支配
体育祭当日、午前の部が終了し昼休憩明け一発目の種目は部活対抗リレーであった。俺は無所属故に暇な時間であった。それは塩浦も波風も同様であった。
「塩浦はホームメイキング部に入るんじゃなかったのか」
「結局私は入ってないよ。何というか空気が苦手で」
「波風さんも帰宅部か?」
「それは深海さんも同じなのでは?」
「今更なにかを始める気になれんだけさ」
「以前にもそんなことを言っていましたね」
「二人は、午後は出番あるのか?」
「何もないよ。君もでしょ」
教室に戻りサボり惚けたい気分だったが、防犯上の都合により校舎は施錠されているので中には入れない。先日よりも強い日差しに曝されながら、校庭の砂埃に塗れるしかないのである。
「にしても今日は暑いな。二人とも平気か?」
「私は平気だけど」
「す、すみません。少し気分がすぐれないので、保健室に......」
保健室というよりは養護教諭による日陰の休憩所といったところか。昇降口脇の一角にベッド、椅子を五つほど並べて作られた区画だった。一般の生徒の待機所は日向である。日向を嫌う奴らは校舎の影の方へ逃げている。ここには流石に来ていないようだった。塩浦に付き添いを指名され波風をここまで連れてきたところで役目は終了かと思われたが、養護教諭が席を外すらしく、臨時の番を任されてしまった。こういうものは、専門の委員会生徒が受け持つものだと思っていたのだが。波風はベッドに横になっている。
「正直に言うと仮病だと思っていた。済まない。そんなに具合が悪いのか」
連れてきた段階では、そこまで深刻そうには見えなかったのだが。
「ええ......」
指示されていた検温では平熱から著しく上昇はしていないと波風は申告している。頭痛、だるさなどの症状があるようなので、熱中症の疑いがある。養護教諭が戻ってきたら指示を仰がねばならない。
「大丈夫か、波風さん」
返事はなかった。振り返るとさっきまで横になっていたはずの波風が起きていた。風を肌で感じた気がした。
「波風さん......?」
ベッドに近寄る。唐突に抱きつく波風。状況が呑み込めない。
「ユウ、やっと会えた......。本物だ......」
「二人とも調子どう~?」
戻ってこない俺の様子を見に来たのか塩浦が介入してくる。終焉を覚悟した。しかし波風の方から抱擁を解かれた。少々首が痛くなっていた。
「ん? 何かあった?」
「な、何も」
「何もないよエリ。それよりどうしたの?」
「カナちゃんはともかくユウが戻ってこないから様子見にね。何もないなら早く戻ってきなよ。椅子取られてるよ」
校庭に椅子を出し生徒待機所を作っている都合上、不在者の椅子は勝手に使われる。
「勝手に使わせておけばいいさ。そういうお前も無くなるんじゃないのか」
余計な世話をわざとかいて塩浦を追い払う。
「君は、波風カナではないな。一体何者なんだ......」
「当ててみればいいじゃない、名探偵さん?」
まるで幼い子供のいたずらのような、遊びの延長線上のような雰囲気を纏わせる言葉の節々に、懐かしさを感じるのは、きっと気のせいである。
「波風カナの人格はどうなった。それともこれは愚問か?」
「その問いの答え、はぐらかしたいところだけど。無事よ、彼女。安心しなさい」
「その身体、あんたに任せていいのか」
「それは君がこれから判断することでしょう。私に尋ねても無意味よ」
普段のおとなしく静寂をその身に纏わせる波風とは似ても似つかない雰囲気の少女だった。いや、少女以上かもしれない。
「ふ〜ん。そんなことになってたんだ。でもさ、それってカナちゃんの前の人格が出て来て、その本人とユウがずっと前に出会ってた、とかじゃないの?」
戻ってきた養護教諭に後を任せて待機所へ戻る道中で合流した塩浦に状況説明をしていた。下手な誤解はされていないようで一安心していた。
「それが一番考えられる線だよな......」
「納得がいっていないように見えるけど」
「一人の人間の身体に、二人分の人格。既に前例を目撃しているだろう」
「光り人だっていうの......?」
ジュンの身体にレミさんはいた。レミさんは自前の力を既に多く失っていたためにその機会はなかったが、多くの力を残していれば、宿主の身体を自身の意志で動かすことも可能であろう。
「完全に同じではなかったが、光り人の力のようなものを、あのときに感じた」
「やっと会えたって、もしかして針ヶ木時代のファンの子だったりするんじゃないの?」
「ファンレターは一枚も来なかったよ。それはないな」
「あんなに顔もよかったのに、そんなことってあるの?」
「実際にあったことなんだがな......」
針ヶ木時代の俺に人望はなかった。それだけが結果である。もっともソウスケの名前を捨てた後もたいして変わらないが。
「それより、お前はもっとクラスの輪の中にいるべきじゃないのか」
「どうせ応援なんて本心でしてないよ、みんな。そういう私も特に優勝なんてどうでもいいから何も言えないよ」
「それは俺も一緒だな」
我がクラスはまとまりがない。一人の圧力によって仮初の団結を見せているに過ぎない。気に入らぬものは淘汰され、捨てられぬように行動しているだけである。そのような集団は長くは持たない。いずれ瓦解する。そして第二第三の圧力に支配されるだけである。
「ああいう集団はトップが変わるだけでやってることはいつまでたっても変わらないものさ。誰かが革命を起こしても、血で血を洗うだけだ」
「まるで見てきたような口ぶりだけど」
「今の深海家がそれさ。深海家頭首、深海宏太朗は三男だが上の二人の兄を蹴散らしてあの地位にいるからな。所謂恐怖政治さ」
「深海の家にいたくない理由、わかる気がする。でもなんでそんなところに栄一さんはユウを託したの?」
「さあな。何か狙いがあったのかもしれない。いずれあの家は出るつもりだし、跡継ぎなんて御免だね。向こうもそのつもりのようだし」
父が、桜瀬栄一が恐怖で人は従わないことなどとっくに知っていたはずである。ドリルゼノンにしろ、首都消滅にしろそれに気づくタイミングはいくらでもあり、それに気づかないほどではない。であれば何故遺言で深海家を選んだというのだろうか。
体育祭はその後大きなトラブルもなく終了した。結果は興味がないので知らない。椅子の足拭きを終えて、帰りのHRも済んでしまった。
「風に吹かれながら黄昏てるけど、ユウはまだ帰らないの?」
開かれた窓は風を通している。
「ああ、今日はまだ帰るわけにはいかんな......」
「カナちゃんも戻ってきたけど」
いつの間にか波風が塩浦の隣にいる。
「深海さん、どうかしたんですか?」
波風カナだった。先程の別人格ではない。
「ほら、テストも近いんだし早く帰ったほうがいいんじゃない?」
「それなら二人で帰ってくれ。俺はまだ帰るわけには――」
「もしかしてこいつを探してんのか?」
この瞬間を待っていた。待っていたのだが、これでは間が悪すぎる。これもすべてこれまでの行いの結果であることは認めるしかない。
こうして俺の中でも五本の指に入る、悪い時間が始まった。
その男は、〈ハゲネズミ〉と裏では呼称されている。しかし彼には〈ラット〉の方がお似合いだろう。
「随分と仲がよさそうじゃねえか、ん?」
「お前には関係のないことだろ。それよりも、盗んだものを返せ」
「何のことだ?」
「俺のバッグから鍵を盗んだろ。今すぐ返せば不問にしてやる」
「お前さぁ、さっきから随分偉そうにものを言うじゃねえか」
「お前に遜る必要などない」
「何だと?」
「このクラスのほとんど、取り分けお前の周りにいる奴ァお前をこう呼んでるんだぜ、ハゲネズミってな」
「ハゲネズミだぁ?」
「勿論言い出しっぺは俺じゃねぇ。俺にそんな人望がないことはお前が一番知っているだろう?」
「誰だって言うんだ?」
「お前が一番慕っている男だよ。〈ボスザル〉さ」
〈ボスザル〉というのもその醜態により名付けられた蔑称である。エイプかモンキーか、それは人によるだろう。
「お前、何が目的だ」
「既に言った。盗んだ物を返せ」
「蔑称といえばーー、そこのそいつにもお似合いなものがあるじゃねぇか。ん?」
やはり間が悪かった。何としてでもこの状況は回避すべきだった。
「わ、私?」
「塩浦じゃない、波風さんの方だ」
「〈カイゾク〉だったっけか? ピッタリじゃねえか」
「海賊?」
「プレイデータが飛ぶ海賊版ゲーム。記憶をなくした劣化版のそいつそのものだろ」
波風の顔色がみるみるうちに悪くなっていく。昼間の疲労もある。このままではダメだ。
「おい今すぐ先の発言を訂正し、波風に謝罪しろ。波風は劣化版なんかじゃない。一人の人間だ。今すぐ訂正しろ、今すぐだ!!」
応じる輩ではない。奴が次にとる行動は見えている。そのための下ごしらえである。二倍上乗せだが。
「俺に勝ったらしてやってもいいぜ。こいつでな」
奴が自らの机から取り出したのはプレイング・カードだった。ビンゴ。
「トランプ?」
「ポーカーだ。お前の望むもの全部賭けてやるよ。お前は――、そうだな塩浦にこのゲームを撮影させろ。そしてその映像をクラス中に拡散する。それと、〈ボスザル〉に頭下げろ」
「二つも要求するなんて......」
塩浦を腕で制する。目線で波風を任せる意志を伝える。伝わってくれた。椅子に波風を座らせた後に塩浦に携帯で録画を初めてもらう。勝負は、ここから始まる。
「俺はお前に勝ったらお前が盗ったものを全部返してもらう。お前が勝てばこの動画の拡散と〈ボスザル〉への謝罪、だったな?」
〈ラット〉に向き直り瞼を一度閉じる。深い息をつき、開いた両の瞳で奴を捕らえる。
「俺はお前なんかに負けない。この勝負、受けて立つ」
「成立、だな」
「フン、勝ったな」
塩浦が声を漏らしたような気がした。
「勝負は普通ではつまらんな。何かハンデをつけてやるよ」
〈ラット〉によって呼び出された同じクラスの男子一名を交え、塩浦と彼によるポーカーディーラーによってゲームは仕切られる。この男子の名前に至っては覚えていないので〈チップ〉とでもしておく。二人は交互に俺と奴に、それぞれの山からカードを配る役目であり、お互いの側のディーラーが配るカードで役を競う。カードの交換はそれぞれ回につき一度まで枚数とする。勝負は全五回。
使用するのは開封済み、裏面のデザインの異なるプレイング・カードが二つ。この国の通称に倣えばトランプである。未開封品であることが賭けに用いる最低条件のようなものだが、その差は既に些細なものである。
「俺はジョーカーを含めた、五十四枚の山から四つのスートの絵札と10を抜いてやるよ」
「......はぁ? なんでお前が上なんだよ、お前は下だろうが」
文脈は理解している。彼の意図はこうだ。俺に好きなハンデを認め、その上で自身が勝利を勝ち取ることで己の優位性を誇示するのだ。だがそれすらも意味をなさない。
「聞こえなかったのか、二十枚抜きだ。役無し扱いだ。出てもペアにはならない」
「ちょっとそれってこっちが圧倒的に不利じゃない、勝つ気あるの!?」
流石に塩浦も驚愕を隠せない。むしろ落胆だろうか。
「あんたはややこしくなるだけだから何も喋るな」
〈チップ〉に釘を刺す。〈ラット〉を見やるが彼は何も返さないので意味はない。結局彼は何も言わずに己の作業を始めた。
この勝負はハンデの有り無しに限らずこちらが圧倒的に不利である。使用するトランプはあちらの所持物。当然カード個々の痕や癖などこちらは一切把握できていない。ディーラー役の〈チップ〉は言わずもがな〈ラット〉の息がかかった奴である。普段から同じ集団の中にいる。むしろ金魚の糞である。極めつけは〈ラット〉が常日頃からトランプに触っていることである。恐らくこのクラスの中で一番トランプの扱いに長けた人間であろう。そして二番目が〈チップ〉と糞が続く。休み時間に簡単なマジックを披露している場面を何度か目撃したこともある。
「お前ほんとに馬鹿だなぁ。いくら何でも俺を舐めすぎだぜ」
「いいから始めようぜ、どうせ三回で決着だ」
「ねえ、ユウ本当に大丈夫なの?」
「俺が信じられないのか? 嫌でもすぐに信じたくなるさ」
ゲームは始まった。先攻は塩浦。シャッフルの前に毎度カードを全て表にしぬけがないかの確認が挟まれる。正直そこまでされるとやりすぎな気もしていた。やがてカードが配られる。己の絶望への道とも知らず、余裕の笑みを浮かべる〈ラット〉は塩浦の出したカードを確認もしない。
「見なくても、いいのか?」
「お前が誰を相手にしてるのか、これからたっぷりと教えてやるよ」
この勝負、俺が学ぶことは既にもうない。塩浦が全てのカードを配り終える。
「二人とも、交換はしないのね?」
お互いの了承の後、オープンとなる。
「俺の勝ちだな」
「ユウ側がダイヤの4と6とK、スペードのJと7。絵札が使えないからノーペアね」
「〈ラット〉側はダイヤのJと4、クラブのJ、スペードの7、それとジョーカー。つまりり」
「スリーカード。俺の勝ちだ」
「次は後攻だ。カードを切れよ」
〈チップ〉にディーラー役を交代させる。同じようにゲームは進行していく。慣れている分塩浦よりは手付きがしなやかであった。まるで違和感を感じさせない。再びお互いにカード交換はせずにオープンとなる。
「今度は俺の勝ちだな」
「ユウ側がハートの5、クラブの5、スペードの4、6、Q、よってワンペア。〈ラット〉側がダイヤの10、クラブの2、4、6、スペードの3でノーペア。ユウの勝ちね」
「まぁいい。次だ」
続く第二回。先攻の塩浦がディーラー。
「念のために確認しておきたいんだが、お前とあの先輩は同じ中学の野球部だったんだよな?」
「だったらなんなんだ?」
「お前は俺とその先輩に何があったのか知っているのか?」
「二年の先輩との問題にお前が首を突っ込んだと聞いてる。お前がことをややこしくしたとな」
「その二年の先輩と俺が当時付き合っていたことは知っているのか?」
「初耳だな。適当な嘘ついてんじゃねぇ」
これ以上の会話は無意味だった。
「まあいいさ。勝負と行こうぜ。交換は?」
「要らない。お前相手に交換なんざ、絶対に必要ない」
そうだ、その自信がいい。それだけの自信があれば......。
「俺も交換はしない」
「カードの確認をするよ......。ユウ側がダイヤのAと5、ハートの9とK、それとジョーカー。よってワンペア。そっちは......、ハートの3、クラブの3、スペードの2と5、そしてジョーカー......。スリーカードね」
「また頂くぜ。次も俺が勝ったらそこで終わりだ」
「勝負はまだわからないぜ?」
後攻、〈チップ〉がディーラーのターン。
「お前は昼休みに教室にいないから知らんだろうが、俺達は頻繁にポーカーしてんだ。そこいらの素人に負ける道理はねえ。お前が一度もカード交換をしねえのははっきりってむかつくぜ」
「あんたがどう思おうが構わんね。そいつで食ってる訳じゃないんで」
四度目の勝負。お互いに交換はなし。
「ユウ側はダイヤの3と6と8、ハートの7、最後にジョーカー。ワンペアね。君の方はダイヤの3と4とQ、ハートの9とJ。ノーペアね」
「おいっ!!」
怒鳴り声をあげて〈チップ〉に掴みかかる〈ラット〉。
「おいおい、いきなりなんなんだ? そいつはただカードを配っているだけだぜ。怒鳴ったところで何も変わらんだろ。違うか?」
「まさか、あんたたちイカサマしてるんじゃ......」
「そいつは違うんじゃないか。やってんなら、そもそもこんな無様な結果にはなるまい」
「それもそっか」
「そうだよな?」
「フンッ」
「まあ着けや。勝負はまだわからないんだから......」
第三回、この回で決着は付く。絶対的な確信が俺にはあった。
「さっきの話の続き、する気になったんで話させてもらう。お前が慕っていた野球部主将。事の発端は〈ボスザル〉が二年の先輩、須澄トモユにアプローチをしたところからだ。その時点で既に俺とトモユは交際関係にあった。それを知っていたかどうかは知らんが、俺を目障りに思った〈ボスザル〉は俺に勝負を挑んできた、一球勝負だ。野球部主将の投げる球をスタンド送りにできたらトモユから手を引く。奴はそう言った。結果は聞いているか?」
「お前がホームラン」
「その通りだ。奴は負けた。だがどうだ、奴は反故にした。お前が奴から聞いた話の大半は証拠のない嘘だ」
「今更弁明する気か」
「お前になんかしない」
「何が目的だ」
「もう一つ付け加えるぜ。他のやつらは知らんが、このクラスの大半はお前のいないところでお前をどう呼んでいるか、考えたことはあるか? 知らんようだから教えてやるよ、ドブネズミ。ドブネズミって呼んでるんだぜ」
「ドブネズミだ?」
「ラット、俺はこっちの方が元の意味を損なわないと思うがな」
「な、何が言いたい」
「〈ドブネズミ〉ってのは、お前が慕っていた〈ボスザル〉が当時からお前につけていたあだ名ってわけさ」
「お前、俺を馬鹿にする気かッ!!」
「先にお前が馬鹿にした波風に謝罪しろ。それが先だ」
「ぐっ......」
「死んでも頭を下げる気はないようだな。どこかで解っているはずだ、このままでは俺には勝てないことを。今謝罪するなら不問にすると先ほど言った。決めるのはお前だ〈ラット〉」
「ちょっとユウ止めなよ......」
「俺は負けないさ。ただ俺が勝ってもこいつは絶対に波風に頭は下げない」
〈ラット〉が波風を〈カイゾク〉呼ばわりするなら......。
「俺は降りねぇ」
「そうか。ならば続けようか」
「私が配る版だったよね」
塩浦の先攻だったのはまずかっただろうか。流石に疲労が溜まっていた。
「お互いにカードの交換は?」
「不要だ」
「このままでいく。覚悟しろ、お前ら......」
「え、えっとユウ側はジョーカーが二枚、あとはハートの3と9と6。スリーカードってところかな?」
「〈ラット〉は......、ノーペアね。」
「何だと......」
「最後だ、波風に謝罪しろ。でなければ今すぐに負けを認めろ」
「お、お前さっきから何なんだよ......。一体何なんだよッ!!」
「おい、お前の番だ。カードを切って配れ」
〈チップ〉にカードを切らせて配らせる。これでゲームセットだ。
「ユウ、カード見なくていいの?」
「その必要はない。こいつのカードを見れば、全てわかる」
塩浦は奴のカードを確認する。俺はそれを確認する必要もない。
「ダイヤの8、ハートの6とK、クラブの10、スペードの5。ノーペア......」
「ユウのも確認するよ......?」
「まぁ待て。お前が開けよ」
奴に開かせる。伏せたままでは勝敗は付かない。逆に言えば開かなければ勝敗は一生つかない。奴がノーペアだった時点で負けが確定する。自らの手で負けを確定させるのだ。これ以上に酷な方法もあるまい。
二年前の一球勝負を回想する。あの日は曇り空、勝負が始まってからは土砂降りだった。〈ボスザル〉の球は確かに速かった。男子中学生の投げる球にしては速いほうだっただろう。しかしジュンの投げていたどの球よりも遅かった。利き腕でない方のみのスイングでスタンド送りは訳なかった。
「お前が須澄と付き合ってさえいなければ、俺は間違ってない。間違ってるのはお前だ」
では、お前を俺が認める道理もあるまい。
嘘をばらまき、トモユにとって大きなマイナスとなると結論付けた結果、彼が二度と邪魔にならぬように、俺は嵌めた。奴はトモユの顔しか見ていなかったのだ。どちらにせよ器ではなかった。
「その前に、なぜお前は一度もカード交換をしなかったんだ」
「絶対の自信といえば満足か?」
同じ内容の質問を返す真似はしない。
「さあ、開けよ」
五枚のカードを手繰り寄せ、一枚一枚をずらし役の確認をする。内容をいつまでも明かさない奴にイラついた塩浦が奪い机に広げる。
「ユウの勝ちね。ジョーカー、ダイヤ、ハート、スペードそれぞれの5でフルハウスってことかな。それともファイブカードってやつ?」
「お前、一体何をしたッ!!」
「俺は何もしていないさ。俺は、な」
このターンも、それ以前の勝負において俺は必要以上にカードに触れていない。それはこの場にいる俺を含めた四人が証人である上に、塩浦はカメラを回していた。塩浦がディーラー役のタイミングではカメラから手を放しているが、それでも俺と奴が囲む机は画角に入っていた。
「疲れたな。俺の勝ちだ波風への謝罪と、お前が盗った物を返してもらおうか」
「俺は認めないッ!!」
「静かにしないか」
勢い良く立ち上がった奴は椅子を倒し、大きな音を立てる。
「カナちゃんに迷惑でしょ」
「ああそっか。この教室にいたんだったな......」
「ちょっと、忘れないでよ」
すっかり失念していた。
「お前にその気がないなら、塩浦の撮影していた動画。これから福山先生に見せに行こうか」
椅子から立ち上がり伸びをする。流石にきつかった。
次の瞬間奴は”それ”を開かれた窓に向かい投げ込んだ。迷うことなくそれを掴むために窓から飛び出す。盗まれただけでも庇えない失態であるというのに、失うことなどあってはならない......。
強い衝撃を身体に二度感じる。手の中に”それ”を認めたところで俺の意識は消えていった。
次に意識を取り戻したとき、初めに温もりを右手に感じていた。自分のものではない、誰かの温もりだった。甲と平の両方から俺の手を包み込むその手を握り返す。
「深海さん......?」
「はい、深海ユウです......」
窓から飛び出した俺は校舎南側に建てられている二階建ての文化部部室棟の上にぶつかった後に地面に落ちていた。屋根の損壊はないらしい。受け身は取れていたものの全身の打撲である。プリズマの身体なので明日には全快だろうが。
「状況は」
「深海さんとお相手の方はとりあえず一旦謹慎になるらしいです。エリちゃんともう一人のディーラー役の方は特に何もないみたいです」
学校内で賭け事である。それくらいは覚悟の上である。塩浦を巻き込んでしまったのはまずかったが、御咎め無しで安心した。
「ありがとう。ところで君の方は......」
「途中までは虚ろでしたが、深海さんが窓から飛び出したのを見てしまったら流石にそれどころではありませんよ」
「そいつは済まないことをしたな」
「やっぱり、その鍵は深海さんにとって大切なものなんですね」
「え?」
「あっ、失礼しました......」
それまで握っていた手を引っ込める波風。
「鍵も大切だが、君への謝罪も同じくらい大切にしたかった。叶わないだろうが」
「もう大丈夫ですよ。今日ので満足しましたので」
「満足って。君は決別したい記憶を」
「あのことは、もうどうでもいいんです」
何がいいのか全くわからなかった。しかし本人がこれ以上はいいと言っている以上、俺にはどうしようもなかった。
「そういえば、塩浦はどこだ?」
「そのうち戻ってきますよ」
「私がどうかした?」
塩浦もカーテンの内側へと入ってくる。
「映像はどうした」
「福山先生に渡したよ。それを求められたし」
「ダンケ。それでいい」
「先生言ってたけど、やっぱり最近のユウなんかおかしいよ。どうしちゃったの」
「シンプルに言えば、強力な催眠。そうでしょ?」
「トモユ......」
須澄トモユがカーテンの外から顔を覗かせる。
「須澄先輩......?」
「トモユでいいよ。あと先輩もつけなくていいよ。カナちゃんにもそう言ってあるから」
「催眠ってどういうことですか?」
「先輩の口から直接聞く方がいいと思うんだけど、きっとちゃんと話さないだろうから」
「そもそもトモユは何故ここに来た?」
「先輩が窓から落ちたって聞いたら様子を見に来てあげたのよ」
「そいつはどうも」
「二人は二年前の話、どこまで知っているのかしら」
「一人は先の一件で説明したが、もう一人はほぼ無情報だ。最初からの方がいい」
「そうね」
既に塩浦には開示してある段階までの説明を済ませる。本題はここからである。
「ここまでの状況、今日の一件と似てる気がするけど」
「同じような状況だからこそ、な」
「一番大事なのはここからよ」
「以前、俺はプリズマだと説明したな。俺はプリズマとしての光り人の人口再現に加えて、プリズマと対を成す改造兵士の技術が使われている」
「改造兵士......?」
「プリズマがそもそもとある組織の主力製品の競合相手だったからな。その改造兵士とプリズマは同じ企業の別部署の製品ってことだ。本来であればプリズマはその改造兵士の固有能力は持ち合わせていない。しかし俺達は持ち合わせている。どういう訳か」
「俺達って、まさかトモユも?」
「ええ。私も持ってるのよ。それを自覚していたから、私は自分がプリズマだとユウに教えてもらえたのよ」
「でもそれって」
「俺の固有能力が『催眠』だ」
「催眠っていっても、二年前は全然使ってなかったみたいだけど」
「確か、利き腕じゃない方だけでホームランだったって言ってたけど」
「ホームランにするだけならばプリズマの基本能力だけで事足りる。今日のポーカーは一つ狡い手を使わせてもらった。奴らが普段からプレイング・カードを触っていることは知っていた。そして〈ボスザル〉の信奉者であることも知っていた。いずれどこかのタイミングで俺と衝突することは想像に難くない。だからあらかじめ手を打っておいた。そしてそれに引っかかった。昨日の時点で」
「まさか、体操服を盗まれたのは計算のうちだったていうの?」
「ああ。あいつがそれを隠すと考えられる場所に隠しカメラを設置しておいた。その映像も福山先生に渡してある。そして近日中に仕掛けてくると踏んで二年前と同じことをした」 「ポーカーしたんだっけ?」
「ああ。事前にポーカー、プレイング・カードに纏わるあらゆる情報を叩き込んでおいた。二年前は野球に関する全てを。そうして仕入れた地検をプリズマの基本能力で仕入れた本番の様々な情報と組み合わせ、処理することでその分野に関しての超人を作り出すことができる。加えて、今回はさらに『催眠』を使った」
「催眠ってどこでかけてたのよ。全然わからなかったんだけど」
「あいつと勝負の合意を取り付けたときだ」
「それって、滅茶苦茶最初じゃない。それに、彼にかけたところで、勝てるかどうかなんて......」
「かけたのは彼一人だけだが、あれは感染するタイプでな。どうせ後からやってくる奴とグルだということも分りきっていたからな」
「確かにそんな感じのことを漏らしていたような」
「一度〈ラット〉にかけた催眠を介して、〈チップ〉には”〈ラット〉にはブタを配らせる”催眠をかけさせた。そうなれば、彼が配る番で俺が負けることはなくなる。あとは塩浦が俺が勝つ役を配りさえすれば、そこで決着だ」
「もしかして、私たちの野球の試合への参加に積極的でなかったのは」
「プリズマはただでさえ超人だ。それに二人にとって大事な試合だっと思った」
「針ヶ木も似たような理由だったりするの?」
「どうかな」
辞めた理由の大半は君に由来するなどとは本人には言えない。
「でも待ってよ、私はやっぱりわからないよ。野球からは身を引いたのに、なんでポーカーは普通に受けて立ったの。それって自分の能力を使うか使わないか、自分で勝手に理由つけてるだけじゃん」
「何とでも言ってくれ。批判は覚悟の上だ。それに、俺は道連れ覚悟で受けて立った。良くて退学さ」
その後、塩浦の厚意により事前に手配されていた塩浦家の車で、アパートまで搬送された。病院に送られそうになったがそれだけは回避したかった。塩浦は終始俺に納得していなかった。恵まれた環境にいるからこそ彼女は納得がいかないのである。これまでプリズマのことを彼女には多く隠していた。その不満というのもあるのだろうが、それらは全て予想通りであった。
「深海さん、今日はゆっくり休んでくださいね」
「それは君もだろう」
車窓の奥の波風に向けて労いの言葉をかける。
「君は何も間違ってなどいない。君は君だ。カイゾクなんかじゃない」
これからあのクラスは〈ラット〉と俺がいなくなり、〈チップ〉が台頭するか、また別の物が支配するだけである。それ以外は何も変わらない。変わらないのである。いつの時代だろうと、人を変えるのは時間である。故に時間は残酷なのである。