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光り人の街  作者: 鳴海 秀一
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林檎

 既に俺はそこにいた。土と草の匂い、遠くに見える灰色の瓦礫、そして静かに流れる水の音。天乃市に流れる矢米川の河川敷であった。

「何をしに土手に来たんだったか」

 日は高く、昼間である。いつの間に夜が明けたのだろうか、時刻で言えば十時ごろだろうか。あの一件以降は足を運ぶ気になれず、河川敷へ降りることを自然に避けていた。場所に罪はないことは理解していたはずだった。

「できることならあまり来たくはないな」

 誰かを何かを悪者にしてしまうのは常に人の意思である。

「それにしても、静かすぎるな......」

 昼間の土手ならば、誰もいないということはない。天端を行く人が誰かしらいるはずである。しかしそれも確認できない。加えて、よく知った景色だというのに妙に落ち着かない。不安にさせる、異様な雰囲気だけだった。それに、なぜか口元にも違和感を覚えていた。

 一刻も早くこの場を抜け出したかった。携帯はバッテリーが切れているのか反応しない。誰にも連絡を取れない状況だった。ハルカ、ジュン、エリ......。

「私の知っている土手じゃない......」

 違っていた、知っている者がいつの間にか隣にいた。人を驚かせることしかしない、ひときわ背の小さい彼女が右に立っていた。

「さばみそ」

 彼女の横顔をみるのはこれで何度目だろうか。その度に見せるのは決まって左側であった。知り合ったのはつい最近だというのに、ずっと昔から一緒にいたような安心を覚えていた。さらりと伸びた長く美しい髪も、いつかの愛おしい人そのままであるかのようだった。

「はいさばみそです。あのー、そろそろ本当の名前当ててほしいんですけど?」

「初耳だが」

「こっちだって、待ってるの辛いんだからね?」

 さばみその真意はいつもわからない。

「ていうか、本当は私がいること忘れてたでしょ」

 おそらくこの空間は人為的に生み出された、ある者にとって都合のいい空間である。

「さばみそ......、君がここの外側に取り残されているものじゃないのか。そういうもんだろ」

「もしかしてお約束の話?」

「それ以外に?」

「そういうの、よくわからないの。教えて?」

「また今度にしようか」

 俺が教えるよりも、彼女には聞きたいことが山のようにある。全てはずっと知りたかったことだ。彼女の本当の名前も俺は知らない。さばみそと名付けたのは俺だ。しかし彼女には別の、以前の名前があるはずなのだ。それを彼女が言わない理由はよくわからない。言えない理由もわからない。

「それじゃあ、今はこの世界から抜け出す方法を考えようか」

「君は――」

 彼女に手が伸びる。それに合わせ彼女の掌が上げられる。指先と掌が触れ合う。幾千幾億もの光景が刹那に過ぎ去っていく。傷だらけの少女、遠くの人ごみの中で燃える何か、そして手を伸ばしている、俺......。

「ちょっと、私の話聞いてた?」

 さばみそが俺の顔を覗き込む。少しの怒りと呆れを滲ませている。

「おーい、なんか上の空って感じですけど。夢でも見てた?」

 夢......。そうか、これは夢か。

「ゆ、夢?」

「夢から目覚めるためには――」

「え、ほっぺつねる?」

「全然効かない。てかお約束知ってるじゃないか」

「だったらめちゃくちゃ、目覚めろっ! て念じるくらいしかないんじゃない?」

「念じる?」

「そういうの、得意でしょ」

「そういうのでいいのか。力は無限じゃないんだけど」

「それとも、もう必要ないかも」

 さばみそが見やるは、西側。つまりは上流。風景が酷く歪んでいる。歪みはゆっくりと俺達に向かってきている。

「あの歪みは、きっとこの世界の綻びね。あっちからこの世界が終ろうとしているのね」

 綻びは次第に下流側へ降りてくる。さばみそが飛びつきしがみついて離さない。

「おい」

 そのとき、誰も他にいるはずのない世界なのに、誰かがいるような気がした。上流側の水門の方向。その天端に誰かの気配を感じた。


 ただ青空だけだった。どうやら夢は覚めていた。屋上にブルーシートはひかれたまま、寝落ちしていたらしい。ただしクッション代わりにしていたタオルは回収されており後頭部が痛かった。

「おはようさん」

「さばみそか.....」

「そんなに待たなかったよ。早く下に降りないとみんなが心配するよ」

「そうかな......、そうかも」

「でもこれってこのままでいいの?」

「それ、あいつが用意していたものだから。一応詫びを入れておくか」

 指差すは天体望遠鏡。電話は繋がらずメッセージを送り、屋上を後にする。

「ねえユウ、あの......」

 屋上から降りる階段。その階段の数段上からさばみそはそう言いかけて停止する。

「さばみそ?」

 その次にジュンの呼ぶ声がして気を取られた隙にさばみそは再びいなくなっていた。神出鬼没。まさに怪異のそれであった。これで驚かせるつもりがないは通じないだろう。

「相変わらず我儘なお姫様だこと」


 本日は製作の日程にも余裕があり、とある用事があって商店街の岬探偵事務所に来ていた。初めからここには人の気配が全くしない。物の配置が動こうとも、人がどれだけいようとも。ここもそういう場所なのだと、自然にそう受け取るようになっていた。これが初めからこの場所にとっては当たり前であり、なにも異常はなく。

 だが今日はいつもと違うことがあった。依頼人と探偵が向かい合って座る想定で配置されたソファー。その間に置かれたローテーブルの上にペットボトルがあった。探偵事務所には決して似合わない、リンゴ百パーセントのジュース。本来ここにあってはならない、己の全てを賭けてでも否定しなければならない事実があった。用事も投げ捨てて事務所を走って飛び出した。


 学校に戻るとゴミ袋の回収をしていた用務員さんとジュンが立ち話をしているところに遭遇した。敷地内屋外、教室棟と体育館の間。ごみ収集場所。

「あれ、どうしたの。まだ自由時間終わってないよ」

「ジュンこそ、どうしたんだ」

「用務員さんがゴミ袋を換えてたから、なんでだろって思って話を聞いてたところ」

 ジュンが言うには今は夏休みでゴミも大量に出るわけではない。だというのについ数日前に回収したゴミがもう満杯だというのだ。

「これって、校内だとあそこでしか買えないんだよね」

 問題のゴミの出所を指差しながらジュンは続ける。

「一昨日に業者さんが入れ替えしてたから、たった二日で売り切れだよ」

 自販機のなかで、ただ一つだけが売り切れになっていた。それは事務所で見た例のリンゴジュースだった。

 ジュンと用務員さんにお礼を告げ、奴を探す。きっと能力を使うまでもなく、初めから奴がいる場所はわかっていた。そこで俺が来るのを待っているような気配さえ感じた。


 教室棟の端、用がなければ生徒は立ち寄らない場所に美術室はある。それは俺を迎え入れるには最適な場所であっただろう。ドアの両脇には遮光用の黒い布が掛けられている。漆黒の暗闇へ俺を招き入れんとするかのようだった。ただのドアノブのはずだった。だがそれはこれまでのなによりも重く、気持ち悪かった。いつかの吐き気が治ったと錯覚していただけなのかと思うほどだった。

 ゆっくりと、ゆっくりと扉を開く。余計な音を立てぬよう、その先の光景を僅かでも拒絶するかのようにゆっくりと開く。部屋の中央には白いだけのキャンバス。そちらを向くでもなく、一人の少女がこちらを向いている。その人物にとってキャンバスなど全く意味がなかった。それを取り繕うことを今更彼女はしない。その必要はなくなったのだ。十五年前、一人の女子生徒はかけがえのない大切な出会いをここでした。そして今その正反対の出会いを俺はしている。

 俺に自分の前に座ることを促すかのようにもう一つの椅子が置かれていた。その顔は不気味なほどに笑みを作っている。大げさではない。それでいて尋常ではない笑みだった。

「やはりここにいたか」 

「やっぱりばれてるみたいね」

「お前、プリズマなんだな。サリヱ」

「そうだよ、ユウ」

 サリヱは立ち上がり一歩近づく。 

「ユウと同じプリズマだよ」

 裏切りの味は甘酸っぱかった。


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