旅路
波風の案内の元、四人で例の場所へと向かう。入り口にはスタッフが待機していた。
「ここって......」
「塩浦のお母さんにとって大切な場所、なんだろう?」
例の場所とはこの船にいくつか存在する中でも最大規模のホールである。高低差のない座席はイチョウ型のステージを囲み、観客をステージに釘付けにする。ステージ後方にはバンド用のスペースが設けられ、船旅をより彩る。彼女の母親は、生前のインタビューでこのステージで歌うことと共に、娘との初めての海外旅行を、自身の夢だと語っていたのだった。
「ここって、お母さんの言っていた場所......」
「今こそ全てを話そうか。ジュン、ステージの上へ」
ジュンを先にステージに上がらせて塩浦に事を説明する。
「始まりは、ジュンが俺と波風さんに打ち明けたところからだ。それ以前からジュンの体に異変が起きており、それを信じるかと聞かれた。俺はすぐに信じた。その現象についてあらかじめ知っていたからだ。そしてそれは俺自身の出自に関する話だ。まずはそこから話そう」
俺は一つずつ塩浦にこれまで二人には話していたプリズマにまつわる情報を解説していった。続けて四月からのジュンの行動の裏側を一つずつ確認を取りながら説明していく。
ここまではジュンもよく知っていることである。しかしそれは試合までの期間の話であり、それ以降は彼は何もしていないに等しい。今日のこれはジュン抜きの企てである。
「ここから先は俺と波風さんの考えによるものだ。今日までそれが正解かどうかはわからなかったが、ほとんど当たっているとみていい」
「最初は私がレミちゃんのお母さんについて調べたことでした。ずっと気にいあっていたんです。レミさんがジュン君を動かして成し遂げたいことが、本当に野球の思惟に勝つことだけなのだろうかと。そして生前のインタビューを見つけたときにそれらは繋がりました。試合の優勝商品が草野球にしては豪華すぎることも引っかかっていましたから、腑に落ちました」
「私を、この船に連れていくこと......」
「そうだ。生きているうちに叶えられなかった、自分の娘とこの船に乗り、自分の一番格好いい姿を見せてあげたい、そしてそのまま海外旅行をする。全てとはいかずとも、叶える価値のある夢だと、俺は思う」
ステージへと上がりジュンの背後に回る。
「ジュン、ちょっとの辛抱だ。耐えられるな?」
「うん。いいよ」
「な、何をするつもりなの?」
「これから、”奇跡”を起こすのさ」
意識を集中させ、試合のときのように、望むビジョンを明確にイメージする。全ては今日この瞬間のために・・・・・・。身体が段々と熱を帯び始める。
俺がジュンに伸ばした腕の先から光の粒子が溢れ出す。それはジュンの背部より体内へ吸収されていく。照明の落とされたステージの上で、それは確かな光を放っていた。塩浦の顔が粒子に照らされている。ありったけの光の粒子をジュンに流し込んだ後は、その光が再びジュンから離れるのを待つ。やがて再び光が溢れ出し、それは人の形をとる。光に包まれながらその人型は声を発する。
「大きくなったわね、エリ」
「ま、ママ? ママなの?」
うなづいたレミさんに駆け寄る塩浦をレミさんは制する。ステージの上では走ってはダメよと、優しく叱る。
「ジュンちゃんも、今までごめんなさいね。よく眠れなかったでしょう?」
「そんなことないですよ、気にしないでください」
「カナちゃんも、娘のために本当にありがとう」
「ユウ君も。貴方がいなかったら、きっとどこかで失敗をしていたでしょう。改めてお礼を」
「でも、なんで?」
「光り人の力だよ。元々レミさんが自由に使える分の光り人の力が少なく、意識を表層に出すだけでも消費が激しい。光り人本人の縁の場所で、大量の光り人の力を合わせてやれば、宿主からも分離できる」
光り人の力は事務所に顔を出す前日に、例の公園で調達していた。試合のときの”どこかから飛んできた光り人の力”の発射地点として、思い当たる場所はあそこしかなかった。波風と俺が試合の勝利を願った結果、飛ばされてきた。それが立てられた仮説だった。そして桜の樹の前で、祈りを捧げた俺に光り人の力が流れ込んできたのだった。
「俺は本来乗るつもりじゃなかったが、これは必然だったようだ」
「光り人の力を使えるユウさんは、絶対に必要な要素だったんですね」
君の言う通りだった。
「ユウ君、貴方は私に直接聞きたいことがあると思うのだけれど、まずはそれから片付けましょう?」
「ママ?」
「すぐに終わるよ」
「そうですね。終わらせましょうか」
俺が聞きたい項目は、十五年前の桜瀬ミユキの死亡事故のことだった。
「桜瀬ミユキは自分の義理の姉に当たります。その姉の身に何があったのか、それが聞きたいんです。誰かを責めるわけでもなく、自分が先に進むために、知りたいんです」
「大丈夫よ、わかっていますよ。私から真相を明かす前に、あなた自身の推論をお聞かせいただいても?」
「推論はこうです。何らかの原因で飛ばされた貴方の帽子が矢米川へ落ちてしまった。貴方はそれを取ろうとしたが、通りがかったミユキ姉さんに止められて彼女が代わりに帽子を取ってきた。しかしミユキ姉さんは足を滑らせたかで流されてしまった。隣にいた万奈美さんと一緒に人を呼びに行った。しかし間に合わず、結果として彼女は死亡してしまった。ここまでは事故を詳細に調べれば誰でもたどり着ける範囲。ここから先は自分の想像です。そのときの帽子というのが、今も塩浦、エリさんの大切にしているあの帽子ですね。そしてそれは惣一郎さんからの大切なプレゼントだった。どうでしょうか」
「全て貴方の想像通りよ。驚いたわ」
「なぜ自分で川に入らなかったってわかったの?」
「十五年前の話だぞ。ちょうどそのときレミさんのお腹の中には」
「私がいた......」
「無理をしてお腹の赤ちゃんに何かあってはいけないから、姉さんは名乗り出たんだろう」
「僕のお母さんが入らなかった理由は......」
「万奈美ちゃん、カナヅチだから......。ずっと後悔していたわ」
「あの帽子がママのだって言ってなかったよね?」
「私服は年季が入っていないのに帽子はそうだったし、その帽子が浮かないようにコーディネートしていただろう? 理由があると考えるのは妥当だと思うが」
亡き母の意志を引き継ぎ、孤児院の手伝いを続けている塩浦ならば、理由の想像は付く。
「あのときの女の子が、桜瀬さんのところの娘さんだと知ったのは、その次の日でした。すぐに夫と共に頭を下げに向かいました。状況を知った後の栄一さんは非常に落ち着いた様子で、エリの心配だけをしてくださいました。きっと私たちの娘が、あなたのお子さんを守ったのだと、言ってくださいました」
「自分も、同感です。姉は亡くなってしまったが、彼女が守ったものはかけがのないものだった」
「ユウ......」
「レミさん、自分が聞きたかったことは全て解決しました。お手間を取らせました。自分たちはこれで」
「行きましょうか、深海さん」
「二人とも。本当に、ありがとう」
レミさんは温かかった。
デッキに始まりデッキに終わる、そんな一日になっていた。既に空は漆黒に染まり、星たちが踊っている。今は特に風も吹いていない。波風の声もよく聞き取れていた。
「なにか、話したいことでもあったか?」
「エリちゃんの帽子、まだなにかあるような感じでしたけれど」
「きっと惣一郎さんがらみだよ。彼がレミさんにプレゼントした帽子が、人様の娘の死のきっかけなんてことになったら、それを娘が使うことにいい顔はできないだろうな。踏み台にしたような状況なら尚更」
彼も大ホールに呼んだが、部屋で寝ているらしく返事はなかった。きっと彼には夢の中での再会が待っているだろう。光り人はなんだってありだ。
「いい人はすぐに居なくなってしまうのだな。みんな先にいなくなる」
「そうですね。綺麗で優しい人でした。エリちゃんのお母さんは素敵な人です」
「天乃の母親は、どうしてあんなにも人ができているのだろうな」
「波風家も入っているんですか?」
「当然。深海家は入っていないぞ。天乃の人間ではないし」
「深海さんが携帯電話を持っていなかったのって、その深海家に原因があるんですか」
「それもあるが、持っていなくても損失が無かったというのが一つ、かな。ずっとおひとり様だったから」
「そのお一人様は、終わりますかね?」
「どうかな。トモユと付き合う前から感じていて、付き合っている間も消えなかった感覚だからな。誰かが常に隣にいても、感じてしまうと思う。孤独とはそういうものだと思うことにしている。消える感じるではなく、見える見えないというべきか」
火照った身体に海の風が気持ち良い。今夜はここまで冷えただろうか。
「いつでも、私の声が聞きたかったら、電話してくれてもいいんですからね。そのための携帯電話ですから」
「そのためだけの?」
「お昼に捕まえやすくするためのものでもあります」
「そういえば、初めて会った日に君に出した紅茶、あれはそんなに美味しかったのか?」
「はいっ」
曇一つない星空は夜だというのに眩しかった。
「そいつはなによりだ......。というか、なんかやけに暑くないか? まだ五月だぞ?」
次の瞬間、激しい痛みが頭を襲う。ちょうど一年前のトラックに轢かれたときのような衝撃だった。その場に立っていられず膝をつく。波風は必死に声をかけてくるが、その声も徐々に遠くなる。波風の顔すらもぼやけて見え始める。一体何が起きているというのだ。
霞む視界で必死に波風をとらえ続けるが、更に信じがたい現実が襲ってくる。電源が切れた玩具のように動かなくなった波風が倒れこんだ。籠り反響する己のこえの気持ち悪さも忘れ、必死にスタッフを呼ぶも、誰も来る気配がない。波風を仰向けに寝かせ、脈と呼吸の確認を行う。幸いなことに消えてはいない。本人はいくら呼び掛けても返事がない。彼女の手を取り呼びかけるその声は夜の海に飲み込まれるだけだった。波風の左腕の脈の確認を自分の指先で試みる。腕には脈がかろうじて確認できた。
「おい、どうかしたのか」
振り返ると須澄グループのバッジをつけた黒服の男がいた。何度か俺の世話をしてくれた男だった。既に限界の近い頭で状況を説明し、波風を医務室へ運ぶ手筈を整えてもらう。彼が医療スタッフを連れてくるためにその場を一旦離れる。彼が返ってくるまでの辛抱だとし、俺は波風を呼び続けたが返事は返ってこなかった。必要なときにはちゃんと声を聴かせてくれるんじゃなかったのか、波風。担架が運ばれてきたのを遠目に、シルエットで確認した瞬間に、俺の意識も消えた。
深く暗い海の中にいる感覚だった。重力に引かれて、僅かに見える水面の揺らぎから引き離されていく。身体を包む水は冷たく、気持ち悪かった。身動きもとれぬまま下へ、下へ、下へ。
............ろ。
誰かの声が聞こえた気がした。こんな深い海の底で、するはずのない声が。
......きろ。
確かにそれは聞こえている。誰だ、誰が俺を呼ぶ?
......生きろ、ユウ!!
謎の声と共に俺の中に何かが弾ける感覚があった。そしてその声の主は女性の形をとって俺の目の前に現れた。
お前はまだ消えるべきではない。こんなところで消えていいわけない。そうだろう、ユウ。
そうだ、まだ消えるわけにはいかない。
再びの激しい頭痛。そうだ、デッキでこれに襲われ、波風が倒れて、助けを読んだところまでは覚えている。ここから抜け出さなければ。
声の主は俺を抱きしめると、俺の体を水面へと浮上させる。それまでは沈んでいく一方だった重い体は嘘のように軽くなっていた。声の主から引き剝がされていく。待ってくれ、あんたには聞きたいことが――。
俺は桜瀬ユウ。君は?
私はミノカミハルカ、よろしくね。
ラムネ、飲むか? おいしいぞ?
お前は俺が必ず助けてやるからな。あともう少しの辛抱だ。お前は絶対に助かる。
よかった、君が無事で......。
君には悪いが、また忘れてもらう。俺が死んだとしても、悲しむこともない、これでいい......。