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光り人の街  作者: 鳴海 秀一
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桜雪

 既に桜は咲いていた。高校二年生の春になったのではない。高校一年生の春に戻っていた。

 彼がいたあの空間から戻った後の記憶はない。自分の部屋のベッドで寝ていた状態から変化はない。そのままベッドの上で世界の改編を過ごしたことになる。季節は冬から春になり、四月一日の朝に私は目覚めた。それまでと何も変わらない穏やかな朝。時間だけが十二月から四月になり、その時間まですべての出来事が巻き戻っていた。

 私に宿っていた真の光り人の力もなくなっていた。いくら念じようとも、もうあの世界には辿りつけない。彼が願った光り人とプリズマのいない世界は現実のものになっていた。

 また、光り人とプリズマの存在が初めから無くなっているだけではなく、世界そのものも大きく変化していた。三十年前の首都消滅は起きておらず、桐林ニュータウンも健在である。天乃市も首都消滅による被害を受けていないので旧世界のように衰退はしていない。


 他にも、この新しい世界では、私が気づいただけでもいくつかの無視できない点が存在していた。


 私の家で飼っていた黒い猫のもーちゃんだけが以前から私の家に居ることになっていた。もーちゃんは元々野良猫であり、彼が保護したことのある白い猫のサクラちゃんと野良猫時代に一緒にいたという猫だ。

 そのもーちゃんは四月の時点では家にはいない。ではこのもーちゃんは一体なんなのか? 家族はもーちゃんだと言っており、私だけがこの子の存在を受け入れられていない。旧世界では普通の猫にしか思っていなかっただけに、今すぐに誰かにこのことを相談したかった。


 次に私以外に旧世界のことを覚えている人がいない点。もっともこの件に関しては両親以外にサンプルがなく学校が始まってからでないと確かめようがない。エリちゃんたちの連絡先は携帯の中には残っておらず、安易に連絡を取ってはいけないような気がしてしまい、行動は起こせなかった。十中八九彼女らも旧世界のことを何も覚えていないであろうことは予想がつく。特にエリちゃんはこういう状況では真っ先に連絡を取ってくるタイプだからだ。

 私は大人しく六日の入学式の日を待つしかない。そこで旧世界のように出会うしかない。どちらから話しかけていただろうか、エリちゃんに草野球の補欠に誘われたことは覚えているが。


 そして、二人と同じように彼の記録もなくなっていた。携帯に履歴は何も残っていない。もしかしたらと針ヶ木劇団の記録を調べたが、彼が現役時代に名乗っていた「溝沼ソウスケ」という名前はついに発見できなかった。同じように桜瀬家について調べた中にも彼の名前はなかった。


 四月一日に目覚めてから五日間かけて得られた情報だった。ベッドの上で天井を見上げながら思考を巡らせる。明日はついに鈴懸高校の入学式当日。入学式では新入生の呼名がある。彼がいるかどうかはそこで最終的にはっきりする。


 ホームルームが終わった後の教室でうなだれていた。彼の名が呼ばれることはなかった。まだ彼がこの世界のどこかに存在し、旧世界のように鈴懸高校に来なかったという可能性は残っているが、それだけは有り得ないことだ。


 エリちゃんは結局私のことを覚えていなかった。二度目はエリちゃんから話しかけてきた。一度目のように草野球に誘われるところまでは同じだった。声をかけられて思い出したが、一度目のときはエリちゃんが落とした携帯を拾ったのが最初の出会いだった。

 学校でもいくつかの変化に気がついた。一つはエリちゃんと私が同じクラスになっていたことだ。旧世界では私は、彼とエリちゃんとは別々のクラスになっていた。

 次にその二人のクラスにいたはずの何人かの生徒がいなくなっていた。これは改編によるものかどうかは判別がつかないのであまり気にしないことにした。

 

 窓の外は朝から降り続く雪のせいでやけに明るい。四月だというのにコートを着て登校する羽目になった。

 「天気は同じなんだ」

 「同じって?」

 エリちゃんに聞かれていた。窓際の私の隣に、いつの間にか距離を詰めていた。

 「えっと、そう。今日夢で雪降ってて正夢だなって」

 「いいねそういう正夢。私も今日は雪降りそうな気がしてたんだよね。なんでだろう?」

 「なんでだろうね?」

 「こんなことが前にもあったような気もする。なんかごめん変なこと言っちゃった」

 「う、ううん。私も同じだから、エリちゃん」

 「ありがとうハルちゃん」


 ビニール傘越しの空は白とも灰色ともとれる色で着飾っていた。見慣れた街並みと見慣れない街並みの狭間を彷徨う。昨日までに見てきたところもあるが、まだ家から離れたところまでは辿り着いていない。知っているかもしれない状態が一番危険だと感覚が訴えかけていた。

 それでも今日はどうしても見ておきたい場所があった。半分見慣れていない街並みだと流石に迷いそうになる。元来道には迷いやすい方らしい。道の途中である変化に気がついた。

 「駄菓子屋がない」

 ここには確か駄菓子屋が存在していたはずだ。直接訪れたことはなかったが、いつだったか彼の記憶が私に流れてきたことがあり、そのときにこの場所には駄菓子屋が建っていた。だがそれも随分と昔の記憶らしく、彼の目線がとても低かったので、無理もないことなのかもしれなかった。


  「着いた」

 開けた土地に大きな桜の樹が一つ。彼と何度も訪れた公園。どうしても今日はここに来たかった。旧世界と同じように枝は花びらをつけていた。ここはあまり雪が落ちてきていないのか、白い雪と桜色の花びらが混ざり合っていた。その上を一つの黒い影が私の後方から飛び出して走り抜けていった。

 「もーちゃん?」

 黒い猫にみえた。そしてそれがもーちゃんに思えた。あっという間に黒い影は桜の樹の陰に隠れてしまった。桜の足元は柵が設置されていて立ち入りが禁じられている。その傍まで駆けて名前を呼ぶが出て来てくれる気配はない。

 「もーちゃんじゃなかったのかな」

 もーちゃんはあんまり鳴かない子なので返事がないのはいつものことだった。

 足元まで来たので桜を見上げる。このままこの桜の下で待っていたら、君があの日と同じようにやってきてはくれないだろうか、などと考えてしまう。

 

 彼はこれまでに様々なものを身から切り離してきたと語ったことがある。水に深く深く沈んでいくためにそうしたと。

 私は彼のその行いがあったからこそ、逆に水に沈むことなく水上に上がってこられた。浮上すればするるたびに波風カナから波風ハルカになることができたのだ。

 では私は波風カナは、波風ハルカは、水之上ハルカは、彼が切り離してしまったものを、その中からどれだけを彼に戻せただろうか。水の底に沈んでいく彼を見送ることはできなかった。彼の願いに反して自らの意思で引き上げるために再び潜っていった。水底に沈んでいく彼に浮上するために彼が切り離したものを、どれだけ渡せただろうか。彼は、最後の最後には深海ユウから桜瀬ユウになれたのだろうか?


 一枚の花びらが顔を目掛けて舞い降りてくる。前髪に乗ろうとした花びらを取ろうとして、花びらと手が触れた。

 「初めては雨の日だった......」

 後方で音がして振り返る。彼がそこにいた。あの時と同じだった。

 「桜を見に来たの?」

 「ああ、でもそれ以上に君のことが気になった」

 「それじゃあ私の家に来て。美味しい紅茶を御馳走したいの。君はこの後時間ある?」

 「君じゃなくて、ユウ君って呼んでよ」

 桜の花びらは手の平から消えていた。

 


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