交渉
平日の放課後、見慣れたバッティングセンターに足を運ぶ。月島ジュンは野球経験者というだけあって安心できる戦力である。しかし波風カナと塩浦エリはこのままでは当日が危うい。二人はバッティングよりも守備の練習が優先なので、ここには行かないように説得をしていた。
この場所から彼らを遠ざけているのは、練習メニューが理由ではないと自分でも薄々気づき始めていた。
今日もご令嬢は一番奥のバッターボックスでバットを振っている。二年前と変わらないその光景に安堵する自分がいることも、ついこの前知った。
「そんな交渉で私が試合に出なくなると思ってるの? 秘密主義なのは変わらないんだ」
「そこまで秘密主義ではないだろう。プリズマのことくらいだろ」
「私がそんな改造兵士っていう話はいまだに信じられないけれどね」
「でも力は何回か使ったことあるんだろ? 疑う余地ないだろ」
「あれは記憶も曖昧だし、本当に作用してたのか私もよくわかってないよ」
「なら使うな」
俺と同じくプリズマであり、その4番目である須澄トモユは今日もバッティングセンターで練習に励んでいた。俺はその彼女に交渉をしに来ていた。
「ちなみに聞くけど、ユウはなんで試合に出ようと思ったの?」
「なんでって聞かれてもな......」
いわれてみれば何故俺は草野球の試合に出ようと思ったのだろう。確か数日前までは試合に出るかどうかは自分でも決めていなかったはずだ。ジュンの光り人の存在を知ったからかだろうか。確かにプリズマならば光り人と接触しその力を得ようとすることは性でもある。
光り人は生身の人間が死後に持つ「光り人の力」を使うことで時間を除くこの世の理に干渉を行う。生前に成し遂げられなった善行をするだけの機会と異能をもたらされた存在が光り人である。そしてその異能の力は往々にして余るらしい。なぜ過剰にもたらされるのかはわからないが。
俺は光り人の力自体には興味はない。そもそも協力を決めた段階では光り人の存在すら認知していなかったのだから当たり前だ。ジュンに出会うよりももっと前だ。
波風の記憶喪失の話を聞いて、それで......。
「それは言えない、かな」
トモユの表情は冷たかった。
「女か。女でしょ。女なんでしょ」
地雷を踏んだ気がした。踏んだというか踏まされたというか。冷たさは引っ込んだが、少々面倒になりそうだった。
「そんなわけあるか、でたらめ言うなよ」
「女の子と付き合うのはいいけど、せめて、せめて事前に一言あってほしかったな」
「ワンクッションあったら納得するのか」
「すると思うの?」
「なんなんだよ。どうでもいいけれど、力を使ったりするなよ」
「わかってるよ、私がP4だってばれたら大変だもんね。私にもできることがあったらなんでも言ってね」
「話変わるけど、針ヶ木に戻ってくるつもりはないの?」
「またその話か。ないと答えたはずだぞ」
「じゃあ針ヶ木以外だったら、どう?」
「俺にもう一度演劇の世界に戻れという意味か」
「私は戻ってきてほしい」
「針ヶ木以外でも同じことだよ」
針ヶ木劇団。それは十年前から五年前まで俺が所属していた劇団である。俺とトモユはそこで文字通りの「先輩と後輩」だった。当然俺達の出会いも針ヶ木だった。
僕の出演舞台が一度のまま、新規団員オーデションが始まった。そもそも劇団の経営状況が好ましくないらしいので、オーデション前のふるい落としが設けられ、最終的に合格になるのはたったの一名らしい。
劇団設立当初の志はすでに失われている。首都消滅後のこの国を元気づけられるような役者の育成を目指していたはずの当劇団、それが今では金持ちの子息のたまり場と化している。かくいう僕もその一人であることに変わりはなかった。恐らくこの劇団から今後国を代表するような役者は生まれないだろう。どうせみんなは、かつて有名俳優を多く輩出したという針ヶ木劇団に所属していたというステータスが欲しいだけなのだ。そしてそれもきっと自らの意志ではない。親に言われていやいやここに通っている人間が大半だ。
既に役者を目指すのに環境がいいとは自分でも思えない。金持ちしか集まらないのでそれ以外の人間は寄り付こうともしないからだ。そんな凝り固まった環境では進歩は生まれない。別の劇団も考えるべきかもしれない。
「おい、候補生見たか?めっちゃ可愛い子がいるって話だぜ」
「お前見てないのかよ」
「たとえ顔がよくても金持ちの家じゃないともうここは採らないでしょ」
「さっき覗いてみたけどその子、お世辞に役者は向いてないと思うよ」
どうせ顔だけ見て決めたのだろう。少なくともオーデションがあると知って入団を希望するのであれば、
当人にやる気はあるはずだ。野次馬と同等の扱いになることは承知で噂のかわいい子を見に行くことにした。
オーデションはこれから最終項目の自己アピールのようだ。
候補生は俺と同じくらいの年の子ばかりで、特に大人びた様子もその逆も感じられなかった。
「お、ユウも覗きに来たのか? ユウはどの子がいいと思う?」
「それ僕に聞いていいの? 斎藤さん」
「参考までにだよ」
「あの真ん中の子がみんなが噂してる子? なんかイメージと違う」
「まあ女の子は彼女だけだな。まあ役者の器じゃないとは思うが。」
「ねえ、斎藤さんって即興劇どれくらいできる?」
例の女の子は諸々の項目では誰よりも劣っていた。こればっかりは覆しようのない事実だった。
廊下で一人の例の女の子を見つけて思い切って声をかける。
「君、オーデション受けに来た子だよね?」
それが彼女への第一声だった。あのときの緊張に揉みくちゃにされていた顔は忘れることはないだろう。
「は、はい。そうですけど。あなたは――、ま、まさか」
「初めまして、溝沼ソウスケです。君の名前は?」
「わ、私須澄トモユって言います。私あなたに憧れてこのオーデションを受けようって決めたんです。まさか今日出会えるなんて」
「そ、それれはよかったね。オーデション、ちょっとだけ除いたんだけど、もしかして君って ――」
「そ、そうです、どうしてわかったんですか!?」
「まあね」
「最後のフリーアピールタイムなんだけど」
彼女は即興劇を披露し、審査員達の評価を一変させた。この劇団にダイヤモンドの原石がやってきた。
「お前みたいなヤツがやってきた後に、居場所なんてあるわけないだろ」
「え? なんか言った?」
トモユは打席に立ち、ヒットを連発していく。俺達がまたここに集まれていることが妙に嬉しかった。これまでにもいろいろなことがあった。それまでの関係でいられないときもあった。それでもその度にやり直してきた。俺達が特別な関係だから、それだけでは説明できないなにかが、俺達の間に存在する気がしていた。
「もしも俺が演劇の世界に戻ったら、トモユはどうしたい?」
「私は、先輩ともう一度共演したい。『ヒカリビト』のときは、私が足引っ張っちゃったからし、それに」
ヒット。これで十本目。
「あれは仕方のないことだろ。誰だって台詞のド忘れくらいするさ。それにあのときは事なきを得たんだ」
「それに、まだ引きずってるんでしょ、お父さんとお母さんのこと」
「それ以上はやめろ。口に出すな」
トモユがネットの中から出てくる。
五年前の六月、針ヶ木劇団は演目『ヒカリビト』を上演することになっていた。主演南トモユ、相手役は溝沼ソウスケ。それぞれ当時のトモユと俺の芸名、つまりトモユと俺がメインの舞台だった。上演はたった一日の一回公演のみ。俺の出演舞台の次回作であり劇団の命運をかけた舞台となった。しかし上演数日前に大きなアクシデントに見舞われる。トモユが自身のセリフを全て失念したのだ。幸い主演以外のセリフは覚えていたので相手役の俺と役を急遽変更し本番となった。突然の配役交代にもかかわらず演目は高評価を獲得し、めでたく劇団は再生を始めた。
しかしその裏で悲劇が起こっていた。俺の両親が事故で死んでいた。俺が舞台で喝采を浴びている間に父さんと母さんは炎に包まれこの世を去っていた。乗っていた車は激しく炎上し救出も間に合わなかったらしい。その事実を知った俺は一か月は立ち直れなかった。
そして針ヶ木劇団を辞めた。両親の事故がなくとも『ヒカリビト』を最後に針ヶ木を辞める決心は既についていた。”須澄トモユ”という絶対的な才能を認識してしまったのだ。あの頃の俺に致命傷を与えるにはそれだけで十分だった。悔しさはさほど感じなかった。むしろすがすがしい気分だった。彼女の才能を十分に磨くことができればこれ以上ない逸材が生まれる。一目見たときに、俺は確かに感じていた。そして針ヶ木劇団のみんなもやがて気づき始めた。
「トモユ、トモユはなんで針ヶ木に入りたいって思ったんだっけ」
「あれ? 昔は理由なんてどうでもいい、とかいって聴こうともしなかったのに急にどうしたの?」
「今になって気になった。これじゃダメか?」
「別にいいよ。先輩は先輩の初舞台って覚えてる?」
俺の初舞台は今から八年前まで遡る。入団から二年が経ってから掴み取った初舞台だった。
「覚えているよ」
「私それ観劇してたんだよね。先輩の役ってお世辞にもメインとはいえない人物だったじゃない。それでもあの舞台の上で誰よりも熱を感じたというか。まあかっこよかったから、かな」
「あ、ありがとう」
「あの日、本当は舞台なんか観たくなくて結構ぐずってたんだけど、先輩にだいぶ焚きつけられちゃった。今じゃ針ヶ木劇団の看板みたいなものだよ」
「そこまで名が売れてくれれば十分だろ」
「本当にありがとう。あの日の舞台に立ってくれて。今の私があるのは先輩のおかげ」
素晴らしい才能を潰すことにならなくて本当によかった。この街にも大きな損失となっていただろう。針ヶ木劇団の入団希望者も年々増加傾向にあるらしい。
「トモユは、自分がプリズマであることを呪ったことはあるか?」
「ふとしたときに未来が勝手に見えちゃうのはうっとおしいなと思うときはあるよ。でも、呪うほどではないかな。先輩は呪うの?」
「何度も呪ってきたよ。数えきれない」
「知らないほうがよかったと思う?」
「知りたくなかったね。あの家の子供じゃないなんて知りたくなかったし、君を傷つけることにもならなかった」
「私は今でもこうやって先輩と一緒にいられるだけで嬉しいよ。またここに戻ってきてくれてありがとう。この前はちょっとテンションおかしかったけど」
「この前は無理しすぎだろ」
「それだけ嬉しかったってことにしてくれませんか?」
「はいはい。俺も全然顔出せなくてごめん」
トモユは笑って俺を許した。
「じゃあ先輩、試合の外でいいから、当日に私と一球ずつだけでいいから勝負してよ。私が勝ったらもう一度だけ私と舞台に立って。先輩が勝ったら先輩のお願いをなんでもひとつ聞く」
「お、おいおい。急にどうしたんだ」
「私、仕方なかったとはいえ納得いってないんだ。先輩が私と主役交代しておきながら、あの舞台で名声を集められなかったことがね。あのあと私宛てのファンレターは山のように来たのに、先輩宛てのはひとつも来なかったんだもん」
「それは俺も知っているよ」
「私が知ってる先輩は舞台に立ったら無敵なんだよ。でもあのときはそうじゃなかった」
「俺が舞台で手を抜いたんじゃないか疑っているわけだな」
「そういうこと。どうせ私が勝つなら、本気の先輩に勝ちたい。手を抜いた先輩に勝ったって意味がないから」
「そんなに俺に勝ちたいか?」
「......勝ちたい」
「わかった。その勝負受けよう。フェアでないから俺が勝ったときのお願いを今考えよう。そうだな――」
正直トモユにしてほしいことはあまりない。
「チョイスは任せるから豪華客船の旅をプレゼントしてくれ。5人分で。須澄グループのお嬢様なら簡単だろ?」
「え?そんなのでいいの?」
「じゃあそれで決まりだ」
「日時はいつくらいがいいの?それって深海家のみんなの分?」
「まあそんなところだけど、詳細は俺が勝ってからでいいよ。でも準備はしておけ?」
「言ったな!? 絶対に負けてやらねえからなぁ?今から減量しておけよ?」
その必要はないがポーズだけでもやっておくことにした。トモユがいる日常はなぜこうも楽しいのだろうか。また調子に乗られると迷惑なので本人には絶対に言わないけれど。




