追憶
かつてこの街は怪獣に襲われた。その危機に一人立ち向かった巨神がいた――。だけど僕以外の誰も、覚えていなかった。怪獣も、巨神も。まるで初めからそんなことなんてなかったかのように。この街は日常を取り戻しつつあった。だけど、また怪獣が出た。
数年前に書き上げた脚本のあらすじを読み上げる。空き教室を部室にあてがわれた我ら四人の部活。その最初の活動である企画会議が執り行われていた。俺が当時書き上げていた脚本の品評会、想像通り一番の好反応はジュンだった。流石に同じ道の同志である。好評でなによりだった。五月には薄い反応だった塩浦も今回は好反応だった。鑑賞会が効いてくれた。
「あの、私は件の作品をよく知らないんだけど」
「布教に関してはジュンが立候補してくれている。俺もジュンの方が適任だと思う」
「そんな布教をしている時間はあるの?」
「今日集まってもらった本題にも関わることだ」
「本題これからなんだ」
「本題って何よ」
「ずばり、県外ロケをしてきてもらいたい」
「それって私達だけで?」
「ああ、俺には別の作業がある。というかここまでは俺一人でやったんだからここは頼まれてくれ。もう宿まで予約してある」
「準備早すぎない?」
「場所ってどこなの」
「富士近辺。ジオラマにもあっただろ、ハルカ」
「た、確かにあったね」
「最終局面で背景に欲しいんだ。最終決戦の前後に必要だ」
「もしかしてそんなに期間ないの? せっかくの夏休みなのに」
「撮ったものを送ってくれたら後はそれなりに延長してくれて構わないぞ。向こうにはこっちから話を通しておく」
「ねえ、ユウは本当に行かなくていいの?」
「構想の本人がいないのは問題なんじゃ」
「そこは君の感性を信じてるよ。それにこっちでやらなきゃいけないことがあるといっただろ。悪いが行けないんだ」
二人に目線を送る。察しを祈る。
「で、でも......」
「わかったわよ。ハルちゃんお願い。私とジュンちゃんだけだと、きっとうまくいかないと思うの。その、あれだから」
「新婚旅行にしないためにも、三人で行ってほしい」
「ちょっと、そこまで言ってないでしょ」
「お願い、僕からもこの通り」
結局下校時間となり今日は決まらなかった。もう明日には夏休み前最後の登校日となる。一学期がこれで終わるのか、これで終わってしまうのか。桜瀬夫妻が亡くなったあのときからと、入学式の日からとがほぼ同じような時間の流れだったように錯覚してしまう。話があるとジュンを先に行かせた塩浦は、昇降口まで俺の隣を歩いていた。
「愛しのハルちゃんと一緒に旅行できるのに。もしかして五月のあれと関係あるの?」
「察しがよくて助かるよ。それだけじゃないけど」
今朝のことだった。篠田リュウジからまた相談を受けていた。
「トモユが写真を撮らせてくれない?」
「ああそうなんだ。もうずいぶんと話もできるようになったんだけど、一緒に写真を撮るのも、家でちゃんと撮らせてほしいって頼んでもだめで。何か心当たりはないか?」
彼には特に何も教えはしなかった。だが心当たりはあった。むしろ心当たりしかなかった。
「鏡恐怖症? 彼女が?」
「ここ数年、彼女は劇団を休んでいただろ。その原因だ。レッスンに鏡は必要だからな」 「鏡のどこが嫌いなのよ彼女」
「自分の顔だよ。嫌味に聞こえるかもしれないが、彼女にとっては嫌で嫌で仕方がないのさ」
「それについて、ここにユウが残る必要があるってことね」
「ま、そんなところだ。それに、今はハルカと距離を置いた方がいいような気がする」
「二人のことはわからないけど、私との約束だけはちゃんと守ってよね」
「ハルカを、カナを泣かせたりはしないよ」
「よろしい。それじゃまた明日」
外で待っていたジュンに塩浦は抱き着く。流石に暑いのかジュンは引き剝がそうとしていた。どうして俺達は、ああじゃないんだろうか
特に用もなく商店街へ来るのはいつ以来だったか。それほど日は経っていないはずなのに、もう既に遠い過去のように感じられた。似たような考えを何回もしていることに気づく。
空間を満たす珈琲の香りは変わらない。ただ、淹れた人が変わったのか僅かな違いも認められた。喫茶ソレイユ、ここは昔から来ているとか、そう言う訳でもないのに妙に落ち着く。そんな場所になっていた。そして変わらないあかねえがいた。
「いらっしゃい。なんか飲む?」
「アイスコーヒーで」
「もうすぐスズカケは夏休みでしょ。どっか出掛けたりするの?」
「俺は特にその予定はないかな。本当は行きたいけど」
「私が連れ出そうか?」
「それなら、どうせなら行きたい場所があるんだよね」
「お、どこどこ?」
「プリズマについてのデータを閲覧できる場所。あかねえなら、知ってるよね?」
アイスコーヒーはこぼれることなく運ばれてきた。
「その話、誰から聞いたの。私がプリズマだってこと」
「否定しないんだね。自分がプリズマだってこと」
「否定してほしかった?」
「ううん、藤井さんと同じプリズマが、あかねえで良かった思うよ。だって悪い人じゃないってわかるから」
「先輩の人徳あってこそね。やっぱり敵わないな」
「あかねえだって、人徳あるんじゃないの」
「というと?」
「ここのスイーツ目当てに県外からも人が来てるって聞くよ。すごいことじゃん」
「美味しいって言ってもらえて、笑顔になってくれるのは嬉しいよ。それがとても簡単なことじゃないってことも。でもね、一番笑顔になってほしい人には、なってもらえなかった」
「藤井さん、舟次郎さんって言ったほうがいいのかな」
「どっちでもいいと思うよ。どっちも先輩にとっては大切な名前だと思うから」
あかねえは店外へ出てドアの看板を裏返す。
「店を閉めるね。いい加減、私もちゃんと向き合わなきゃいけないと思うから」
「向き合う?」
「これは昔話。十五年前の、どこにでもいるような高校生のお話」
後にあかねえと皆から呼ばれることになる少女は当時十五歳。高校生活に馴染めることなく日常を浪費する少女は鈴懸高校美術室に迷い込み、三年生の男子生徒と出会う。
「君は菓子をよく作るのか」
それが男子生徒、上灘舟次郎の第一声だったという。
「そんなあなたは絵を?」
女子生徒、棗珠樹は返す。今は茜屋紫温と名乗っているが当時はこの名前である。
「どうしてお菓子作りのことを?」
「甘い匂いがした」
「鼻がよく利くんですね」
「生まれつきじゃない、後からそうなった」
女子生徒は自分の手を嗅いでみる。甘い匂いはしなかった。
「絵具の匂いしかわかりません」
「人間にはそうだろうね。作った菓子は持ってきているのか?」
「自分で食べる用にしか作らないから、不格好だけれど」
「構わない。今甘いものが欲しい」
「それで、藤井さんはなんて?」
「味覚が変わったせいでよくわからないって。別に言わなくてもいいのに」
「変なところで正直なのは昔からだったのか」
「なんか変な人がいるな―って。第一印象がそれなのに、絶対に美味しいって言わせるぞっていつの間にか。結局卒業までに言ってもらえなかった」
「藤井さんが卒業してから会ってないの?」
「一度だけ会ったよ。五番目の子を頼むって。それがユウなんだね」
「藤井さんからはP5って聞いてる。P4については?」
「詳しくは知らないけど、誰かは把握してるって言ってた」
「そのP4とP5のことが知りたい。そいつと俺のプリズマ因子について」
「大方の話は見えてきたわ。その子のために、頑張りたいんだね」
「それもある。けれど俺はそいつを元の、普通の人間に戻してやりたい」
「先輩から教えられなかった? 私達プリズマは一度なってしまえば二度と元には戻れない。一生人ではない別の存在として生きるのよ」
「自分の意思でなったのならそれを否定したりしない。だけど、あいつはそうじゃない」
「いいの? それって自分を見捨ててるんじゃないの?」
「見捨てる?」
「君は人として生まれる前からプリズマであることを運命づけられていた。それを言ったら、君はどうなるの」
「自分のこと、もうあまり考えたくないんだ。最初から人じゃない俺は、きっと普通にはいられない。せめて自由意思があるなら、そのときが来るまでは自分のしたいようにしたい。今はプリズマの調整データの閲覧がそれなだけだよ」
「そっか、もうたくさん考えた後なんだね。いいよ。どこに行けばいいのか教えてあげる。だけど一つ約束して。必ず友達とこの店に来て」
「ありがとう。約束は守るよ。でもそんなことでいいの?」
「君たちを見ていると、先輩との約束をちゃんと守れたと思えるから。お願いね」
「先輩との約束?」
「自分が好きになれたこの街を笑顔が絶えないように守ってほしいってね」




