水上
いつの間にか雪が降り始めていた。暗闇から舞い降りてくるそれは、あの日と同じようにただ降り続けるだけだった。
あの日もこうしてここに俺は来ていた。この場所に四月のときの面影はもうなかった。桜はついに花びらをつけなくなったからだ。色彩を失ったそれが、ただあるだけだった。
半分以上が推測だが、この桜が花びらをつけ続けていたのは、光り人かそれに類する人物が中にいたからだと考えている。
この樹は元々首都消滅の爆心地とされる桐林ニュータウンにあった。そこには俺と姉さんが流された先に植えられていた、あの桜もあったのだ。それらは首都消滅に際し光り人の力に変換された人間を吸収し蓄える。その後爆心地から移されてそれぞれの場所で年中その枝に桜色の花びらをつけ続けることになった。
向こうの樹には姉さんが、この樹には上灘マイが身を潜めるようになったのではないだろうか、ということだ。
さらにどうやら天乃の方にはサクラもその身の一部を移していたようである。
「やっぱりやる気なんだ」
不意に声をかけられる。辺りを見回し、ようやく声の主を見つけたときには間合いは十分に詰められていた。
「サリヱ......!?」
「そんなことだろうと思った。そのつもりなら、私は止めるよ、全力で」
「まさか、またプリズマになったのか!?」
彼女の手が俺に向かってくる。
一体何をするつもりなのか。その走りに迷いは感じられない。
「ユウ――――ッ!!!!」
まさか、サリヱは......。
「いいだろう、来い!!」
覚悟を決めなければならない。以前のように彼女を拒絶するだけでは駄目だ、受け入れるのだ。
だが、彼女と俺の間に割り込む影があった。
「――!!」
懐かしい白い毛並み、愛おしいあの匂い。
考える余裕はなかった。俺は三人ごと”白い世界”へ飛んだ。ここではサリヱは無力化できる。
「その猫って......」
サクラに目立った傷は見られない。どうやら最悪の事態だけは回避できたようだった。
「サリヱ、もうやめろ。ここでは君に勝ち目はない」
「嫌だ、嫌だよ。このままじゃ、ユウが消えちゃうじゃん......」
サリヱはサクラから手を放しその場で座り込む。
「確かにユウは私のこと好きじゃないかもしれないけど、私はユウのこと今でも好きだから。たとえ何もかえってくるものがないとしても、私はユウがいない世界を認めない。認めちゃいけない」
そうか、君も一緒なのか......。
「別にもう素直に消えようとは思っていないよ。君がプリズマとしてもう一度俺の前に現れてくれたお陰で、より成功率は高まった。だから、俺の中に来い。俺と一つになるんだ」
サリヱはもう何も語らなかった。
俺は彼女が本当に求めるものに訴えなければならない。そう直感していた。
サリヱを一人にはしたくなかった。一人取り残される辛さを、彼女にも与えることはできない。そして、サリヱがもう一度プリズマになった以上、見捨てるわけにも、見逃すわけにもいかない。全てのプリズマと光り人は、俺が救う。救ってみせる。ずっと前からそう決めているのだから。
「できれば、君には俺の中に来てほしい」
「あのね、女の子はそんな口説き文句じゃ靡かないよ」
サクラが漸く気がついた。立ち上がり辺りを見回す。ここが”白い世界”だと認識し、俺の顔を見上げていた。
「もう大丈夫だ。今は俺の中にいる。サクラの特等席だったのに、済まない。だが朗報もあるぞ。因子が五つ集まった。これで改編はより成功確率が上がった」
どうやらサリヱが調達してきた因子は、上灘ニルスが留まっていた建物こそ、カホコが用意していた予備の研究施設だったらしい。そこであれば、予備の因子が残されていてもおかしくはない。
サクラは軽快に左肩に飛び乗った。
「試す価値は、十分にあるよな?」
白い世界で、改編することになる過去の一点まで遡る。今のこの時代に光り人とプリズマが誕生するきっかけになったあの瞬間へ。
「最後の、改編だ......」
最後の改編は”白い世界”の中心で行う。中心はより光が強い。その中で俺はついに全ての役目を終える。
プリズマが生まれる原因も、光り人が本来の歴史よりも早く誕生したきっかけも同じところにある。大沢博士が妻を失ったその瞬間こそが分岐点である。その時間へ光り人の力を送り込み妻と大沢博士を一時的に意思疎通が可能な状態にする。彼女にはその後にやってくる暗黒の未来を見せ、尾曾阿波博士に誤った道を行かせぬように説得させる。この程度が過去への干渉としての精一杯だった。あとは俺にできることはない。
だがこれで終わりではない。この現代から同時にやることがある。”現在の固定”をしなければならない。過去を変える際、通常であれば今現在の世界は大きく変化を受けることになる。本来望んだ世界とは大きく変わることを防ぐために、今この世界の状態を定義し、改編する過去と今この世界を最低限の改編内容で接続させる。この作業には多くの光り人の力が要求される。
だが、やるしかない。もう一度中心の核に手を触れようとしたそのときだった。その右腕を強く掴まれた。
「へへっ。ま、間に合った」
「病人は寝てなきゃダメだろ。医者になるなら自分の身体を先ず治せよ」
「だって、先に行っちゃうから。自分だけ言いたいこと言って、そのままいなくなるのは狡いよ。私だって、言いたいことがいっぱいある」
「ハルカ......」
「ユウは、誰が、ユウが何と言おうと人間だよ。だから」
俺は確かに光りに溢れた水の上の世界を求めていた。だがそれと同じくらいに君が深く冷たい水の底を目指して潜るような世界を否定したかった。
だが、君が言うように、その二つをどちらも手に入れることができるならば、その世界を最後まで求めてあがき続けてもいいと思えたのだ。
俺はずっと水の中で泣いていた。水の中にいたからそれに気づかなかった。それだけなのだ。
「大丈夫、俺は必ず天乃に戻る」
「信じて、待ってるからね。約束だよ?」
ハルカは俺にまじないをかけて”白い世界”から走り去っていった。
「あいつは間に合うんだな」
再び定義が始まる。足りない光り人の力はやはりこうして補うしかない。自分の胸に手を押し当てて自らの身体を分解し光り人の力に作り替える。
しかし当初の予想通り光り人の力が足りなくなる。これの対処方法は一つしかない。たった一つの可能性を除いて
「そろそろ来いよな」
頭を後ろから叩かれる。振り返ればドリルゼノンのストラップが浮いている。
「やっと来たか、俺」
ドリルゼノンのストラップは輝きながら光の粒になっていく。
「俺の分までハルカを守ってくれたことには礼を言う。だが最後にもう一度だけ力を貸せ」
これで足りなかった分の全てが補われた。
完全に憂いはなくなった。これで俺が望んだ最後の改編は寸分の狂いもなく実行される。
「俺が望んだ世界がもうすぐ誕生する。サクラ、今までありがとう。もう少し先の未来で、また会おうな」
漸くこの時が来た。ここに残っていた俺とサクラが、白い核の中へと入れば、全ての改編は完了する。ずっと左肩に乗っていたサクラを抱き上げる。柔らかな感触がどうにも愛おしくて、顔をずっと埋めていたい気分になっていた。サクラは答えるように頬を舐める。くすぐったくて、はにかんでしまう。
「さあ、先に行っておいで」
サクラを先に核の中へ送る。きっと白い猫の姿のサクラとはこれが最後となる。ゆっくりと惜しむように歩くサクラの背中を見つめていた。
「本当にありがとう」
消えていく後ろ姿にそう呟く。
そこで俺の役目は完全に終わった。




