★先達に学ぶ①「北原白秋」☆
これは詩ではなく「詩について語った」ものです。
わたしなりの詩の好みや、作家の書いた詩を読んだ、簡単な感想です。
石川啄木(敬称略)、中原中也、島崎藤村、高村光太郎──そして北原白秋。
かの先達たちの書いた詩集を読みました。
夭折した石川啄木の詩は読みやすく、日常的な詩も多く、現代人にも通じる感覚や言葉を使っているように感じます。
個人的には高村光太郎、北原白秋の詩のいくつかに惹かれました。
ただ、白秋の詩は──正直言って読みづらいものが多いです。難しい漢字を多用し、表現にも独特な内容が多いです。
さらにこれらの古い時代の詩に共通するものとして、その「時代」の言葉が使われるために、どれも意味が伝わりにくい場合も……
その中でも、北原白秋は別格の難易度でした。
でも、その表現手法や訴える力強さがあると思います。
北原白秋の『邪宗門扉銘』から、その序文を引用します。
「詩の生命は暗示にして単なる事象の説明には非ず。かの筆にも言語にも言い尽くし難き情趣の限なき振動のうちに幽かなる心霊の欷歔をたずね、縹渺たる音楽の愉楽に憧れて自己観想の悲哀に誇る、これわが象徴の本旨に非ずや」(ひらがなを一部、現代表記に即したものに変えてあります)
詩人に限らず作家とは、それなりの想いを抱いて言葉を綴るものでしょう。
ただ、詩の多くは日常的な事柄の中の一部を切り取って、その内容や奥深い印象などを読み手に感じさせ、感づかせるといった作品もあるように思えます。
さまざまな種類、傾向の詩がある中で、人の心の本質を表現するような、難解な部分を表現する詩もある。
個人的には日常生活の詩も、奥深い人間の内面を歌う詩も、大切にしたいものです。
「欷歔」=すすり泣き、むせび泣き。
「縹渺」=広く果てしない様、かすかではっきりとしない様。
「邪宗門」=邪悪な宗教といった意味。キリスト教をさしている。




