背景
衣替えも終了するこの頃、相変わらず俺達はいつも通りに集まっては目的地も決めずに同じ時間を過ごしていた。
「須澄先輩って、事実上の休業中だったんだよね?」
塩浦と波風の他に誰もいない教室、塩浦の疑問が俺にぶつかる。
「ああ」
「それとは関係ないの?」
彼女の興味は須澄トモユに向けられている。トモユが南トモユを名乗ることがこの先何回あるのかは誰にもわからない。願わくばその才能を無駄にすることなく活躍してもらいたいものだが、プリズマ化による恩恵とあれば気は進まないことは想像にたやすい。しかし彼女の事実上の休業はもっと別のところに原因がある。彼女はそれを直接俺には言わない。しかし推察は容易だった。
「この一件はトモユには関係ないな。主に俺と劇団にだ」
「深海さんは休業の理由、聞いているんですか?」
「聞いていない。波風さんも聞いていないのか」
理由はあれしかないだろう。
「でもこの前はそんな感じ全然しなかったから、てっきり嘘なのかと思ったけど。休業中だったとはね」
南トモユは休業中である。公表はしていない。劇団のブログには一年近く登場していない。調べれば誰もが辿り着けるのはここまでである。そこから先は関係者しか知らない。そしてその最も重要な原因は今は誰にも手が出せない。俺の予想が正しければ、その鍵はこの学校に今なお存在している。
絵具の匂いだけがする美術室にサリヱは佇んでいた。絞められたカーテンの隙間から漏れる光は粋な演出となっていた。
「先生はじきに来ると思うよ。先生に頼みって何なの?」
「物を貸してもらいたいだけだ。お前だって興味があるんじゃないのか?」
「話は見えてこないけど」
「舟次郎なる男の顔、見てみたくないのか」
目的は十五年前の卒業生の卒業アルバムである。それで俺の疑問は解消されると読んでいた。
「ああ、舟次郎さんね。私は別にいいかな」
意外な反応だった。そのすぐ後に彼女は盛大に転んだ。抱えていたスケッチブックがめくられ、絵が一瞬だけ顔を覗かせた。ひとりでにカーテンは閉められた。スケッチブックを拾い上げる。サリヱはスカートを払いながら立ち上がる。最後に前髪を直した彼女にスケッチブックを返す。
「ユウはわからないかもしれないけど、憧れが強すぎると、実際にあったときに結構幻滅しちゃうもんなんだよ。それで好きじゃなくなるなんて悲しいじゃん。私はそれが嫌だから、もう憧れの人には近づきすぎないようにしてるんだ」
「サリヱは、遠くから見ているだけで満足だと?」
「何も満足いかないよ。もっと知りたいと思うし、好きになりたいけど、それじゃだめだから」
「舟次郎さんのことは好きか?」
「好き、だと思うんだけどね」
文化祭用に描いているキャンバスに向かいながら彼女は答える。絵の良し悪しは俺にはわからない。しかしその絵に迷いが現れていることは理解できた。
「サリヱは、絵を描くのは好きか?」
「多分好きじゃないかな。ユウが見ても、いい絵だとは思わないでしょ。自分が生み出したものを好きになれないんだから、他の誰が見たって好きにらないよ」
「何かを作るっていうことは、究極的には自問自答なんだと思う。自分の中にある以上のものは生み出せないから、気に入らない物ができたらそれは自分の中の嫌いなもので。好きなものができたら自分の中の好きなところってことだと思う」
「いいこと言うじゃん」
「父さんの受け売りだよ」
「栄一さん?」
「昔、天乃の復興を始めた訳を聞いたときにね」
父さんは学生当時天乃が好きではなかったと言っていた。学校を面白いと思ったことはなく、退屈な授業をやり過ごし誰とも遊ばずに家に帰りたいだけだった。そんなある日首都消滅が起こった。このときにせめて自分が暮らす街くらいは自分の手で安心できる街に変えていけないだろうかと、考えるようになったという。そしてその過程で自分自身にも変化を期待していたとも語っていた。その変化のひとつに母さんとの出会いがあるとも。
「人生は破壊と創造のどちらかでしかない。そしてそれらは自問自答でしかないと」
「私やっぱり難しいことはわかんないや。でも、ありがとう」
「実を言うと俺もよくわからん」
「なによそれ」
自分が生きていることの意味など、わからない。何を作り何を壊すのか。そんな問いにはどうにでも理由をつけられる。それに意味はない、自分の中で納得したいだけでしかない。
「サリヱは普段どんな絵を描くんだ?」
「基本は風景画かな。よく土手に出て描いてる」
「今度、描くところを隣で見ててもいいか?」
「えっ、え?」
結局この日は先生との遭遇はなかった。
土曜日の午前中。天乃市内を流れる一級河川、岩占川と県内を流れる一級河川の合流地点である岩占水門に集合場所は指定されていた。
水門の両脇には度手に住み着いた野良猫への援助を行う有志の人たちの置いていく餌置き場が設けられている。俺はサクラ探しの過程で何度かこの場所へ足を運んでいた。相棒の黒猫探しは足をほとんど使わなかったので実に半年ぶりであった。土手の上から餌置き場を確認する。新しく住み着いた猫は見当たらない。それを素直には喜べない。
「ごめん、もしかして結構待たせちゃった?」
私服姿のサリヱが来ていた。デニムにTシャツという簡素で身軽な印象を持たせていた。
「今来たところだ」
「もしかして手ぶら? 今日は暑くなるって予報では言ってたけど大丈夫?」
「暑いのも寒いのも平気なほうだ。サリヱは?」
「暑いのは大丈夫。でも紫外線が気になるから帽子は持ってきたよ。暑かったら言ってね。長居はしないから」
「だから平気だって」
サリヱは適当なところに腰を下ろしスケッチブックを広げる。土手に来て描くものは南方に広がる瓦礫の街だけであると彼女は言う。
「いつもこの場所で?」
「たまに変えたりするけどね。描くのはいつも瓦礫の山だけだから」
「瓦礫の山っていうのは映画の中だけで十分だ。現実になんて要らない。俺はそう思う」
「首都消滅の後から、爆心地周辺には入れないって言うよね。土地とかもったいないなとは思う」
首都消滅の原因と言われている新開発地。桐林ニュータウンにて詳細不明の爆弾のようなものがさく裂。首都を中心に爆風により天乃市にまで被害は及んだ。ニュータウンの生存者は一人もいない。その後首都湾上に新首都が建設されるも瓦礫の街と化した旧首都は立ち入り不可という現実を前に人々の記憶からも忘れ去られようとしている。
「きっとみんなそのうち旧首都を忘れていく。私は忘れたくないから、描いてるんだと思う」
「サリヱはいつから風景画を?」
「二年前からかな。最初はなんでもない風景を描いてたけどしっくりこなくて。元々この土手が好きだったから自然と旧首都を描くようになった」
「人は、描かないのか」
「私描き上げるの遅いから無理だよ」
「じゃあ俺を描いてくれよ」
「は、話聞いてた?」
「同じポーズを取り続けることには慣れている。それに、サリヱに描いてほしい。サリヱの描く絵をもっと見てみたい」
言い終わる前にサリヱは荷物をまとめて走り去ってしまった。
「役者にはなれねえな......」
太陽を背にして北方に広がる天乃の街を見渡す。かつて父と来た時には背の高いマンションやビルが存在し、随分といびつな街並みに思えた。それが今ではこの土手よりも背の高い建造物はもう両手に収まる数しかなかった。




