前日譚 二人の王子、ひとつだけの椅子 後編
ガーニムには、アシュラフという名の弟がいる。
皆の前で言うと怒られるから口にはしないが、アシュラフのことが嫌いだった。
十三歳になってひと月ほど経ったある日。
朝食を終え、ガーニムはすぐに席を立った。
退屈だからラクダを出してそこらの町に出てみるか。それとも訓練場に乗り込んで剣を振るか。
そんなことを考えていると、まだ半分も食べていないアシュラフがガーニムを呼んだ。
「ガーニム、たまには一緒に、ゆっくり話をしよう」
「は? お前と何を話せっていうんだ」
アシュラフの方を向かずに部屋を出る。
ガーニムを咎める父の声が追ってきたが、無視を決め込んだ。
弟の口から出るのはいつもきれい事ばかりだ。
つい最近も、スラムと貧民を助ける方法はないのかと教育係のラシードに聞いていた。
ドブネズミなんて、救う必要ないのに。
どうせ、『ゆっくり話そう』の話も貧民についてだ。
「馬鹿馬鹿しい」
誰に言うともなく吐き捨てて城を出た。
イズティハルの城下町は国で一番大きな都市で、昼夜問わず賑わっている。
ごく一部を除いて。
商人たちの活気ある声が飛び交っている。
ガーニムは市場の中心を見るとなしに見ながら歩く。
王子という立場ゆえ、望めば何でも手に入る。
だからここを歩くのもただの冷やかし。買うものなんてろくにない。
ガーニムが向かう先から怒声が聞こえてきた。
「まて、返せドブネズミめ!! 」
薄汚れた影が、通行人にぶつかりながらこちらに向かってくる。ガーニムの目の前に迫る。
「どけガキ! 邪魔するな!」
「邪魔なのはお前だ。俺の道を塞ぐな」
鞘のまま剣を振りかぶり、男の胸を突く。
「がっぐぁ……!」
避けることができず、盗人は地面に転がった。
盗品と思しい大きな紙袋が破け、パンや干し果実が土にまみれる。
「この、兵につきだしてやる!」
薄汚い男は、商人とその仲間に取り押さえられて呻いていく。骨と皮しかないんじゃないかと思うほど痩せこけていて、臭い。
ドブネズミ。なんでアシュラフがこんなクズどもを救おうと思うのか、ガーニムには理解ができない。
人に迷惑をかけている、不要な存在なのに。
「坊主、盗人を止めてくれてありがとうな」
「別に。邪魔だったからのしただけだ」
「ははは! 口が減らねぇんだな。こいつは礼だ。もらってくれ」
頼みもしないのに、ザクロを投げてよこされた。毒見役を連れていないから、この場で食べることはできない。
市場の角手木箱に座っている子どもたちは、買ったばかりのりんごやマンゴーを剥いたりせず、皮つきのままかぶりついている。
城であんなことをしたら行儀が悪いと叱られること間違いなしだ。
彼らとガーニムでは、生きる世界が……常識違うんだなと、なんとなく察する。
「……そこまで言うなら、もらっておいてやる」
商人に妙なものを見る顔をされた。この答えは不正解、そうだろうな。
平民なら、こんな時なんと答えるのか。
ガーニムは知らない。
平民の常識なんて知らなくても生きていけるから。
どうせ、順当に行けばガーニムは国王になるのだから。
数年後。
アシュラフが貧民を救うための施策を提示して王になる。
だからガーニムは椅子を奪う。
アシュラフは王に選ばれるべきではない。
ドブネズミなんか、救う必要ないのだから。
次回、本編エピローグ後の小篇です