波風
十二月の休日、午前中に珍しく外出していた。ここは天乃市ではなく隣町の駅前。天乃市にかつて続いていた鉄道はここが終点になっていた。今日はここから電車に乗り隣町の中心地まで向かう。そこで今日、ハルカとデートをするのである。
「ユウ!」
ハルカが名前を呼びながら小走りで近づいてくる。風邪をひきそうな程寒く感じられるスカートを揺らしながら。
「えっと、おはよう」
「おはよう。あれ、言ってもいい?」
「ど、どうぞ」
呼吸を整えてハルカがはにかむ。
「ごめん待った?」
「ううん、今来たところ。そ、その」
やはり口がうまく動かなくなってしまう。ハルカはいつも見慣れているはずだというのに、デートと言うシチュエーションが追加されるだけで、これほどまでに特別感が演出されるという事実を、俺は知らなかった。セーラーカラーが付いたトップスは四月に見たものとはまた雰囲気が大きく異なる。そして大きな桜色のリボンは一番のポイントなのだろうか。ボトムスは言うまでもない。
「か、可愛いと思う」
着ていたコートを脱ぎたくなった。
「あ、ありがとう......」
駅前の喧騒しか聞こえなくなってしまった。それからお互いに言葉もないまま、自然に駅へと入ってしまった。
映画の上映までは時間があった。チケットはハルカのお母さんが譲ってくれていたが、時間はそれなりに遅かった。
「せっかくだから、色々買い物しようよ」
映画館は大型ショッピングモール内にある。これで大型扱いなのかはよく知らない。
「ねえ、これなんかどうかな?」
様々な衣服や小物を見定める役割に徹していた。全肯定とまではいかないがセンスは非常に高いと感じさせられた。勿論代替案の提案も欠かさない。
「そのワンピースよりもこっちのロングスカートの方が......」
「そうかな?」
最後にハルカは帽子屋に入った。
「これはどう?」
「いや、全然似合わない」
「えっ」
「あ、お客様でしたら、こちらなんか」
店員が入ってきた。
「それも違う。あなたちょっとこちらに」
昼食は少しだけ離れた人気という噂のカフェにエスコートされていた。
「ここのオムライス、結構評判なんだよ」
提供されたそれは二人で分けて丁度と言った量だった。ハルカは、どうやら休日にカフェを巡ることをそれなりにしているという話は以前どこかで耳にしていたが、ここは初めてなのだと察することができた。
天乃市で一番有名なカフェは、やはりここは自信をもって「喫茶ソレイユ」だと回答する。一方ここがどれだけ有名なのかは把握していない。
ここはソレイユとは違った匂いがしていた。こういう違いを味わうのも楽しいことなのかもしれない。
「そういえば、ソレイユで前までバイトしてたよね。あれってなんでだっけ?」
「ま、まあ、色々だよ。あかねえもいなくなったし、マスターも腰を痛めた、とかで」
ここが分水嶺だと、必死にはぐらかす。
「そっか」
店内は人が少ない。一瞬貸し切りにでもしたのかと勘繰るがすぐに破棄する。
「あんまり楽しくない?」
冷や水。コップの水もまだ冷たい。
「そ、そんなことは、ないよ」
「やっぱり、決勝で負けたこと、気にしてるよね。ごめんね、負けたらデートはしないつもりだったって言うのに、私が勝手に」
「デートはしたかったよ。だけど、ああ決めた以上、ちょっと格好悪いなって」
「ユウでもそういうこと気にするんだ」
「は、ハルカだからだよ」
シアターにいるうちに俺はあの日のことを思い出していた。十年前のある春の日、一年中桜が花弁をつける公園の樹の下。泣いていた女の子にラムネをあげたあの日のことを。
二人分のラムネを持って、女の子に近づく。その子はやはり泣いていた。なんだか泣きっぱなしはよくないんじゃないかと考え、閃く。このラムネを使うのだ。新しく買ってきた方をそっと女の子の頬に近づけていく。ラムネの瓶が、女の子の頬に触れるまでの一瞬が永遠のように感じられた。
ようやく触れると、女の子は驚いて少しだけ宙に浮く。目には見えない箒が、自分にだけは見えたような気がした。
「はいこれ。一緒に飲もう?」
差し出したラムネを慎重に受け取ろうとする女の子。やはり冷たすぎるのか抵抗があるようだった。先に買っていた方も差し出して好きな方を選ばせてみる。どうやら先に買った方がお気に召したらしい。
「君は、この辺に住んでるの?」
「違う、お母さんの生まれたところ」
ようやくまともに口を開いた女の子は、天乃市ではない遠いところから来たと語った。天乃市は母親の地元であり、療養中であるということだった。父親と妹と一緒だったが逸れてしまい、桜の樹の下で動けなくなっていた。
「わかった、俺が必ず探し出す!」
そう宣言した次の瞬間に俺の迎えの車が来た。そうして桜瀬家の力によって事態は解決した。
「水之上ハルカ」
「えっ?」
「わ、私の名前」
「俺は桜瀬ユウ!」
「あ、ありがとうね。ユウ君......」
感謝される筋合いなどなかった。道化を演じたに過ぎなかった。だがそれがなぜか妙に心地よかったのだ。
その女の子と今こうして一緒にいられるのは、きっと......。
肘掛けの左手を握られて我に返る。ぞろぞろとシアターから人が出ていく。
「もう終わったよ。どこか具合悪い?」
しまった。余計な心配をさせてしまったことを謝罪して、いよいよ帰路に就く。
始まる前はあれやこれや、色々な心配をして時間を浪費した。始まってからはハルカのことを変に意識してしまった。そのせいでいつもの俺ではなかった。終わりが近づけばこの時間を惜しむ。
「ねえ、最後にちょっといい?」
手ごろなベンチに並んで腰かける。思ったよりも寒くて身を寄せ合う。
「どうしたんだ?」
「球技大会のとき、トモユちゃんの様子がおかしかった。もしかしなくても、記憶消したよね」
「ああ。トモユの因子を貰う際に」
「どうしてか、聞いてもいい?」
「答えるよ」
以前からトモユがプリズマのままでは、彼女が抱く夢を叶えることはできないと理解していた。これまでの彼女の哀しみも元を辿れば大半が光り人とプリズマに行き着く。その原因を根本から叩くのはなにも可笑しい話ではないはずだ。
「そして、もうトモユにはそれらと関係ない世界で生きてほしかった」
「よくそんな寒い台詞言えるね」
「すみませんでした」
「責めてるわけじゃないよ。ただやっぱり、ちょっと妬いちゃう」
「い、今はっ!! 今は......」
「いいよ。続けて?」
「今は、ハルカがなによりも一番大切で、大好きだから」
「うん、知ってるよ。そんなユウが、トモユちゃんを本当に守りたかったんだよね。だったら、私は何も言えないよ。守りたいものは、なんでも守りたくなっちゃうんだよね、ユウは」
「ハルカ......」
「あともう一つ。トモユちゃんが言ってたけど」
ハルカが言葉に詰まっていた。
「昔からユウは”自分”と”それ以外”だったら、必ず”それ以外”を変える方を選ぶ、って。これって、ユウ自身は、どうやっても変われないって諦めてるからなの......?」
「考えたこともなかったな......」
「ううん、それは違うよ。トモユちゃんが言いたかったのは、ユウが一番改編したがってるのは、自分以外じゃなくて自分自身だ、って......」
「ハルカ......?」
彼女の声が遠くなっていく。いや、正確には小さい。すぐ隣にいるのに非常に小さい。
「顔が赤いぞ」
失礼して額に手を当てる。かなりの高熱であることがすぐにわかる。
「おい、ハルカ!」
呼びかけても返事が来なかった。一番に彼女の母親に連絡し、これからハルカを連れて帰る旨を伝え、ハルカを背負いながら駅へと向かった。
このプリズマの身体を、今日だけでも感謝していた。隣町の駅から波風家の家まで俺のコートを着せて担ぐのは、そうでなければ完遂不可能だっただろう。
「すみません、ハルカを」
「いいのよ、さあさ上がっていって。病人がいるからいつまでも、とはいかないけど」
温かいお茶と間食まで頂いた。ひと息ついたところで携帯電話に着信があった。一度離席し外に来ていた二人と顔を合わせる。
「ありがとうジュン、エリ。確かに”これ”は受け取ったよ」
二人は場所が別だが今日はデートの日であった。その後に二人は預けていた荷物をここに届けてくれた。
「ハルちゃんは大丈夫そう?」
「ああ、さっき落ち着いたよ。その様子だと、そっちは心配要らないな」
「お陰様でね。ユウ、本当にありがとう」
「僕からも。ありがとう」
「そうだ、ジュン、ちょっと動くなよ」
ジュンの肩に手を置いて少し力を込めて掴み飛ばす。するとジュンの身体から未来のジュンが引っ張り出されて実体を持った。
「ああ、未来のジュンちゃん」
「初めまして、でいいのかな?」
「驚かないんだな、僕を見ても」
「ねえ、未来のジュン君」
ハルカがいつの間にか背後に立っていた。彼女を支えるが、これはてこでも動かないとすぐにわかった。
「大丈夫、これだけはあっちのジュン君に伝えなきゃ......。今エリちゃんが被ってるのは、レミさんとの思い出の帽子。そしてそれにこっちのジュンちゃんが選んだリボンをつけてる。今のエリちゃんは、ユウが私達と一緒にいたから今ここにいるんだよ。私からは、それだけ」
「まったく、エリちゃんだけじゃなくて、ハルカ姉さんにも敵わないよ」
「いいのか......?」
「僕も本心じゃなかったのかもしれない。色々すまなかった」
こうして未来のジュンの一件はあっさりと解決してしまった。
「それじゃあ、私たちもこれで。ユウは風邪ひかないように。ハルちゃんはお大事にね」
「二人とも、本当にありがとう」
ハルカを再びベッドへ寝かせる。ハルカが眠りにつくまでは傍を離れずにその顔だけを見つめていた。俺は十年前に出会ったあの日から、ハルカに惚れていたのだ。間に奇妙な再会を挟むが、こうしてまたこの天乃で再び巡り合えたことは、なによりも素敵なことではないか。ハルカこそが今俺が全てを賭けて守りたいものなのだ。この想いが人間であれば力に変えられるというのだから、つくづく人間は素晴らしい。
ずれた布団を直す。具合が悪いと寝相が悪くなるタイプなのかと変な納得をしてしまった。
「四月六日に出会ってから、今日までいろんなことがあったな。ハルカに誘われて草野球の助っ人になたのが最初だったか。みんなで野球するのは本当に楽しかった。
五月は大きな船に乗って旅行のはずがそれどころじゃなくなったな。そのときに貰った携帯電話は今でも宝物だよ。
あとは俺のサクラ探しも手伝ってもらったな。一年前にサクラがいなくなったときは、最悪な想定は絶対にしたくなくてずっとそれを否定し続けてきたけれど、実際にはその通りで流石にあれは耐えられなかったな。それでもようやく見つけられたことは本当に安心した。ずっと心残りだったからな。
そしてサクラへの手向けになればと思って、俺も自分の夢の残骸に、『ガン・デルタ』にちゃんと向き合おうって決めたんだ。
諦めないでよかった。
「みんなと一緒に作って、合宿までしたな。派手なことはあまりしなかったけれど、とても楽しい夏休みだった。
文化祭はそういう意味で大成功だった。作品がどこにも引っかからなかったのは悔しくもあったけれど。でも次回作はハルカが作りたいって言いだして、こっちはいいところまで行けそうだし安心したよ」
寝顔を見つめる。どこかで割り込んで欲しかったのだが深い眠りについているようだ。
「なあ、ハルカはいつ俺が好きになったんだ?」
返事はない。
部屋を出た先で再び食卓に手招きをされた。そこには肉じゃがが用意されていた。
「あの子が作ってた肉じゃがって、君の為でしょ。どうする?」
サプライズは見事に返されてしまった。
「お言葉に甘えて、頂いていきます。あ、それと映画のチケットありがとうございました」
「いいのいいの。こういう事しか、してあげられないからね」
「この肉じゃが、君の一番好きな肉じゃがだって言っていたけれど、レシピを考えたのって」
「母です。元々は姉の大好物で」
「それって桜瀬さんとミユキちゃん?」
「そうですけど......」
「やっぱりそうかあ。桜瀬さんたちには色々と面倒を見てもらったから、ちゃんと恩返ししたかったんだけどね。少しは、返せたのかな?」
「返せていると思います。とっても」
「そう、君が言うならそうかもね。うん、きっとそう」
「自分はもう、食べられないと思い込んでいましたから」
「それはよかった。あのね、たとえ君に本当の親がいなくても、桜瀬さんたちも、私たちも君のこと、本当の家族だと思ってるよ」
「ありがとう、ございます......」
「美味しい?」
頷くだけで精いっぱいだった。もう味はわからなかった。
最後にもう一度ハルカの様子を見に向かったが、起きている気配はない。
「俺は桜瀬ユウになりたかった。人間の、本物の桜瀬ユウに。俺はこれまで君にどれだけ本心を見せてきたかな。きっと片手も埋まらないかもしれない。
だから、最後にこれだけは本心として伝えておくよ。
十年前から、好きでした」
彼らがくれた二台の携帯電話をプレゼントの箱の横に添える。これはもう必要なかった。どうせなら、ハルカに渡しておきたかった。同じく置かれていたハルカの携帯電話が目に留まる。そこにはいつものようにドリルゼノンのストラップがつけられている。
「君のお陰だったな。礼を言うよ」
「ユウ君......」
あの日の女の子の声を聞いた気がした。
「ハルカ......?」
この部屋で、この世界で俺がすることは、もう何も残されていなかった。




