落ち葉と世の理
庭で遊ぶ孫の姿を見て思う、祖父の気持ちになって綴った詩。
落ち葉を集めて、何をする?
庭を駆ける子供たち
わあわあ、わいわいと、木々の下に積もる落ち葉を集め出す
落ち葉を集めて、何をする?
子供たちは焼きいもをすると言う
わたしは彼らを止めて、土に埋めておやりと言う
子供たちには、土に帰す意味がわからない
ああ、子供たちよ
それはまさに、おまえたちのためなのだ
小春日和の空の下で、私たちは飢えず、寒さに震えてもいない
枯れて落ちた葉っぱにも、いもを焼く以外の役割があるのだ
それは命をつなぐこと
枯れ落ちた葉が土に帰り、大地に新たな命の芽吹く、力が満ちる
わびしい秋の夕焼けを見ながら
冬になる前に
大地に命を帰そう
枯れ葉も立派な栄養となる
おまえの求める、いもだって
栄養がなくては育ちようがない
だから子供たちよ、落ち葉は焼かずに、地面に帰しておやり
だが子供たちには、世界の理はわからぬ様子
ああ、彼らには、生命が流転する霊妙なる味わいよりも
いもを食べ、その味を知るほうが大切なのだと、子供の親も言う
ああ、彼らには、ヘラクレイトスの言葉よりも
おのれの味覚を満足させるほうが大事なのか
わたしはもの悲しく
夕暮れ迫る空を見上げて
子供の未来を心配するのだ
ヘラクレイトスの言葉「万物は流転する」という言葉ですね。
別人が残したとか、後世の人が作ったとか、諸説あるようですが。
小春日和って、「春」じゃなくて「秋」を表す言葉だそうですよ。
小春が陰暦の10月を指します。