復帰
基本的に外出を制限されている謹慎期間はいつも以上に暇であった。安曇さんにはいつでも私に来ていいと言われているが用がないのであれば行く気にはならなかった。
体育祭当日から土日を挟んだ、五月最後の月曜の謹慎初日に様子見に来たのは意外にも塩浦であった。
「元気そうでよかった。昨日は色々とごめん。あの後カナちゃんからいろいろ聞いた。いつも説明が少なすぎるんだよユウ」
「とりあえず茶出すぜ」
安曇さんの部屋へ通し緑茶をお出しする。煎餅は結構らしかった。
「昨日は巻き込まれたって言ったけど、私もカナちゃんを悪く言うなら反発する。だからもうそうは思わない」
「それは本人に言ってあげればいい。あいつの友達だろ?」
「それはユウだって同じでしょ」
「昨日あれだけ怒ってたんだから違うなんて言わないでよね。カナちゃんも嬉しかったみたいだし」
「嬉しい?」
「私だってジュンちゃんが私のために野球をもう一回してくれたの、嬉しかったんだから」
「確かジュンは経験者だったよな」
「お母さんのサポートのために中学に上がる前に地域のクラブチームを辞めてたんだよ。それから全然野球やってなかったから。いきなり誘われたときは驚いたよ」
「なるほどな......」
「でもそれもジュンちゃんが自分なりに考えて、行動した結果だった。私はそれがわかっただけでも、嬉しいんだ」
とても満足そうな表情で湯呑みから緑茶を飲み干す。これは一体何か、惚気か。この際惚気でも何でもいいので、いつの間にか外出していた安曇さんに早く帰宅してもらいたかった。非常に慣れない。
「そのジュンはどうした?」
「今日から中等部はテスト期間だからしばらくはお預けなのよ。禁断症状が......」
「ここにジュンはいないぞ」
「そんなことわかってるけど。というか、私達だってもうテスト期間よ」
「そういえばそうか。まあ処分の結果次第だな」
「絶対に戻ってきなさいよ、カナちゃんをこれ以上不安にさせないでよね」
嵐の去った後は、虚しさだけが散らばる。
「どうも彼らに近寄りすぎたか......」
湯呑みを流しで洗う間の何たるや。
自室に戻ろうとしたところで二人目の来客が来た。
「お元気そうですね、深海さん」
事情を元から知っているだけあり身体のことについて彼女は何も言わない。手間は少ないが素直には喜べない。
「ついさっきまで塩浦が来ていた。二人が別々に来るとは思わなかった」
「そうだったんですか?」
塩浦が独断で訪ねて来ていたらしい。これも意外だった。
「緑茶でいいか」
「紅茶はありますか?」
「紅茶は無いみたいだな。緑茶か麦茶しかない」
「では緑茶でお願いします」
波風は紅茶党だったのかもしれないなとふと思う。
「先日はすみませんでした。私のせいで」
深く頭を下げる波風。
「君が謝ることじゃない。俺の独断でやったことだ。盗難も賭けも全て予測の上で、避けようとせずに俺が利用しただけだ。それに謝らなければならないのは俺の方だ。あのとき何としてでも君をあの場から遠ざけるべきだった。君からあれを事前に聞いていたというのに」
「深海さん、私のことカイゾクって呼んでみてくれませんか?」
「何故だ?」
「理由も聞かずに、一度でいいのでお願いします」
言い表せない緊張があった。
「カイゾク......」
「やっぱりですね」
言葉も状況も呑み込めない。
「私、きっともうカイゾク呼びが嫌じゃないんだと思います。深海さんになら特に」
「それは意味はないのでは......」
「一人だけでもそれで平気なら、別に気になりませんよ」
いつか、彼女の本当の記憶を取り戻さなければならない。それを再認識した。
五月三十一日、謹慎は解除された。結果は〈ハゲネズミ〉のみの退学処分であった。深海ユウは残念ながら退学処分とはならなかった。戻った俺をまず待ち受けていたのは中間テストだった。ジュンとエリは苦戦していたようだった。テストをやり過ごした後に波風たちによりとある誘いを受けていた。
「針ヶ木に見学に行く?」
「はい。以前からトモユさんにお願いしていたんです。深海さんの現役生時代についても、興味あるので......。御迷惑でしょうけど」
どこか図々しいところがあってこその波風だということは感覚で理解し始めていた。
「それで、明後日に行くことになっているのか」
「はい。創立記念日でお休みですし」
「申し訳ないが、その日は補講が入っていて俺は登校日だ」
数日の謹慎ではあるものの授業への出席には影響している。不足分の埋め合わせとして補講が組み込まれていた。補講といっても用意されたプリントと設定された時間向き合うだけの簡素なものである。しかしサボるわけにもいかないのでお誘いは断るしかなかった。そして何故か篠田リュウジも同じく補講対象生徒になっていた。
「トモユによろしくな」
針ヶ木劇団、俺自身が桜瀬家と向き合わなければならないと直感しているように、塩浦は自らの母と、波風は封印された己の過去と向き合う必要があるように、針ヶ木劇団も同じである。それは逃れられぬ敵であり超えねばならない壁である。
二日間のテスト期間の後、リュウジとの補講が始まる。
「な、なあ。深海ってなんで補講受けてんの?」
「謹慎喰らってたんだよ」
「何したんだよ」
「危ない遊戯」
「遊びはいいけどよ、大事なものはしっかり守らなきゃダメだろ」
「大事なものじゃない、大切なものだ」
「わかってるならいいけどさ」
「そういうお前はどうなんだ。トモユは」
「いや、それがさ......」
言いよどむリュウジ。
「本当は今日針ヶ木劇団の見学会に誘われてたんだけどな......」
「補講のせいでパーになり怒らせた、か」
「御名答です」
「補講が終わったら、俺たち二人でトモユに頭下げて見学会設定してもらおうか」
「いいのか? というか、深海って元劇団員だよな」
「俺やお前のためじゃない。波風達のためだ」
「そういう割には波風を避けてるみたいじゃんか。気にしてたぜ」
「別に避けてる訳じゃない」
「見学会に参加できないのすごく残念がってたしな」
「そんなに俺を誘いたかったのか」
意外だった。先月の強制旅行を思い出す。須澄のバックアップがあれば今回も参加になっていたのだろうか。
「今日はトモユも劇団にいるんだよな」
「そうだと聞いてるよ。どうかしたか?」
「あいつからは、南トモユについて、何か聞いてるか?」
「休業のことか」
「ああ。一年以上劇団に近寄っていないと思っていたから、顔を出せるようになったのはいい傾向だと思う」
「そもそもなんで休業してたんだ? 特に発表もなかったようだし、深海は何か知ってるのか」
俺は知っている。直接確認したわけではないが状況証拠からほぼ確定である。
「なあ、原因を取り除くことはできないのか?」
「それは......、すぐには無理だろうな」
「深海は原因知ってるのか」
「本人から聞いたわけじゃない。憶測だ」
「リュウジは知りたいのか?」
「初めて出会ったときから何となく感じてたけど、トモユって結構普通な女の子なんだよな。今まで写真集とかでしか見たことなかったから、わからなかった」
「今高美波の技術の賜物ってことか。プロの見解だな」
「それもあると思うが、俺がちょっと幻見すぎてたような。もっと遠い、雲の上のような人だと思っていた。ただ、少し申し訳ないような気もする」
「申し訳ない?」
「だってトモユは針ヶ木劇団が誇る大女優だぞ。その名前を知ってるならふつうはサインを欲しがるくらいの知名度はあるんだ。それでも、可愛い女の子って感じがするというか」
「ふふっ」
「な、何がおかしい」
「誰も何もおかしいなんて言ってないさ。そういうことは本人に直接言ってやるもんだぞ。それと」
「それと?」
「お前がそこまで須澄トモユが好きだとは思わなかった」
「おかしくないんだろ?」
「ああ。お似合いだと思うぜ」
事実二人は素敵な組み合わせだと思っている。初めて劇団でお互いに顔合わせをしたときに聞いていた彼女自身の理想の相手に相応しい。
「なあ深海、携帯鳴ってないか?」
リュウジに言われて初めて気づく。携帯に呼び出しがかかっていた。画面には塩浦の名前が表示されていた。
「はい、深海です」
「ねえ、そっちからカナちゃんに繋がらない??」