がしている。懐中電灯を取り出し、あたりを照らす。二階に続く階段の下に、車椅子がひっくり返って虚しく転がっていた。どうやらこのあたりでスッ転んだらしい。いったい何をやっているんだ。早足で歩き、音が鳴っている方へと耳を澄ませた。二階からだった。一気に階段を駆け上り、ガァンと鳴る廊下へ脚を向けながら懐中電灯で照らした。

 最初に見えたのは、肌の色だった。多くの人々が絡み合った腕のようなものが一瞬見えた。だが違う。一気に中心に懐中電灯を向けると、まずがくんとうなだれた女の顔が見えた。

「うっ……!?」

 顔はほとんど赤く染まっていた。フレッドが引き裂いたのか、それとも元からそうだったのか、鼻まで裂けた口からは赤い液体がぽたぽたと垂れている。だが肝心なのはそこではない。本来は頭の後ろ側にあるはずの皮は五つの方向に引き延ばされていて、その先から直接太い四肢が伸びていた。それが四肢だと思ったのは、確かに腕ではあったからだ。どれほど長く、骨も無いように歪曲して、ぐにゃぐにゃと蠢いていたとしても。そしてその四肢の先からは更に小さな四肢が咲いたように伸びて、その小さな四肢からは更に……と小さな指がいくつも生えていたとしても。まるで人間でテヅルモヅルを再現したような出来の化け物がそこにいた。

「あああ、う、あう」

 口からは言葉になっていない声が漏れ聞こえている。

 何かを伝えようとしているようでもあり、ただ呻いているだけにも聞こえる。化け物は必死になって蠢く四肢の群れで扉を壊そうとしていた。うまく歩けはしないようだが、その触手の群れごとこっちに移動してくる。

「く、来るな!」

 銃を構え、もぞもぞと動いて近づいてくるそいつに一発撃ち込んだ。怪物の脚のひとつに当たる。

「きょおおあわ」

 明確な言葉にはなっていないが、痛みは感じているようだ。私は下がりながらもう一発撃った。照準が安定せず、また脚に当たる。当たっては少しだけのけぞるようにしたが、またこっちへと歩いてくる。私は背後をちらちらと確認した。この屋敷にはもう来慣れているから、どこに何があるかくらいはわかる。確か怪物に向かって挑発するように手招きをした。

「おおおお」

 背中を向けて階段の下へと来ると、予想通り怪物は追ってきた。私は素早く一階の壁を確認する。そこにはガラスで覆われた消化斧があった。勢いよく銃底でガラスをたたき割ると、中の消化斧を取り出した。振り返ると、怪物がちょうど一階に下りてくるところだった。斧を構える。そしていまにも私を取り込まんとする顔に勢いよく消化斧を叩きつけた。

 絶叫が響き渡った。血が飛び散り、服にかかる。こんな奴の血を飲んだらどうなるかわからないから、口はしっかり閉じておいた。斧をもう一度頭から引き抜くと、今度は伸びた四肢の一つへとたたき込んだ。耳を引き裂くような絶叫。ぐいぐいと力を入れると、四肢の一つが千切れて地面に落ちた。他の腕と絡み合ったそれのせいで、怪物は動きが鈍くなったようだ。間髪入れずに、他の四肢へと斧を突き立てる。

「ぐっ……」

 だが今度はなかなか千切れなかった。触手が再生しはじめているのだ。

 ――再生だと? ふざけんな!

 ギシギシと怒りに任せるように四肢の一つを切断しようとする。いよいよ触手が私の周囲を取り囲もうとしたそのときだった。

「キミ!」

 フレッドの声がした。私は咄嗟に斧を離して、後ろに跳んだ。

 途端に怪物の背中から煙があがった。怪物の悲鳴が玄関ホールに響き渡る。背中部分から必死に逃れようと、声をあげながら

 その背中が――いや触手が、みるみるうちに火傷でもしたようになっていく。私は銃を構え、一気に怪物の脳天めがけて何度も引き金を引いた。それが最期になった。

 怪物が倒れたあと、私はその場に膝をついた。見ると、瓶が転がっていた。中身はおそらく酸の類だろう。ゆっくりと顔をあげると、階段の中段あたりに座り込んだフレッドがいた。

「フレッド!」

「すまない、遅れた」

 どうやらフレッドが怪物めがけて酸を投げたらしい。

 私はようやく立ち上がり、ふらふらと彼の方へと歩いた。

「いや、本当にすまなかったね。手を煩わせてしまった……。でも僕が呼んだらすぐに来てくれたことには感謝するよ。さすが僕の親友だ!」

「……大丈夫か、手を貸そうか? 脚は無理だが」

「ああ、ますますいいね! すばらしいジョークだ。やっぱり君は僕の親友だ!」

 私は笑いを返す余裕もなく、ひとまずフレッドの車椅子を持ってきて点検することにした。

 多少がたついていたものの、大きく損傷してはいなかった。これなら、たまたま引っかかってしまって壊れたという言い訳もつくだろう。担いでフレッドのところに戻ると、フレッドはちょうど一階に下りてきたところだった。

「いやはや、それにしてもうまくいかないものだね」

 彼は首を振っていた。

 目の前に車椅子を置いてやると、腕を使って器用にその上に乗り込んだ。

「あれはお前の趣味か……?」

「知的好奇心と言ってくれないかな」

 私は階段に座り込んだ。あたりにはタンパク質が焼けた臭いが漂っている。窓を開けたかった。

「いずれ心臓か脳を撃ち抜いても再生できる生物を作り出したいんだがね」

「せめて弱点くらいは作っておいてくれ……こういうときのために」

 私がため息をつきながら言うと、彼は一瞬ぽかんとした顔をして、それから嬉しそうに破顔した。

「ああ! だからキミのことは好ましいんだよ、親友!」

 やはり彼に気に入られたのが、私の人生を狂わせたのだ。

 人好きのする笑顔を見ていると、余計にそう思った。



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